東日本大震災から13年 | ~ハンドメイドとLAM闘病日記~

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オリジナル造形アクセサリー制作をしている
和道工房(wadou-koubou)と申します。

ここ最近、大きな地震が日本各地を襲っている現状に恐怖しか無いです。

身をもって恐怖を感じたのはやはり3月11日の「東日本大震災」

 

家には慎吾と私。

 

当時は在宅酸素で2ℓ吸引だったのでまだ動けていました。

 

壁に吊り下げてあるチェーンやネックレスが一斉に横揺れ。

思わず悲鳴。

 

即座に在宅酸素からボンベへ切り替え

家の玄関を開けリビングのテーブルの下に毛布を引いて

慎吾に洋服を着せてからリードを付け

防災バックに慎吾のご飯と水を詰めこんで

急いでテーブルの下へ入り慎吾を抱きかかえていました。

 

一瞬揺れが収まったところでさらに食料と2ℓの水をバックに詰め込み

玄関へ行き慎吾を片手で抱いて防災バックと酸素カートを片手で持ち上げ

3階から1階へ降りたんです。

 

今では信じられない怪力。

当時LINEは問題なく繋がって家族や友達と連絡が取れたのを覚えています。

 

何故か私は車へ避難。

これ絶対にやっちゃいけない行動だと後から知りました。

 

そして一番恐怖を感じたのがコンビニやスーパーから物が無くなった事。

乾電池も消えちゃって酸素ボンベが動かなくなる可能性がでてきました。

 

そしたらなんと次の日に今足りないものは無いかと区役所の女性の方が家まで来てくれたんです。

乾電池が無いと在宅酸素が使えなくなるのでどうしようかと思っていたと伝えると、

なんとその女性は役所へ戻って職員全員から乾電池を集めて持ってきてくれたんです。

 

あまりの温かさに泣きました。

今の世の中にこんなに優しい方がいらっしゃっただなんて。

 

当時の担当の女性の方が誰だったのか解らずお礼が言えないまま。

 

トイレットペーパーが町から無くなった時は

往復1時間半もかけてトイレットペーパーを持ってきてくれた友人にも

もう10年も連絡が取れないままです。

 

もうもう数えきれないぐらい周りの人に助けられてきました。

災害が起こるたびに思う「自分はなんて無力なんだろう」

 

もし自分が健康体なら自分で車運転して被災地へ行って炊き出ししたい。

被災地の方々に少しでも気がまぎれるようなワークショップも出来たらいいのに。

 

犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げますと共に

今も現地で復興に勢力を注いでいらっしゃる方々に少しでも協力できたらと思います。