222-6(泥流(でいりゅう)は自然(しぜん)を荒らす(あらす)ことはできても、人(ひと)の心(こころ)まで荒らす(あらす)ことはできないはずだ) ようやく耕作(こうさく)はそう思った(おもった)。 ―(ー) いったん濁流(だくりゅう)に飛び込んだ(とびこんだ)拓(たく)一(いち)が助かった(たすかった)のは更(さら)なる大きな奇跡(きせき) 拓(たく)一(いち)が、朝(あさ)から晩(ばん)まで、泥(どろ)田(た)の中(なか)で流木(りゅうぼく)整理(せいり)に力(ちから)を注いで(そそいで)いることに、腹立たしく(はらだたしく)なっていた。復興(ふっこう)の見込み(みこみ)も立たぬ(たたぬ)土地(とち)なのだ。(火山(かざん)の亜硫酸(ありゅうさん)や硫黄(いおう)などで植物(しょくぶつ)が育たない(そだたない)のではの懸念(けねん)) ―(ー)