旦那の躁うつ病が再発したことについて1. | 国際結婚と中国語と、ときどき猫と村上春樹

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旦那が初めて躁うつ病(双極性障害)を発症したのは、もう10年ほど前の話らしい。私と知り合う前だ。

そして、去年の9月頃に再発した。

それはあまりに突然だった。

私は旦那が躁うつ病をかつて患ったということは聞いていたけど、私と知り合ってからは

「おかしい」と感じるようなことはまったくなかった。(性格とか考え方とかが、人とちょっと違って

ユニークだな、ちょっと変な人だよな~と感じてはいたけど、行動や言動が異常だと

感じるようなことは一度もなかった)

だから、去年の9月、はじめて症状が現れ始めたとき、私はまったく気づかずにいた。

 

家でフリーランサーをしている夫は、朝8時か9時、遅いと10時くらいに起きていた。

それが、ある日突然、5時に起きて、なんだかものすごいやる気に満ちた感じで仕事をしたり、

しばらく連絡を取っていなかった友達に突然電話して、長電話したり、というのが始まった。

最初のうちは、なんだか知らないけど、仕事に対してやる気が出たのはいいことだよな、くらいに考えていた。

 

それが、わずか一週間ぐらいの間に、段々と起きる時間が早くなっていき、ついに夜中の一時に寝たのに、三時に起きるようになった。

その時になって、ちょっと変だな、と思い始めた。変だな、と思ってよく思い返してみると、

他にもあれは変だった、と思う行動がここ一週間くらいで増えていることに気づいた。

例えば、気分の移り変わりが激しくて、ウキウキしてやる気に満ちているかと思えば、次の瞬間には

誰かに対して怒っていたり、ひっきりなしに次から次へといろんな話題について話し続けていたり、

注意力が散漫になって、すぐ忘れ物をしたり。

これは、旦那の両親と相談したほうがいいかもしれない。

そう思った矢先、旦那の両親のほうから、「最近〇〇(旦那の名前)の調子はどうだ?ちょっとおかしいと思わないか?」

と聞かれた。

私は、たどたどしい中国語で、ここ一週間ほどの旦那の様子を語り、旦那の両親も、実は最近の旦那の行動が、

初めて躁うつ病を発症したときの様子とまったく同じだ、と打ち明けられたのだ。

そのあと、旦那を精神科に連れて行こう、という話になったのだけど、

精神科に連れて行って躁鬱病と診断されたら、絶対に精神安定剤などの薬を処方される、と思い、断固反対した。

今は薬によっては副作用の少ないものなどいろいろあるのかもしれないが、

私の中国語があまり上手くないから、副作用の少ないできるだけ安全なものを処方してもらいたくても、本当にそういう安全なものを

処方してもらえるかわからない上、相手にうまく言いくるめられたらそれがどんな薬であれ、絶対に飲まなきゃいけない羽目になる、

そう思ったらゾッとした。

 

私がこれほど精神安定剤を嫌がるのには原因がある。

舅の妹、つまり叔母さんは、本人の意思ではなく、母親の勝手な取り決めで結婚相手を選ばれ

(母親は見返りに結婚相手からいくらかのお金を受け取ったらしい)、叔母さんは香港人のもとに嫁ぎ、

香港で暮らすことを余儀なくされた。まったく広東語の話せない叔母さんは語学学校に行かせてもらえるでもなく、

誰とも意思疎通ができない中で孤独な生活からうつ病を患い、長年うつ病の薬を

服用したせいで認知症を患い、今は症状が進んで、一人ではお風呂にも入れないし、家族のことも誰が誰だかわからないという状態なのだそうだ。

そして、香港の療養施設に入れられてずっと孤独に暮らしているのだという。

その話を聞いた時は、かなりゾッとした。こんなことがあっていいのか、とも思った。理不尽すぎる。

舅の母親、父親は色々な問題を抱えており、そのせいで舅も子供時代はかなり苦労をしたのだという。

私も旦那も、その話を何度となく聞かされてきた。

そして、私にとって「精神安定剤などの、うつ病の薬」は、「とてもおそろしいもの」として認識されるようになったのだ。

もちろん、うつ病の薬と躁うつ病の薬とでは異なるものもあるのだろうし、一概に全部が恐ろしいものではないのだろう。

でも、できることなら旦那に躁うつ病の薬を飲ませたくない。その気持ちは今もずっと変わらないでいる。

 

結局、ある信頼できる人の助けも借りて、なんとか旦那を精神科に連れていくのはやめることになった。

代わりに、漢方医に診てもらう、ということで話がついたのだ。

このあたりは、舅のふところの広さにも感謝だ。もし、「俺の言うことは絶対だ。精神科に連れて行くと言ったら、

絶対に連れて行く」というタイプの父親だったら、旦那は精神科の薬を飲んでいたことだろう。

その後、処方された漢方薬を飲み、その時直接躁うつ病発症の直接の原因となっていたと思われる

事柄から旦那を遠ざけるように、家族全員で努力し、そのおかげで、旦那の躁うつ病は治ったかに思われた。

 

