歌っている場合じゃないだろう
歌を歌えば、すむ話だろうか。
東日本大震災。
そして、サントリーのCM
なんだか、釈然としない、
東日本大震災以後のCM。
一番、最悪だったのがACジャパンのCM。
金子みすずや宮沢章二の詩、仁科親子の体験がーマ、
それ自体は、普遍的な題材で、なかなか良い話。
しかし、放送の仕方が悪かった。
スポンサーがCMを自粛した枠に、何も考えずに出稿。
出稿しないと、テレビ局が金を貰えないからだ。
しつこい、うるさい、ふさわしくないという大クレームに答えて、新しいCMを制作。
サッカー選手やジャニーズ事務所の人気者が出ての被災者応援CM。
そして、坂本九の「上を向いて歩こう」と「見上げてごらん夜の星を」を有名人がリレーで歌うCM。
ACのCMだと思ってみていたら、なんと、サントリーのCM。
生命保険や携帯電話、住宅会社など、応援CMが多い中で、
これ以上、応援CMが必要か。
今では、そんなことより具体的に復興にどう協力するかが求められているのだ。
莫大な、テレビの媒体費を使って応援するだけでなく、
実質的に支援するのが本来だろう。
確かに、サントリーは、3億円を寄付、
救援物資として、南アルプス天然水100万本を提供。
飲料やビールの売上1本につき1円を積み立て、
約40億円を寄付するという。
売り上げのごく一部を寄付すると言う方法は、
消費者のフンドシで勝負するだけで、
自前の支援とは言い難い。
今回のサントリー応援CMに使っている、媒体費は、
かるく数億をこえているだろう。
これを基準に考えてみると、サントリーの義援金や救援物資は、
自前の分でだけで、原価は約3億数千万足らず。
CMに、たくさん金をつぎ込む割には、少なすぎはしませんか。
これでは、世界の大富豪、佐治家の名前がすたるだろう。
佐治社長、話題を狙ったCM作って自己満足してないで、
義援金、会社が出さないなら自分が出したらどうなんだ。
孫正義を見習ったらどうだろう。
サントリーの佐治社長の父がACの前身の公共広告機構の創設者、
そして佐治社長がACジャパンの理事長。
だから自社のCMも佐治社長にゴマ擦って、
賞狙いの広告会社と宣伝部がACもどきにしたのだろうか。
人間が、歌によって元気づけられるのは、良いことだ。
しかし、東日本大震災の被災者を考えると、それだけでよいのだろうか。
被災を受けてから、すぐに救援に向かった看護師のブログがある。
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing
このブログとサントリーのCMとどちらに感動に値するか。
考えるまでもないだろう。
もし、サントリーのCMの方が感動すると言うヤツがいたら、
そいつは、サントリーの宣伝部員か大手広告会社の
ACCの賞を獲るためにCMづくりをしている
クリエイティブディレクターだけだろう。
この看護師のブログ、
どんなテレビの報道よりも、リアルに現地の状況が伝わった。
そして、彼女の行動力と、人を思う気持ちに大いに感動。
テレビの役割とは、なんだろう・・・、
報道の使命とはなんだろう・・・・、
CMとはなんだろう・・・。
「この状況を前にして、歌を歌っているだけでいいのだろうか・・・・」など
本質的なことを考えさせられるブログである。
サントリーのCMの登場人物は総勢71人の有名人。
30秒と60秒のCMは全部で30種類。
缶コーヒーCMでおなじみのハリウッド俳優、トミー・リー・ジョーンズや、
矢沢永吉まで登場する豪華版だ。
ものすごいキャスティングだが、何とノーギャラ、
しかも、制作費は広告会社持ちだと言う。
この手のCMの常とう手段という気がしないこともないしつらえ方。
業界内では、異色のメッセージ広告ともてはやされ、
どこまでヤラセか知らないが、
ツイッターなどネット上では「見るたびに涙腺が刺激される」
