出来ない言い訳を「上手に」言える。
わたしたちオトナはたいていがそうだ。
本当は「出来ない」のではなく
「やらないを選んだ」
だけのことなのに、
その「やらない理由」をあたかも「外側からの」
まるで「仕方がないこと」のように
自分に
他人に
「仕向ける」ことが出来るのだ。
これはある意味「頭がいい」と言える。
もしかしたら「頭がよすぎる」のかもしれない。
そうして、
だから
夢はカタチにならない。
理想は手に入らない。
だって「とても上手に」「ウソをつくから」
自分に
他人に
それはもう「スムーズに」
まるで「息をするように無意識に」
まるで「気づかないを装って」
本当のことから視線を逸らすのだ。
*****
わたしは最初の本の出版では、
オファーいただくまでに9カ月ほどかかっている。
けれども当時9歳の甥っ子は、
テストの点数が「8点」から「92点」まで上がるのに
「60日」でカタチになった。
子供たちが現実化が早いのは
そういう「濁り」が少ないからだと思う。
自分に嘘が少ない。
他人に嘘が少ない。
エイブラハムの本でも
「60日あればカタチは現れる」と書いてある☆
だからなかなか・・「カタチにならない」・・
というか、
おそらく無意識に
「カタチを創らないを選んでいる」ヒトたちは
そろそろ気づかなければいけない。
自分に
他人に
やらない選択を「まるで他人のせいに」していること。
やらない言い訳を「上手に」していること。
本当のことから目を逸らしてるのは「わたしだ」ということ。
そういう
あなたがやってる「複雑なものたち」に。
「だって」
「でも」
「そうはいっても」
「あの人が・・・」
「世間が・・・」
「会社が・・・」
「お金があれば」
「もっと若ければ」
「都心に住んでいたら」
このような言葉がスッと
オートマチックに浮かぶヒトたち☆
きっと、このさきどれだけやっても
うまくいかないかもしれない。
だってそれは「本当ではない」からだ。
まずは「気づいて」欲しい。
自分が「どんな言葉を使っているのか」
自分が「どんな気持ちを抱えているのか」
自分のナカにある
「いま(おそらく無意識に)やってるジャッジ」に
「気づくこと」
それは「起点」になる。
「気づき」とは
モノゴトの始まりの「点」を創るってことなのだ。
*****
何度も言うが、
ネガティブとはただのサインです。
良いとか悪いとかそういうんじゃない。
*たしかに「わたしの気分は悪い」けれども
本当は、
自己嫌悪や嫉妬に陥るための
手段として扱うモノじゃない
んだよ☆
*というか、そうなったあとが大事なの
ネガティブは「起点を創りだすサインだ」ってだけ。
だからそのサインに「気づいたら」
それは
「ここからもっと良くなることを
己が己にするサインだ」
ということだ。
「だって」と言っていることに「気づいたら」深呼吸だ。
「世間が」と言っていることに「気づいたら」深呼吸だ。
「あの人が・・・」と言っていることに「気づいたら」深呼吸だ。
そういう「複雑な」
「上手な言い訳」を
とにかく「一旦、中止する」のだ。
そうやって「気づくをする」をして、
「中止をする」を
とことんやってみることだ。
叶えたい願いを抱えているのは「わたし」だ。
それならば、とことんやってあげたらいい。
*まずは「量」だ
わたしのために。
わたしがやるのだ。
2022年6月7日の本日。
すでに「10時間」が経過している。
この10時間の間。
いったいどれほど「気づき」「中止をする」をやれましたか???
*6割発進と創意工夫、やれていますか???
すべてはとてもシンプルなのだ。
己が己にしていることが、
カタチになっているだけ。
誰も。
なにも。
あなたの人生を創れない。
あなたが選び
あなたがやっているだけ。
カタチ創れるヒトたちは
「意図して」「選び」
「やりたいをする」または
「やらないをしない」でいる。
カタチ創らないヒトたちはたいてい、
「惰性で」「選び」
「やりたくないをする」または
「やるをしない」でいるのだ。
かけがえのない今日という日☆
もう二度とやってこない「いま」
あなたはどちらの人生を「生きて」いますか???
そうして
もう二度とやってこない「いま」「ここから」
どちらの人生を「生きる」のでしょうか☆
すべてのヒトに同等に平等に☆
「選べる自由があります」よ❤
☆☆☆☆☆
さぁ☆今日も☆
いま、ちょっと瞼を閉じて
深呼吸を3回してみましょう☆
それだけで
波動のチューニング完了です(#^^#)❤
今日も創造的な一日❤
楽しかったですね☆
いってらっしゃ~い☆
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