中国語の尿療法実践者の体験談をご紹介③ | spiritualurine2024のブログ

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尿療法で九死に一生を得る——

尿療法で前立腺癌を治癒

 

『尿療者が語る尿療法』

吉林省移動通信会社 退職幹部 王静波

 

予兆

 

 

2005年8月20日夜10時、

数年前に患った前立腺の病気が再発しましたが、

今回の発作は以前とは全く異なり、

頻尿や急な尿意ではなく、

尿が出ず、汗だくになり、

痛みで生き地獄のようでした。

 

一晩中苦しみました。

翌朝、息子と娘、

そして妻が急いで吉林医科大学第二臨床病院に連れて行ってくれ、

初診の後、すぐに導尿が行われ、その後泌尿科に入院しました。

 

私は生涯大病を患ったことがなく、

ずっと体が頑健でした。

 

近年、なぜか体が次第に痩せてきて、

老いて体が日増しに衰えるのは自然の摂理だと考えていた。

 

仲間たちは「痩せたね」と言い、

私は冗談半分に「痩せるのは良いことだ、

歩くのも軽快で、老いて痩せるのも悪くない」と言っていたし、

入院は私にとって初めての経験でした。

 

絶望

8月25日、

吉林医大二院の二人の教授が自ら「気化電切手術」を行い、

病巣を無事に切除しました。

 

切除された病巣を病理検査したところ、

癌細胞が見つかり、

低分化の5+4で、

ECT骨スキャンでさらに転移があることがわかり、

骨盤に転移が確認された。

 

病歴には「多発性骨転移、左肋骨、右腸骨、第五椎体」と書かれ、

最終診断は前立腺癌術後第IV期、多発性骨転移とされた。

 

医師は、やがて麻痺が来ると告げた。

この晴天の霹靂に、妻と子供たちは恐怖に震え、

私に隠れて泣いていました。

 

彼らの異常な様子に気づき、

病状が良くないことを悟り、

不治の病にかかったことを予感しました。

 

私は彼らに

 

隠さないでくれ。

私はもう80歳で、

数十年の風雨を乗り越えてきた。

 

旧社会では、70歳まで生きるのは稀で、

父は59歳、母は62歳、兄も72歳で、

私ほど長生きした者はいない。

 

私は高齢だ。

新社会のおかげで

これほどの長寿を得たのだ

と語りました。

私は楽観的な性格で、

戦争の時代にはいつでも犠牲になる可能性があったし、

「四人組」の時代も恐れず動揺しなかった。

今病気の前で逃げるわけにはいかない。

一再の追及の末、ついに真実を話してくれた。

 

誰もが知っているように、

癌は現代医学では解決できない難題だ。

 

私は18日間入院し、

15000元以上を費やし、

退院して家に戻り、

死を待つばかりだった。

 

帰宅後、病状はますます悪化し、

腰や骨盤などの部位が絶え間なく痛み、

頻尿、不眠、寝汗、背中の痛み、食欲不振に悩まされ、

半月で体重は105斤から95斤に減少した。

 

息子と妻は焦り、私は夜も眠れなかった。

このまま彼らを置いて逝ってしまうのか?

息子と妻は私の病気を治すために方々を駆け回り、

医者を求めて薬を探し、

幾つかの大病院を選び抜いた末、

9月23日に市外にある知名度の高い病院に入院した。

精密検査の結果、

尿路感染が非常に重篤で、

顕微鏡で確認できる範囲に赤血球と白血球が充満し、

特に赤血球が多く血尿が出ていました。

 

消炎のため、静脈点滴を開始し、

毎日4本の点滴と2本の酸素吸入を行いました。

10日間の治療後、尿検査を行いましたが、

結果は変わらず赤血球と白血球で視野が埋め尽くされていました。

 

数日休んだ後、

2回目の点滴治療を行いましたが、

尿検査の結果は同じでした。

 

3回目の治療でも改善は見られず、

血管の状態も悪化し、

看護師たちは点滴をためらうようになりました。

 

医師に「もう点滴はやめて、内服薬を処方してください」と頼みました。

 

この間、3400元もするアメリカの輸入薬「ゼタイ」注射液を動脈注射し、

1600元もするドイツの輸入薬「コンステッド」を内服しましたが、

4ヶ月以上経っても、10万元以上費やしても、

血尿などの問題は解決しませんでした。

 

私は完全に絶望しました。

 

癌が骨に転移し、

末期癌になったことは明らかで、

末期癌患者が生き延びることはまず不可能です。

 

現代医学は発達していますが、

癌に対してできることは限られた延命だけで、

完治の可能性はありません。

 

残りの人生は、

ベッドの上で飲食し、排泄し、眠り、

家族に耐え難い負担をかけることになるでしょう。

 

外出できるのは車椅子に乗って太陽を見る時だけになるでしょう。

 

人生の終わりが近づいていることを悟り、

妻と葬儀について話し合い、死を待つことにしました。

 

しかし、生きることを諦めたくないという気持ちが芽生えました。

諦め、消極的になり、死を待つことは、無責任な臆病者のすることだと感じました。

 

私が死ねば、私は解放されますが、家族はどうなるのでしょうか?

