日本移住のきっかけ 2. | 国際結婚と中国語と、ときどき猫と村上春樹

国際結婚と中国語と、ときどき猫と村上春樹

国際結婚のこと、猫のこと、中国語のこと、料理のこと、音楽のこと、買い物のこと、日々のこと、好きな村上春樹さんの小説のこと。

「言葉の壁」という観点から、もう少し書いていきたいと思う。

書いていく中で、他人への悪口、あるいは台湾に対しての悪口、という部分も多々出てくるかもしれない。

それを表に出していくことをこの4年間、ずっとためらっていた気がする。

楽しいことやうれしいことはまだ表に出せても、基本的につらいこと、不満に思っていることを人にさらけ出すのが得意ではない。

そういうマイナスな感情は、自分にとって汚い、恥ずべき部分であり、他人に見せるべきではないし、

見られたくないとずっと思って生きてきたからだ。

だから、そういう感情がわいてきても、旦那以外の人には基本的にはひた隠しにし、苦悩を相手に悟られないようにしてきた。

けれど、結局そういうのって、隠していてもなんとなく伝わっているのかもしれない。

相手との間に常に壁があるような気がしていたその原因も、そのへんにあるかもしれない。

どちらにしても、特にこの4年間、台湾にいて、日本で生活していた時よりもずっとネガティブな感情が色々とわいてきたのだが、

旦那に打ち明ける場合を除いては、その感情をマイナスのものとみなして、心のゴミ箱に中身も見ずに投げ捨てていた。

 

今、私の心のゴミ箱はすでにいっぱいだ。

捨てたいけど、捨てられない。

なぜなら、中身が何なのかわからないからだ。

私はそれを、少しずつ、一つずつ、これは紙ごみ、これはプラゴミ、これは実はゴミじゃなくてまだ使えるものだった、という風に、

取り出して見てみなければ、ゴミ箱を空っぽにすることができないのだと思う。

だから、これまでのことを振り返って、ネガティブな感情も、他人への悪口も、台湾の嫌いなところも、全部書こうと決意したのだ。

たとえば私が他人への悪口を書くことによって、「その人が悪い、その人のことが嫌い」ということを訴えたいわけではない。

私はただ、私の中にある心の働きをよく観察して、見極めたいと思っているだけなのだ。

どうしてその人が嫌いだと思ったのか、「どうして」の部分を、きちんと自分の心と向き合って考えたいと思ったのだ。

とはいえ、結局のところ他人や他のものへの悪口を並べ立てて、自分がすっきりしたいという目的には代わりがないのだから、

すべては言い訳みたいなものだ。それも承知で、これからいろいろ書いていく。

ネガティブなことが多いから、読みたくない人は初めから読まないほうがいいですよ、と断っておく。

 

話を元に戻して、台湾でよく話されている言葉は二つだ。一つは中国語(普通話、北京語、国語)と呼ばれているものだ。

もう一つは台湾語。台湾語は方言みたいなもの、という人もいるが、中国語と台湾語は全く違う言語のようなもので、発音はほとんど別物だ。

若者、または台北出身&在住の人は中国語を話す人が多いが、ほとんどの人が台湾語も聴いて理解できる。台湾語を主に話すのは、

中高年、または中南部の人である。

私が住んでいる台中は台湾のまさに中部に位置していて、中国語と台湾語を話す人の割合は、だいたい4:6くらいじゃないかと、

私は感じている。お年寄りはほぼ台湾語だ。

これは台湾の歴史と関係している。台湾は1895年から1945年での50年間、日本に統治されていた。

それ以前の台湾人はみな台湾語を話していた。日本の統治時代には、学校教育で日本語を教わるものも多かったが、

日本語を話せない人もたくさんいた。

そして、日本が第二次世界大戦に敗れて台湾から撤退し、1949年に蒋介石が共産党との戦いに敗れて台湾に逃れてくる。

それから蒋介石の台湾統治が始まり、(いわば)勝手に中国語が台湾の「国語」として、中国語を話すことを強制されるようになったのだ。

だから、台湾には台湾語しか話せない人や、日本語も台湾語も話せる人や、中国語しか話せない人や、台湾語も中国語も話せる人などが

様々に存在する。(ほかにも台湾原住民などもいるが、ここでは省略する)

そして、日本の台湾統治に対して複雑な思いを抱いている人もいれば、その時代を懐かしむ人たちもいて、

国民党の台湾統治や、中国語に対して複雑な思いを抱いている人もいれば、それが原因で「台湾語しか話さない」というかたくなな人もいる。

そこまでかたくなな人は少ないのだろうが、この「中国語に対してはどこか抵抗がある」という人は結構いるのではないかと

思っている。だから、お年寄りはあれだけ台湾語を好み、中国語を話そうとしないのではないか。あくまでも推測なのだが。

 

背景はかなり複雑なのだが、そのせいかどうなのか、旦那の父、母(つまり舅と姑)も、日常的にはほぼ台湾語を話す。

私は台湾に来て、中国語を習った。初めは、台湾の言葉に対するそんな複雑な背景を知らなかったこともあるが、公用語が中国語で、

中国語は中国やほかの国でも話されている、ともなれば、普通は台湾語ではなく、中国語を勉強することを選択するだろう。

 

