日本移住のきっかけ 1. | 国際結婚と中国語と、ときどき猫と村上春樹

国際結婚と中国語と、ときどき猫と村上春樹

国際結婚のこと、猫のこと、中国語のこと、料理のこと、音楽のこと、買い物のこと、日々のこと、好きな村上春樹さんの小説のこと。

どうして台湾生活を経て、日本に移住することにしたか、

そのことについて書いていきたいと思う。

理由はいくつかあるのだが、その中で、

私たち夫婦が台湾で生活を送る上で一番とも言える大きなネックになった、

言葉の問題を中心に取り上げようと思う。

 

まず私は、台湾に来るまで中国語を勉強したことはまったくなかったので、

「ニイハオ」以外は一言もしゃべれない状態で台湾に来た。

不安も多少はあったが、正直、同じ漢字圏だし、英語もそこそこしゃべれるから、

何とかなるだろう、と楽観的に考えていた部分もあった。

しかし台湾についてから、当たり前だけどすべてが中国語(と台湾語)の日々。

当然だけど、旦那の家族がしゃべっていることも、ニュースでしゃべっていることも、

店員やバスの運転手がしゃべっていることも、すべてがわからない。

あとから思えば、よくこんな状態できたものだ。

このことは改めてあとで書きたいが、台湾人である旦那と一緒に台湾に来て

一緒に暮らすのだから、大丈夫だろう、という気持ちが心の中にあった。

要するに、相手に甘えて頼りきっていたのだ。

もちろん、国際結婚をするとなったら、ある程度相手に頼るということは当たり前なのだけど、

それでも私の中の甘え、依存は大きすぎたのだと思う。

だから、こっちに来てからの精神的ショックは大きかったし、

最初の一年くらいはずっと、お店で物を買ったりして現地の人としゃべるのが怖かった。

一人で出かけるのが怖かった。

そして、旦那の親戚や友達と会って食事をしたりすると、決まって後で

「全然何言ってるかわからなかった。。」と落ち込み、泣いた。

初めのころは、鬱気味になったし、本当にほぼ毎日泣いていた。

心の中には、なかなか中国語が聞き取れない・しゃべれないことへの焦りと、

自分の意気地のなさ、うじうじしていることへの嫌悪感とで、

精神的に不安定だった。

 

そして心の中では、旦那への不満も渦巻いていた。

「私はまだまだ中国語ができないんだから、どうしてもっと、家族や友人との会話を訳して

教えてくれないんだろう」

(当時は、旦那と私は英語でコミュニケーションを取っていた)

だから、時々そのことで爆発しては喧嘩になった。

旦那の言い分はこうだ。

「家族や友人と話しているときに、逐一通訳することなんてできないよ。

まず第一に、自分にそれだけの能力はないし、第二に、それじゃ相手にも申し訳ないよ。」

一番目の理由は、私もそれなりに納得した。

私たち夫婦が日本にいる間、私の家族としゃべっているときなど、私だって一つ一つ全部通訳してあげることは

不可能だったからだ。でも、第二の理由に関しては、理解できる部分もあるけど、

心の奥底では納得できていなかった。

「だけど、私はあなたのために、台湾まで来たんだ。それも中国語がまったく話せない状態で。だから、

話している相手を優先するんじゃなくて、私のことを最優先するべきなんじゃないの?」

そういう思いがあった。

 

たとえ「台湾で一緒に暮らさないか」と提案したのが彼のほうだったとしても、

私は私で「うん、そうする」と請け合ったのだ。だから、二人でちゃんと決めたこと、なはずだった。

けれど、一年間のワーホリの最後の最後で急に決めた、「台湾暮らし」の選択を、

私はきちんと心から納得して受け止めていなかったんだと思う。

オーストラリアにワーホリに行った理由もまたいろいろあるが、ワーホリで英語を勉強したあとは、日本に帰って、

英語を使った仕事をしたいな、とぼんやり考えていたくらいだったから、突然自分の将来が大きく変わっていくことに、

心が全くついていかなかった。

だけど、大好きな彼と離れたくはなかった。だから、私が台湾に行って一緒に暮らすことが、現実的に唯一の選択肢だと

思った。

 

