『どうしてまたタネを蒔くのか。』 | Fire Spiral Gypsy ACHICO

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火と舞う、自然と寄り添い暮らす、ACHICOの物語

『どうしてまたタネを蒔くのか。』

 

 

去年の8月に卵巣嚢腫の手術を受けた。

自然な暮らし、自然なお手当にこだわってきた私が、

悩みに悩んで、どん底を這い回りながら下した飛躍の決断。

 

今まで自分の美学としてきたライフスタイルには

知らない間にたくさんの「こだわり」が出来上がっていて

それに反することは受け付けないほど自分を凝り固めてしまっていた。

 

添加物いっぱいの食べ物は選ばないし、

花粉症の薬を飲むのなんてとんでもないし、

熱が出たくらいでは病院行かずにお手当で治せる。

 

だから大きく膨らんだ私の卵巣さんも

自然なお手当で絶対治すんだ!と、こだわった。

たくさん勉強して、新しい自然療法も試してみた。

でも、自分ができる限りのことをしても治らなかった。

 

今まで距離をおいてきた西洋医学を取り入れることへの

ココロの抵抗が、とっても苦しくて、本当に辛かった。

 

そんな具合に、

暮らしの中に、生き方の中にできた

自分なりの美学=こだわりは、

時に自分を苦しめることに気がついた。

それは自由ではないからだ。

 

 

 

昔はジャンクな食生活だった私は

一人めを妊娠してからガラッと生活の趣向が変わり、

必ず原材料をチェックして安全なものを買うようになったし、

無農薬有機農家さんから野菜や米を取り寄せるようになった。

お産も、着るものも、シャンプーや洗剤も、

体と自然に優しいものを選ぶようになった。

 

 

そんな時に、

「近頃の子供はスーパーにパック詰めしてあるような

切り身になった魚が海に泳いでいると思っている。

食べるお肉がどの動物から命をいただいているのか知らない。」

というような話を聞いて、とても危機感を感じた。

 

 

自分がイノチをつなぐ役目として親となるからには、

私たちがこうして生かされているのも繋がっている沢山のイノチのおかげなのだ。

ということを、

自分の子供にしっかりと伝えて行くことが大事だと思った。

 

だから、土を触って、タネを蒔いて、育てたイノチが

食卓にやってきて自分の体を作っている、という一連の巡りを

子供と一緒に体験して学んでいくこと。

それがやりたくて岐阜の山奥の里山に暮らし始めたんだ。

 

 

 

今まで、お米作りもタネ蒔きからやって

田植えも稲刈りも全部手作業でやることにこだわってきた。

 

 

なぜなら、昔の人たちがどれだけ苦労して、工夫して、

手作業でお米を作ってきたかを体験するために。

 

 

頑張って仕事するその背中を子供に見せること、

また一緒に食べ物を作ることを体験して欲しいから。

 

 

そして、ラクをせず、イノチまるごとのエネルギーを思いっきり出すことで、

最高に美味しいお米として自分たちに巡り返ってくることを知っていたから。

 

 

 

事実、果てしなき田植えと稲刈りの作業は

まさに瞑想であり、曇りなきひたすらな祈りであり、

大自然ととけあい一体化する気持ちよさと達成感が半端ないのだ。

 

 

 

だけどね、だけどね、

すっごく大変な作業でもあるんです。

時間も手間も体力もすごくかかるし、腰も手足も痛いし、

せっかく苦労して田植えしても翌日イノシシに荒らされて植えなおし、とか

せっかく苦労してはさがけしても台風が来て倒されて全部掛け直し、とか

泣きたくなるような時もいっぱいあるんですよ。

 

 

去年は収穫直前に毎夜イノシシに荒らされて、

無残にも全滅・・・

あれだけ頑張って費やした時間も流した汗も、水の泡・・・

 

本当にガッカリして、

来年からは田んぼは辞めようかと本気で思いました。

 

 

 

 

卵巣嚢腫の手術の後、

子供が生まれてから11年ぶりにもらった夏休みのように

1週間ただ横になって休むことができた。

 

ご飯作らなくていい、掃除も洗濯もしなくていい、畑に出なくていい、田んぼの草取りしなくていい、

仕事もしなくていい、子供をお風呂に入れたり歯磨きしなくていい・・・

 

自分だけの、自分のための時間。

 

ああ〜こんなにゆっくりするの久しぶりだなぁと嬉しかったけど、

今までどれだけ自分が忙しく動きすぎていたのかがよぉ〜くわかった。

 

 

 

なんだか、わざわざ大変なことを選んでやってたなぁ・・・って。

 

 

 

こだわりってなんなんだろ。

 

つまり、こだわりは「束縛」だったんだ。

 

わざわざ、自分を「不自由」にさせてる。

 

 

でも、どれだけ意義のあることをしてたって、

それがしんどくなったらやる意味ないよね。

眉間にシワよせてやっても何かいいことあるのかな。

 

 

楽しくなくっちゃ、だよね!!

 

 

 

よし、決めた! こだわり、もういらない!!

 

「どっちでもいい」の世界に行こう!!

 

 

添加物入ってても美味しく食べればいいじゃん!

花粉症辛かったら薬飲んだ方が快適じゃん!

原因がわからなかったらお医者さんに相談したっていいじゃん!

 

それでも大丈夫なたくましい体とココロ作りをしておけば、いいのだ!!

 

ついでに、田んぼも機械化、万歳!!!w

 

 

ラクしていいじゃん、無理しなくていいじゃん。

 

こだわって無理して体壊して病気になるより、ずっといい。

 

どっちでもアリで、

どっちも認められて、

どっちも楽しめる、

 

もっと「自由」な自分になろう♪

 

 

 

病院のベットの上で

久しぶりにじっくりと自分の生き方を見直して

大事な気づきをもらった。

 

それもこれも、卵巣嚢腫さんのおかげ。

感謝と愛いっぱいにヒカリの世界へ見送りました。

 

 

 

〜と、まあ・・・

 

これは昨日、果てしなき稲のタネ蒔きの作業の時の回想です。

 

こんなことを思ったのに、

 

またやってるな、私。w

 

稲苗もさ、近所の農家さんから買えばいいんですよ、

わざわざ自分で苦労してタネ蒔きしなくったって。

 

 

だけど、どうしてまたタネを蒔くのか。

 

 

そこをじっくりと考えてたんですけどね、

「なんでかな〜? ラクしていいんだけどな〜やっぱりクセかな〜?」って。

 

 

ふと、顔を上げて

裏山の満開の梅の花と、森から聞こえる小鳥の歌声と、

春の柔らかい草花の匂いをふくんだ風と青空を感じてたら、

 

 

答えがね、出たんですよ。

 

 

 

それは、「春がやって来たから」。

 

 

毎年、キビシイ冬を乗り越えて、

春の息吹を全身で感じられる陽気になってくると、

 

ウズウズするんですよ。

 

そろそろタネ蒔きの季節だなぁ、

野草もつみたいなぁ、

畑も起こしたいなぁ、

お花見もしたいなぁ、って。

 

 

それは暮らしの中の営みだから。

 

巡る一年のサイクルの中で、その時期がくれば

 

やっぱり、やりたくなっちゃうんですよ。

 

 

そういうもんなんだなぁ。

 

と、なんだか腑に落ちたのでした。

 

 

 

頑張ってタネ蒔きした稲の赤ちゃん、

 

どうか元気に大きく育ってね。

 

 

 

長文、読んでくれてありがとう。