苦労をかけた妻を傷つけ、子供たちに苦しみを与えることは、

想像を絶するほど耐え難いことです。

 

癌に打ち勝ち、生還できないのでしょうか?

かつて敵と戦った時の根性と勇気を奮い起こし、

癌と生死をかけた闘いをすることを決意しました。

 

 

諦めないで見つけた生還への光

 

 

病の苦痛に耐えながら、

再び図書館に通い、様々な資料を読み漁りました。

 

ある日、遼寧省阜新市の書店で

健康に関する様々な資料が

販売されていることを新聞で知り、

早速購入しました。

 

その中に、台湾の石尚儀氏が翻訳した、

日本の医学博士・立石和医師の著書『野菜スープ強健法』があり、

私の目を引きました。

 

まるで干天の慈雨のように、

私は夢中になって読みました。

 

この本には、

野菜スープ強健法、尿療法、玄米茶強健法という

3つの健康法の効能が書かれており、

特に野菜スープのゴボウ(日本語でゴボウ)が、

抗がん作用や老化防止、長寿に効果がある

主要な健康食品であると紹介されていました。

 

ゴボウという名前を見て、

子供の頃、満州の植民地で、

日本人が毎年秋になると農村部でゴボウを

大量に安く買い取っていたことを思い出しました。

 

物心ついた頃から、秋になると、

日本人は偽警察を派遣し、農家に山や道端、畑などで

野生のゴボウを掘るよう促し、それを安く買い取っていました。

 

そして、列車で日本に運んでいました。

彼らは何のためにこの野菜を集めていたのでしょうか?

 

日本人は秘密を守り、口を閉ざしていました。

60年が経ち、日本は世界で最も長寿の国の一つになりました。

 

60年後の今日、その秘密がついに明らかになりました。

60年前から、日本人はゴボウを国民にとって欠かせない美味しい食材として、

食卓に並べていたのです。

 

私たちの先祖が残してくれた中医薬の宝庫であるゴボウを、

賢い日本人は活用し、日本人の老化防止と健康長寿のための養生食としていたのです。

 

現在、ゴボウは再び日本でブームになり、

台湾にも広がっています。

 

日本、韓国、東南アジアなどで注目を集め、人気があり、

健康長寿の話題で持ちきりです。

 

この本には、末期癌の治療法として、

野菜スープと尿療法が紹介されていました。

 

尿を飲むことで病気が治るという話は、

子供の頃に童子尿が薬になると聞いたことはありましたが、

自分の尿を飲むことで病気が治るという話は聞いたことがありませんでした。

 

半信半疑でしたが、

遼寧省尿療法協会が発行している『尿療法簡訊』を詳しく読んで、

遼寧省委の元第一書記である郭峰氏が率先して自分の尿を飲み、

複数の病気を治したという記事を知り、私は確信しました。

 

 

祈る様な気持ちで何かを探す時、人はその答えを驚くべき方法で見つけ出します。

 

空腹と飲尿と五行野菜スープと玄米茶、そして諦めない先に見つけた奇跡の日

今年(2006年)1月20日から、

私は立石和の医師の「野菜スープ健康法」に従って、

毎朝最初の尿の中間部分30mLと野菜スープ150mLを空腹で飲み、

昼間はさらに600mLの野菜スープと玄米茶を飲んで、

癌の治療を行い、抗癌戦線に加わって命を守る戦いを始めました。

 

前立腺の病気と前立腺癌の症状は同じで、

頻尿、急な尿意、尿閉があります。

 

以前は尿意を我慢できずにズボンを濡らしてしまうことが多く、

街に出るのが怖かったです。

 

退院した日から、散歩することができなくなりました。

頻繁にズボンを濡らしてしまうので、

仕方なく生理用ナプキンを下着に貼り付けていました。

それでもズボンを濡らしてしまい、

夜中に10回以上もトイレに起きてしまい、

酷い不眠に悩まされていました。

 

昼も夜も休めず、

全身に力が入らず、盗汗が出て、

食欲がなく、背中が痛み、

特に毎晩の尿は濁っていて深紅色で底が見えず、

異臭がしました。

2ヶ月も経たないうちに体重が5キロも減りました。

 

