人に好かれようとすること | 国際結婚と中国語と、ときどき猫と村上春樹

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私は人に好かれようとする性格だ。もちろん、人にわざわざ嫌われようとする人というのはごく少数派で、人に好かれようとする

人はけっこう多いのかもしれない。

だけど、私の場合は、人から嫌われたくない、人から良い人だと思われたい、という気持ちが人一倍強いように思う。

そして、旦那もまた、鏡で自分を映したように、人に好かれようとする性格だった。

オーストラリアにいるときにもそれはなんとなく感じたことだけど、

「旦那って誰にでも親切だよな」

くらいの、むしろ好感を持っていた。

 

それが、台湾にきて、逆転した。

旦那が誰にでも親切にして、人から好かれようとしているのを見ていると、やたらイライラした。

でもそれがなんでだか、自分でよくわかっていない部分もあった。他人に対する嫉妬、という部分もあったのだろう。

でもそれくらいにしか考えていなかった。

ただ、旦那がうまく立ち回ったり人を助けたりして、自分と他人の関係を築き上げているのを見て、そこに

私の居場所がないように思えた。

これが日本だったら、私も同じように人に親切にして、その人たちとうまく関係を築き上げて、心地よく

暮らしていたはずだったのに、と考えることもあった。

要するに、そこで人に愛想よく親切にして、他人といい関係を築いて笑っているのは旦那ではなく、私だったのに、

という考えが頭の中にあったのだ。

でも台湾では、うまく言葉がしゃべれず意思疎通ができないから、それができない。

頭の中ではそういう風に考えようとしていた。

そしていつも、旦那の他人への態度を見ては、妬みのような気持ちを感じていた。旦那とほかの誰かと一緒にいるとき、

いつもモヤモヤとして、心から笑うことができなかった。っていうか、自分の生活から笑顔がどんどん失われていくようになった。

自分が誰かと接するとき、以前は自然と笑顔で接していたのに、気づけば台湾ではいつも不愛想でいることが多くなった。

 

でも、そもそも私はどうしてそこまで人に好かれようとしていたんだろう、ときちんと考えたことはなかった。

自分が人に好かれたい、嫌われたくない、という思いの裏には、自分への自信のなさ、自己肯定感のなさ、

自分で自分を愛せない、という原因があったのだと思う。

だからこそ、誰からも好かれることで、「自分はけっこういい人間なんだ」、「自分ってなかなか親切だな」

と満足し安心し、自分への自信を少し高めることができ、その幸福感に浸っていたかったんだと思う。

だけど、他人からの評価っていうのは、いつも不確かだ。それに、自分自身で自分を好きになれていないから、

結局すぐ不安になったり、自分は駄目だと思ったりする。

旦那が人に親切にするのも、おそらく多かれ少なかれ自分に自信がなくて、自己肯定感がないからだと、

ここへきてようやく気付いた。5年旦那と一緒にいて、何となく無意識で感じていたこれらのことを、こうやってじっくり考えてみるまで

きちんと認識することができなかったのだ。

 

そして、自分が今まで人にしてきた親切は決して他人に対する善良な心から出たものではなかったということまで

はっきりと浮き彫りになってしまった。

それまでは、結構自分で自分を親切な人間だと思っていた。

それが、台湾に来て、急にネガティブになって、人に親切にできない人間になってしまった、と

思っていた。

でも本当はそうじゃない。

本当の他人に対する善良な心からでた親切心は、言葉が通じなくてもきちんと相手に通じるはずなのだ。

私はその残酷な事実に無意識化でいつも感じていたのだ、だからいつも

旦那と他人とのやりとりを見てイライラしたり、ネガティブな気持ちになったりしていたのだと思う。

 

私が太極拳やヨガ、瞑想(はまだ少ししかしていないのだけど)を通してわかったことは、

大事なのは自分がただ自分自身でいること、ただそれだけで素晴らしいこと、

まず自分を大事にできて、それからはじめて本当に他人を大事にできるということ。

私は、旦那を大切にしたいし、他人に対しても本当の意味で優しい人になっていきたい。

そして、そのためにまずは自分をしっかりと肯定してあげたい。

それから、私は私、旦那は旦那。そうやってきっぱり分けて考えて、接していけるようにもなりたい。

たぶんその気づきのための5年間だったのだと思う。長いといえば、長かった。

けれど、この5年間で私が学んだのは、本当に大切なことばかりだ。

ありのままの自分を肯定すること、他人の評価や他人から見た自分にふりまわされないこと。

とても難しいことだけど、自分で自分をきちんと見つめ、意識化することで

何かが変わっていくと思う。そう信じたい。