「合理的な説明に対する私たちのマニアは、明らかに形而上学に対する恐怖にルーツがあります。なぜなら、二人は常に敵対的な兄弟だったからです。 したがって、暗闇の領域から私たちに近づいてくる予期せぬものはすべて、外部から来たものであるため本物であるか、そうでなければ幻覚であるため真実ではないとみなされるかのどちらかです。 外から来ていないものは何でも本物である、または真実であるという考えは、現代人にはほとんど芽生えていません。
 - カール・ユング

“Our mania for rational explanations obviously has its roots in our fear of metaphysics, for the two were always hostile brothers. Hence, anything unexpected that approaches us from the dark realm is regarded either as coming from outside and, therefore, as real, or else as a hallucination and, therefore, not true. The idea that anything could be real or true which does not come from outside has hardly begun to dawn on contemporary man.”
― Carl Jung

 

 

慣習や法律の遵守は、非常に簡単に嘘を隠すための隠れ蓑になり得る。
あまりにも巧妙なので、私たちの仲間の人間はそれを見抜くことができない。それは、私たちがあらゆる批判から逃れるのに役立つかもしれないし、私たちは明白な正義を信じて自分自身を欺くことさえできるかもしれない。しかし、一般人の良心の奥底では、彼の正しさが世論や道徳規範によってどれほど支持されていようとも、「何かがおかしい」とささやく声が聞こえる。

カール・G・ユング、フランシス・G・ウィックスの「子供の内なる世界」の序文より、1931年

Observance of customs and laws can very easily be a cloak for a lie
so subtle that our fellow human beings are unable to detect it. It may help us to escape all criticism, we may even be able to deceive ourselves in the belief of our obvious righteousness. But deep down, below the surface of the average man's conscience, he hears a voice whispering, "There is something not right," no matter how much his rightness is supported by public opinion or by the moral code.

Carl G. Jung, in the introduction to Frances G. Wickes' "Analysis der Kinderseele" (The Inner World of Childhood), 1931

 

「幸運なことに、生まれながらに社会的な条件付けによって植え付けられた幻想的な世界観を遅かれ早かれ拒絶する精神的な免疫システムを持って生まれる人もいます。彼らは何かがおかしいと感じ始め、答えを探し始めます。内なる知識と異常な外的経験は、他の人が気づいていない現実の側面を彼らに示し、目覚めの旅が始まります。旅の各ステップは、群衆に従うのではなく心に従い、無知のベールよりも知識を選択することによって行われます。」
― アンリ・ベルクソン

“Fortunately, some are born with spiritual immune systems that sooner or later give rejection to the illusory worldview grafted upon them from birth through social conditioning. They begin sensing that something is amiss, and start looking for answers. Inner knowledge and anomalous outer experiences show them a side of reality others are oblivious to, and so begins their journey of awakening. Each step of the journey is made by following the heart instead of following the crowd and by choosing knowledge over the veils of ignorance.”
― Henri Bergson

 

 

SophiaCycles (ベア・ゴンザレス)
@SophiaCycles
·私たちの個性の純金の一部は、文化という偉大な平準化プロセスの中に居場所を見つけることができないため、影に追いやられています。〜ロバート・A・ジョンソン、自分自身の影を所有する

SophiaCycles (Béa Gonzalez)
@SophiaCycles
·Some of the pure gold of our personality is relegated to the shadow because it can find no place in that great leveling process that is culture.~Robert A. Johnson, Owning Your Own Shadow

 

 

人は神に苦しむことができなければなりません。 それはアイデアを伝える者にとっての最高の任務です。 彼は地球の代弁者に違いない。 ~カール・ユング『手紙』Vol. 1、64~66ページ

One must be able to suffer God. That is the supreme task for the carrier of ideas. He must be the advocate of the earth. ~Carl Jung, Letters Vol. 1, Pages 64-66 

 

