先日「タイム」という映画を見ました。
時間をテーマにした映画でした。
あらすじは、大体次のような内容だったと思います。
舞台は、人類が遺伝子操作によって、25歳から年を取らなくなった世界です。
25歳を迎えると同時に、肉体の老化が停止するのです。
しかし、肉体の老化が停止するからといって、絶対に死なないというわけではありません。
25歳までは普通に生きられるのですが、25歳を迎えた瞬間から、左腕に時間表示が現れます。
全ての人は、この時間表示が0になった瞬間に、死を迎えるようプログラムされて生まれてくるのです。
25歳になった瞬間に、1年の寿命が付与され、カウントダウンが始まります。
そのため、何もしなければ26歳で死んでしまうのです。
この世界では、時間(寿命)が通貨となり、時間は労働の対価として与えられることになっています。
そのため、この世界では、人は自らの寿命を自分でコントロールすることができるのです。
裕福な人達は、有り余る程の時間を楽に稼ぐことが出来るため、永遠に等しい時間を生きることが出来ます。
しかし、貧困層の人々はスラムのようなところに隔離され、必死で働いても、その日一日分の寿命を稼ぐので精一杯なのです。
必死で毎日働いても、決して生活は楽にならず、どんどん減っていく寿命を気にしながら日々生活しています。
彼らは、毎日を生き抜くのに必死で、この制度に疑問を持つ暇もありません。
しかしこの仕組みは、一部の人達が永遠の命を手にするために、貧困層の人々に過剰な労働を強いるという、支配システムだったのです。
この方法ならば、貧困層の人々は勝手に死んでいくため、人口が過剰になることを防げるうえに、特権階級はいつまでも楽な仕事をして、永遠に近い命を手にすることが出来るからです。
そのことに気付いた貧困層出身の一人の若者が、この不平等なシステムを破壊しようと立ち上がる、という物語です。
まさに「時は金なり」という言葉をそのまま映像化したようなストーリーでした。
今回は時間というものについて書いてみたいと思います。
そもそも時間とは何なのでしょうか?
1秒という単位がありますが、1秒の長さを1秒とすると、誰がどのようにして決めたのでしょうか?
当たり前のように受け入れていることですが、意外と知らないものですね。
私の知識では、考えても分からなかったのでインターネットで調べてみました。
調べてみると、もともと1秒という時間の長さは、地球の自転をもとに決められたものなのだそうです。
地球が1回自転するのにかかる時間は、日の出から、次の日の日の出までの時間です。
その時間を24で割った時間を1時間とすると決めたそうです。
さらにそれを60で割った時間を1分とすると定めました。
その時間をさらに60で割り、1秒という時間を定めたのだそうです。
しかし、その後、地球が自転する時間は、数年毎に微妙に変化するため、この定義だと誤差が生じてしまうことが分かったそうです。
そのため、より正確な基準を用いる必要が出てきました。
そこで新たに、1967年の国際度量衡総会という世界の単位を定める会議において、「セシウム133という原子が、91億9263万1770回振動する時間を1秒とする」という基準が採用されたのです。
つまり、現在私たちが1秒として認識している時間は、わずか47年前に定められたものなのです。
しかも、この基準は後から人間が定めたものであり、最初から存在していたものではないのです。
時間と言うと、つい絶対の基準のように考えてしまいがちですが、決してそうではないのですね。
あくまでも人間が作った一つの基準でしかなく、しかも流動的なものなのです。
バシャールも、時間は私たち自身が作り出している見方の一つに過ぎないと言っています。
この動画が分かりやすいと思います。
こちらは、PCだと日本語訳が表示されるのですが、スマホなどで見ると日本語訳は表示されません。
こちらは、スマホでも日本語訳が表示されます。
スマホで読んでくださっている方は、こっちを見てみて下さい。
私たちがワクワクしている時、時間は存在しないのですね。
5時間を30分に感じたのならば、30分しか年をとっていない、というのは非常に興味深いですね。
確かに、いつも元気でワクワクして自分を生きている人は、年を取るのが同年代の人よりも遅い気がします。
逆に、いつも苦労が絶えず、疲れた様子で日々を生きている人は、同年代の人よりも年を取るのが早いように思います。
私は、最近時間の流れが加速しているように感じます。
もしかしたら、ワクワクして本当の自分を生きている人が増えてきているため、全体として時間の流れが速くなっているのかもしれませんね。
意図したことが実現するスピードも以前より早くなっています。
同じように感じておられる方、多いのではないでしょうか?
このまま時の流れが加速していくと、いずれ過去と現在と未来とが収束していき、一つになるのではないでしょうか。
そうなると、中山康直さんが仰っていたように、全てが「今、ここ」に存在するようになるのだと思います。
その時に、本当の意味で私たちは時間を超越し、自由な存在となるのかもしれませんね。
前世・来世という区別も本来は存在しないのだそうです。
動物の魂が人間に転生する時には、何匹かの動物の魂が一つにミックスされ、その魂が人間に転生するそうなのですが、転生先は必ずしも未来とは限らないのだそうです。
未来ではなく、過去に転生する場合も在り得るそうです。
転生というと、つい未来のことだと考えてしまいますが、非物質の世界には時間と空間の概念が存在しないため、過去に転生することも可能なのだそうです。
そう考えると、私たちが前世・来世と呼んでいるものも、あくまでも人間が三次元的な過去・現在・未来という直線の時間軸で捉えたものに過ぎず、本来は「前」や「先」といった区別は無いということになります。
すべてが現在という瞬間の中に存在しているからだそうです。
私が子供の時に、ビートたけしの番組で、恐山のイタコさんを呼んで、芸能人の前世をリーディングするという企画がありました。
リーディングする芸能人は何故か牛や馬など動物の前世が多く、出演者はそれを聞いて大笑いしていましたが、それもあながち嘘とは言えないのです。
もしかしたら、自分のご先祖様の過去生が、自分が可愛がっていたペットである、ということもあるのかもしれませんね。
毎日忙しく過ごしていると、つい時間に縛られてしまうこともありますが、たまには「時間というものは絶対的なものではない」ということを思い出してみてください。
ちょっと余裕がうまれるかもしれませんよ。
読んでいただきありがとうございます。
ps.最近特に、時計の針が進むスピードが速くなったように感じます。
みなさんはどうですか?
画像は、地球上で最も時間に詳しい人々と言われる、マヤの人達が作ったカレンダーです。
マヤとは、周期・時間という意味なのだそうです。
![精神世界の中心でブレイクダンスを踊る-マヤカレンダー](https://stat.ameba.jp/user_images/20130513/02/spiritual-b-boy/4d/4f/j/t02200165_0800060012536872912.jpg?caw=800)