自分が甘く考えていた、きちんと深く考えずに台湾行きを決め、国際結婚に踏み切ったことが、

私の心の問題をここまで大きくしたのだと思う。

 

台湾で語学センターに通い、日常会話程度の中国語なら、なんとか大丈夫なくらいになっても、

私の中の中国語に対するコンプレックスや恐怖は、なかなか消えなかった。

人と会話して、「聞き取れた部分」よりも、「聞き取れなかった部分」にフォーカスしてしまう自分がいた。

だから、誰と話しても、どこか楽しくなくて、その人と話しおわって家に帰ったらまた泣く、ってこともちょいちょいあった。

そういうのを旦那は全部見てきたし、私のストレスのはけ口はすべて旦那にいってしまった。

旦那は何度も辛抱強く受け止めてくれたけど、それでも時々はやってられない、と思ったのだろう、それでまたたくさん

喧嘩になった。

 

日本行きを決めた理由は他にもある。台湾の住環境よりも、日本のほうがいいと、客観的に判断した部分もある。

だけど、心の奥底には、このまま私がこんな風に台湾でネガティブな気持ちのままでいるのなら、これ以上

こんな風に繰り返し鬱な気持ちになる生活を続けていくのはいやだ、という気持ちがあるのではないか、

という気持ちが拭い去れない。

もちろん、こういう考えは私自身の中にもある。自分の中にもあるからこそ、旦那もきっと同じように考えているんだろう、

という風に考えてしまうのだ。

 

私たちが夢見る生活は、シンプルで、心地よい、二人仲良く歩んでいける暮らし。ただそれだけだ。

ただそれだけが、ものすごく難しい。

日本に行ったら、すべてが解決するなんて思っていない。事態はあるいはもっと悪くなるかもしれない。

「台湾での生活がだめだから、日本で生活してみよう」

ただ単純にそう考えているわけではない。もしそんな考えだけで移住を決めたのだったら、

それは逃げであり、結局日本でもうまくやっていけないだろうということは、目に見えている。

この何年かの間に、何度も日本と台湾を行き来し、(日本は短期滞在)日本の田舎でWWOOFをするという体験を通して、

「日本の田舎で暮らしてみたい」と二人の思いが一致したのは、一つの大きなきっかけだった。

 

 

旦那は、ここ二年で日本語を勉強して、日常会話ならたどたどしくも話せるくらいまでになった。

大事なのは、私たちが現実的に生きていけるだけのスキル(語学力、仕事の能力)であり、

夫婦がお互いきちんとコミュニケーションを取り、支えあって、助け合っていけるかどうか、だと思う。

私はそのために、きちんと自分の心を見つめなおさなければいけないと思うし、

台湾で「こういう生き方はもう嫌だ」、「こういう喧嘩はもういやだ」と思った部分を、

繰り返さないように、自分自身を強くしていかなければいけないのだと思う。

少なくとも、ここ一年ぐらいで、旦那に対して

「どうして訳してくれないの」

と責めるような気持ちを持つことはほとんどなくなった。

むしろ、この5年間、ずっと一番そばにいて、支え続けてきてくれたことに感謝している。

 

国際結婚は本当に大変だと思う。精神的に、常にポジティブでマイペースなくらいでないと、

本当にやってられないのではないか。

 

周りの友人たちからは、国際結婚してから、だいぶたくましくなったよ、と言われることが増えて、

それはとてもうれしい。でも、自分はまだまだだと思っている。

もっと、きちんと精神的に独立した人間になりたい。そうでなければ、夫婦生活は成り立って行かないのだと思う。

これは国際結婚に限ったことではないが。

 

太極拳やヨガ、瞑想について少しずつ勉強しているのも、すべては二人の生活を、少しでもよくしていきたいからだ。

まだまだ自分の心の弱い部分はたくさんあって、悲しい気持ちになるたび、怒りがやってくるたび、過去に引き戻されそうになる。

自分は結局、何一つ変わっていないのだ、と。

だけど、本当はそんなことはないはずだ。どんなに今が苦しくて、未来への不安や過去への後悔でいっぱいでも、

一歩一歩前へ進んでいる。そう信じたい。