前回話したように、私は台湾に来てから中国語の勉強を始めた。早く旦那の家族ともコミュニケーションを取りたかったからだ。

だけど、舅は人にすごく気を遣える人で、私に対しては中国語でゆっくり話しかけてくれたが、

姑は最初から台湾語であれこれ話しかけてきた。そのころ私は中国語と台湾語の違いさえも判らなかったから、

「全然聞き取れない。。なんで?」という風にショックだったが、少なくとも中国語と台湾語の違いがわかるようになってからも、

よく台湾語で話す姑に対して「台湾語は勉強してないし、まったくわからないのに、なんでわざわざ台湾語で話しかけるんだろう?

わざと?いじわる?」とよく思った。

その後、だんだん姑も、私は中国語しかわからない、ということがちゃんとわかってきたのか、慣れてきたのか、私に対しては

中国語で話すようになってきたが、私個人に話しかけるわけじゃなければ、私がその場にいようが関係なく、ほぼ台湾語で話す。

 

そりゃあ、長年ほとんど台湾語でずっとしゃべってきたんだし、わざわざ中国語に切り替えて話すのは面倒だし、慣れないのだろう。それはわかる。

でも、テレビのニュースはほぼ中国語だ。普段外でもレストランなどの改まった場面でも使うのは中国語だ。若者と話す時だって、中国語を話すことのが多い。

だから、別に外国語ほど遠い存在ではないはずだ。中国語を話すのはちょっと面倒、なくらいなのだ。

私にとっては、違う。中国語一つだけでも、外国語なのだから習得するのは大変だし、自分のお金を払って語学センターに通って、

時間をかけて中国語を勉強したのだ。ちょっと面倒、どころの話ではない。

どうして今更あなたたちのために、また時間をかけて台湾語を勉強しなきゃいけないんだろう。

台湾以外の場所で、あまり通用しそうもない言語のために。(マレーシアやシンガポールなど一部の地域でも話されているそうだが)

正直心の中でそう思った。私の心は、それくらい硬かった。

台湾語を勉強しようかどうか迷った時期もあった。勉強すれば、今よりきっとストレスは少なくなるはずだ。そう思ったからだ。

でも、結局は勉強しないことに決めた。決めてしまうと、台湾語がわからなくて同じように心の中でため息をつくことはあっても、以前よりは

割り切れるようになった。相手が台湾語を話しているときは、私に向かって話しかけているのではない、と考えて、

相手にリアクションを返すこともしなくなったし、何か別のことを頭の中で考えるようにした。

結局、「台湾語がわからない、話せない」というストレスと、時間と労力と(あるいはお金を)かけて、台湾語を話す努力をすることを天秤にかけたとき、

時間と労力を取ったからだ。その時間と労力で、絵を描きたい。そのほうがいい。自分にそう、言い聞かせた。

 

そういうわけで、台湾語は、聴けばなんとなく意味が分かる言葉もあるが、まったく話せないままだ。

「台湾語をまったく話せない」と台湾人にいうと、ちょっとびっくりされることもある。

5年近くも台湾にいれば、自然に少しは話せるようになるだろう、という風に考えているのだろう。

だけど、私は中国語ですべてを通してきたのだ。話せないのも事実だが、それは話さないと決めたからだ。

 

前回、東京へ台湾人の友人たちと旅行に行ったときに、たまたま電車に乗り合わせたまったく知らない台湾人のおばさん

とおしゃべりが始まり、

(台湾人というのはとにかく誰とでもすぐおしゃべりができる人種なのだ)私の話になると、

「台湾語が話せないの?台湾にいるんだったら、台湾語を勉強するべきよ」と言われた。

私はすぐにムカッときた。台湾語を勉強するべきかどうかは、私が自分で決める。

大きなお世話もいいところだ。

中国語だけでも、普段の生活なら困ることはない。ただ、もっと人と(特に年上の人と)スムーズにコミュニケーションを取りたかったら、

台湾語が話せたほうがいい、という、オプションなのだ。

もちろん、台湾人にとって台湾語は、愛着のある言語、一種の誇りなのかもしれない。

だけど、それを外国人に押し付けるのはどうなのかと私は思う。

 

大阪に住む外国人が、絶対に大阪弁を話さなきゃいけないとしたら、相当な苦労じゃないだろうか。

私はそこまで要求する必要はないと思う。コミュニケーションができれば、片言でも、笑顔だけでもいい。そうじゃないのだろうか。

 

自分が海外にいる「外国人」という立場に立ってみて初めて、いろんなことが見えてくる。

愛国心や何やら、自分の胸に誇りをかかげるのはいいが、それを外国人に押し付けるのは行き過ぎている。

だから、日本の最近のテレビ番組を見て、ちょっとため息をつくこともある。

 

話はそれたが、そういうわけで、日本には方言はあっても、基本的に日本人の言語は日本語一つ、

海外のような複雑な言葉の問題というのはない。それは、ある意味幸せなことなのだろうと思う。