けれど、たぶん本当には治っていなかったのだ。

なぜなら、今年1月に日本に帰国し始めたころから、段々と鬱っぽくなり始め、日本から台湾に帰ってきてからは

目に見えて鬱だとわかるくらい、「何もしたくない、何も話したくない」という状態が一か月以上続いたからだ。

その間は睡眠時間もかなり長かった。一日10時間以上余裕で寝ていた。

 

そして、ある日突然、また朝5時に起きだした。その日一日は、ちょっとテンションが高いな、くらいだった。

でもその夜はもうダメだった。三時間くらい寝たら起きだして、パソコンを使い始めたのだ。

これは駄目だ、絶対に躁の前触れだ、そう思って、「もう少し寝たらどう?」

と何度も言った。そのたび、「大丈夫、全然眠くないし、疲れてないから。」

と言われた。私は

「自分が疲れてないと思ってても、本当は体も頭も疲れていて、休みたいのかもしれないよ。」

という風に、何度も説得を試みた。それでも、「あとちょっとしたら眠る」

と言いながら、また何か別のことを始めて、まったく寝てくれなかった。

そして突然、普段はあまり友達と連絡を取らないのに、ひっきりなしにいろんな友人にlineをしたり、

電話したり、会いに行く約束を取り付け始めた。

そして、その夜、舅と姑が家に帰ってきて一緒に夜ご飯を食べ始めると、

旦那のおしゃべりはどんどん加速し、途中から感情的になって泣き始めた。

ここで、舅と姑もピンときた。また再発した。すぐにみんなわかった。

 

その夜、旦那はとにかく小さい頃のこと、中学生の時のこと、これまでの色々な不満や不安をぶちまけ始めた。

それはかなり相手を責める口調であり、かなり挑発的だった。

舅も姑も、はじめはそれを聞いてかなり気分が悪いといった様子だったし、多少の反論もした。

しかしすぐに冷静になり、「言いたいことがあるなら、すべて吐き出したほうがいい。心の中にまだまだ色々たまっているんだろう。」

という風に受け止めてくれ、旦那はまた話を続け、舅も姑もそれを全部聞いてくれた。

温かい家族だな、と思った。

 

ただ、すべての家族がそうであるように、完璧な家族なんてない。

だから、私は旦那の家族の、とてもいい部分も見てきたし、とても悪い部分も見てきた。

旦那がこのように躁うつ病を再発しても、温かく受け入れてくれる。

それは素晴らしい部分だ。

けれど、問題はあまりにも複雑なのだ。

旦那の舅は過去に投資に失敗して、負債を抱え込んだ。それ以来、舅も姑も返済のために、今も仕事を続けている。

舅は69際、姑は62歳。二人とも、体はあまり健康とは言えない。

舅は高血圧、姑は高血圧と糖尿病を抱えている。

仕事が終わると、疲れて何もやる気がでないのか、リビングでソファに座り、夜10時に眠るまでずっとテレビを見ている。

当然、平日家事らしい家事はほとんどしない。 運動もしない。

旦那は両親のそういう生活をずっと見てきて、ずっと二人の体を心配し、二人のこういう生活を変えたい、と度たび私に話していた。

 

旦那のストレスは、もう限界だったのだ。

他にもストレスはたくさんあった。

旦那は家でウェブデザイナーをしていた。私は、日本語家庭教師のアルバイトしかしていなかったし、あまり社交的な人間じゃなく、

こっちで日本人の友達も少なかったから、家にいることが多かった。

自然と、私も旦那も、24時間一緒にいるような状態が続いていたのだ。

だから、私も旦那の行動が嫌でも目に入ってストレスがたまっていたし、

旦那も同じように私の行動が嫌でも目に入ってストレスがたまっていた。

いくら仲のいい夫婦といえども、お互いの空間、距離を保つことは本当に大切なのだ、と、今回のことで

改めて気づかされた。

また、私はこの5年、たくさんのことを旦那に頼り切っていた。

バイクも車も運転できないから、どこかに行くときはたいてい旦那を頼っていたし、

何か物を買う時でさえ、旦那に頼むクセがついていた。

そして、以前書いたように、誰かと中国語で話をして、聞き取れなくてストレスがたまると、旦那の前でだけ泣き、

旦那をストレスのはけ口にしていた。

そのつけとして、旦那の今回の躁状態が重症化したのだ。

私はそう思う。

また、二人とも、これから日本へ行って生活することへの不安もたくさんあった。主に経済的な不安だ。

それから、日本語能力に対する不安、日本の環境になじめるかどうかの不安。

たくさんの不安が、旦那にプレッシャーを与え続けていた。

 

話が長くなるので、続きは2へ。