野菜スープと尿を飲み始めて20日目の2月10日頃には、

症状に変化が現れました。

 

最も顕著だったのは、

尿の濁りと深い色が薄くなり、

痛みも軽減したことです。

 

この変化は、

再び病気に打ち勝つ自信を与えてくれました。

 

死を待っている人が生の希望を見つけた時の

心境は言葉では表現できないものです。

私は救われた、生きる希望があると感じました。

 

私は引き続き野菜スープの指示通りに勇敢に飲み続けました。

その間、全身の痒み、極度の疲労、目の痛みと痒み、

涙が出る、目やにが出る、浮腫み、患部の激しい痛み、

視界のぼやけなどの現象が起きましたが、

これは排毒反応であり、好転反応だと理解していたので、

揺らぐことなく飲み続けました。

 

2ヶ月後、奇跡が起こり、

夜中にトイレに行く回数が10回以上から3~4回に減り、

眠れるようになり、尿の色が薄くなり、粘りがなくなり、

異臭が消えました。

 

好転反応が過ぎた後、

野菜スープと尿の摂取量と回数を増やしました。

 

3ヶ月後、驚くべき効果が現れ、

この間に2~3回B超検査を受けました。

発病のピークだった2005年末の初回検査結果は27.0で、

体の関連臓器の機能低下、生殖泌尿器系の病気が深刻でした。

 

野菜スープを飲み始めて3ヶ月後の4月22日の再検査では、

指標が27.0から1.0に減少し、正常値になっていました。

尿路感染の炎症も消え、症状もなくなりました。

体重は7キロ増えて病前の55キロに戻り、食欲が増し、

食事がおいしく感じ、眠れるようになり、生活の質が大きく改善しました。

精力が充実し、パソコンの前で数時間仕事をしても疲れを感じなくなり、

下着に貼っていた生理用ナプキンも捨てて、

外出して散歩できるようになりました。

さらに驚いたことに、

長年の禿げと白髪が黒くて硬い髪に生え変わりました。

 

身体の回復状況をさらに確認するため、

5月19日の午前に大病院で全身検査を受けました。

 

午後、その病院の腫瘍科主任から電話があり、

 

検査結果が出ましたが、

今朝検査を受けたのはあなたですか?

 

と突然聞かれ、私は驚きました。

 

主任は

本当に不思議です。

血液や尿などの各指標が全て正常です!

と言いました。

 

この言葉を聞いて、

私は喜びでいっぱいになり、

電話を聞いていた子供たちも跳び上がって喜びました。

 

お父さん、生き返ったね!

と言いました。

 

 

 

5月20日に病院から検査結果を受け取ると、

尿検査報告書には赤血球0、白血球2-6と

正常値が示されていました。

肝臓、腎臓、胃、心臓、前立腺などの

超音波検査結果も全て異常がありませんでした。

 

癌を完全に克服し、

抗癌戦の成果を固めるために、

私は野菜スープと尿を混ぜて飲む治療法を続け、着実に実践し続けました。

 

  諦めなかった先の思わぬ副産物

 

7月中旬には、半年間の抗癌戦を経て、

身体の回復状況はさらに良くなり、

何十年も黄顔婆だった私は

健康的で精力旺盛な状態になりました。

 

頭髪は両側に少し白髪が残るだけで、

ほとんどが黒髪になりました。

 

さらに驚いたことに、

数年間眼鏡なしではテレビや新聞が見えなかったのが、

眼鏡なしで見えるようになり、

長年前かがみで歩いていた足も力強くなりました。

手の老人斑も薄くなりました。


これらの驚くべき変化を確認するため、

7月20日に吉林医大三院で再度尿検査を受けました。

 

結果はさらに驚くべきもので、

検査結果の15項目全てが陰性に転じ、

加号もなく、赤血球も白血球も0になりました。

自分自身、精力と体力が若い頃に戻ったように感じます。

同志たちは「この老人は顔色が良く、ますます若返っている」と言います。

 

精神を振り絞り、勇敢に病と闘い、

五行野菜スープと尿療養法を続けていきます。

癌との闘いで初歩的な勝利を収めましたが、

病気の再発は予測できないため、

今後も病と戦い続け、全面的かつ完全な勝利を収めるまで努力を続けます。

 

 

 立石野菜スープに言及しているいくつかのサイトや動画リンク

 

 

 

 

 

 

 

 

尿療法は、その人の本来の生命力を高めます。お薬ではないので一朝一夕ではなかなか結果が出ませんが、諦めずに継続して行い、尿療法だけで慢心せず、食事を見直し、生活を見直し、様々な健康法と組み合わせて心身を整える事で、最後に奇跡を見せてくれます。この話があなたにとって魂を鼓舞し、生きる朗報となる事を願っています。