「人間のすべての作品は創造的なファンタジーに由来する。では想像力を軽視する権利が我々にあるだろうか。」
― カール・ユング

“All the works of man have their origin in creative fantasy. What right have we then to depreciate imagination.”
― Carl Jung

 

 

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
私の考えでは、ファンタジーというものは現実から逃げるための手段ではなく、現実に到達するためのほとんど唯一の手段です。 『身体の想像力』所収「ファンタジーと演劇的想像力」

 

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
この、作り出せるということ、これを私は、ファンタジーと呼んでいるのです。つまり、あらゆる状況から新たなものを創造する能力、まだどこにも存在しておらず、リスクに満ちたものを作り出せる能力です。 『ファンタジー神話と現代』

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
私にとってファンタジーとは、新しい観念を形成する、または、既存の観念を新しい関連形態におく人間の能力なのです。その意味では、私たち現代の人間にとって、具体的なファンタジーを発達させることほど必要なものはないのです。 『エンデの文明砂漠』

 

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
私たちはみんな、ゲーテが「精確なファンタジー」と呼んだ能力を発達させなければならない。私たちはまったく新しい概念や観念を学ばなければならないし、あるいは従来のそれを全く新しい、今までとは異なる関連付けをすることを学ばなければならない。 『だれでもない庭』

 

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
教育は、ひとつの芸術なのだから。そして芸術とは、創造のプロセスなのだから、一瞬一瞬が前例のない瞬間だ。子どもに対しながら、その一瞬一瞬を新しく生みだす力―私がファンタジーと名づけるこの力こそ教師に求められる才能です。 『エンデと語る』

 

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
この創造的な力を私は普遍的ファンタジーと呼びます。その代わりに、別の名前を見つけることもできるでしょう。とにかく私はそれをファンタジーと呼び、そして、私たちはあらゆるもののためにファンタジーを使用すると言うのです。人類のあらゆる進歩は創造的な力と同時にファンタジーを要求します。

 

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
魔法の道具のすべては、魔法使いが特定の事柄に注意と意志を集中するのを助ける補助手段にすぎません。本当はそれらは必要ありません。必要なものは、ある意味でずっと簡単で同時にずっと難しいのです。魔法を使おうとする人は、自分自身の本当の意志を見つけ、実行しなければなりません。

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
自分自身の全存在でもって、つまり霊・魂・体でもって何か特定のことを望む(意思する)人は、魔法を使えます。―そして、それはファンタージエンの中でだけではありません。 『Das große Michael Ende Lesebuch』(はてしない物語の未公開の章より)

 

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
無のなかへ飛び込む勇気をもったときにだけ、私たちは、このうえなく独特で、このうえなく内的な創造の力を呼びもどすことができ、新しいファンタージエンを、いいかえれば新しい価値の世界を建てなおせるのです。 『闇の考古学』

 

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
創造的な力は最高の人間の力である。それは決して基礎づけられたり、習得されたりしないが、私はどんな人間もそれを身につけており、神との真の類似性―あるいは神との同一性でさえ―がその中に含まれていると確信している。 『Das Phantasien-Lexikon』(遺稿より)

 

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
ファンタージエンから日常世界の中に何かを持ち出す、これはいけません。あなた自身がファンタージエンで経験する変化だけを持ち出すことができるのです。しかし、ファンタージエンそのものの一部は持ち出せません。 『Zeit-Zauber』

 

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
芸術が嘘だから、わたしたちはそれを通して真実を見ることができる。それが虚構だと、わたしたちは知っているからです。それを忘れたときには、芸術は猛毒になってしまう。 『ものがたりの余白』

 

ミヒャエル・エンデ@Michael_Ende_jp
ファンタージエンで、ねがいの道を最後まで歩く、創造者であり、同時に破壊者でもある勇気と強さがなければ、月の子と手を組むことははじめからさけたほうがいい。しかし、そうすれば、もちろん生命の水をみつけることは永久にできない。 『だれでもない庭』