「心にしみる」「ジーンときた」など感動の声が広がっているという。
看護師のブログは、彼女一人の体験談。
http://blog.goo.ne.jp/flower-wing
媒体は、インターネット。
ゴールデンタイムに多くの人の目に触れるわけでもない。
有名人など一人も登場しないし、
もちろん、億単位の金もかかっていない。
まして、歌なんぞは、歌わない。
そこにあるのは、本気で人を救おうとする
一人の人間の熱い心があるだけだ。
ACジャパンのCMに、
本気で人を救おうとする熱い心はあるか。
サントリーのCMに、
本気で人を救おうとする熱い心はあるか。
CMを作る人々に、
本気で人を救おうとする熱い心はあるか。
広告に携わる人々に、
本気で人を救おうとする熱い心はあるか。
東日本大震災後、
なんだか、広告の本質が見えてしまったような気がする。
これでいいのか・・・・、広告人。
多くの人々が、苦しみと悲しみを抱えている時に、
歌を歌っている場合じゃないだろう・・・・、
映画版「原子力戦争」
あまりの可愛さに、大きな衝撃を受けた。
映画「飛べない沈黙」でデビューした当時の加賀まり子。
それ以来、数年間は、丸顔の目の大きい女性が好みとなった。
若かった時の事である。
「飛べない沈黙」は、黒木和雄監督、劇映画初監督作品。
配給会社東宝が、あまりに前衛的すぎる内容のため
観客動員を見込めず上映を見合わせた作品である。
当初は、ATGだけで上映。
しかしながら東宝の思惑に反して、斬新な表現手法と
加賀まり子の初々しさが評判となった。
黒木和雄、
岩波映画所属の企業PR映画の監督。
彼の作品は、フランスのヌーベルバーグ、
特にアラン・レネに影響された作品が多かった。
北海道電力、創立10周年記念PR映画「我が愛 北海道」は、
北海道の美しい風景の中で、ナレーションで登場する私と杏子という
少女の愛が断片的に語られていく、幻想的な構成の映画である。
この映画は、日本のヌーベルバーグと言われるまでの高い評価を得た。
その後、黒木は、PR映画というスポンサー付きの映画に
限界を感じたため、劇映画の監督に転身。
その第一作目が「飛べない沈黙」であった。
そして、1978年、田原総一郎原作の
「原子力戦争 Lost Love」を映画化。
ストーリーは、原作とは、かなり異なっているが、
原子力の恐ろしさと、それにまつわる人間たちのエゴと欲、
事実を隠ぺいするためには手段を選ばない、権力の恐ろしさを
小説以上に、リアリティを持って表現した映画である。
原田芳雄扮するヤクザの情婦が原発の技師である男と心中をした。
原田は、心中の真相を探りに、原発の町、小名浜にやって来る。
そこで原田は、原発事故を告発するための
取材をしている新聞記者と知り合う。
新聞記者の案内で、情婦が心中した男の妻のところを訪れると、
その妻から、技師が持っていた原発事故の証拠書類を預かる。
そして、技師が心中したとされる日、最後に会ったのは、
原発の労組の委員長で会ったことを知らされる。
原田と新聞記者は原発の労組の委員長に会いに行くが・・・・
しかし、その途中、何者かに襲われる。
翌日、原発の労組の委員長は、首つり死体となって発見される。
心中した男の妻から預かった証拠書類を基に、
新聞記者は、原発の所長に事故の発表を迫る。
しかし、新聞記者は上司から、これ以上、原発事故を
取材するとクビになるぞと言われる。
新聞記者は、原発の事故を公にするため、小名浜を調査に
訪れていた原子力の学者に原発事故の件を相談するが、
「事故のパニックによる原子力発電所開発の中止のほうが
国民にとってよほど危険」と言われ一蹴される。
一方、ヤクザの原田は、真相を調べていくうちに、
原発事故を告発しようとした技師は、
心中に見せかけられて殺されたことを知る。
原田は、情婦の敵を討つ決心をし、原発賛成派の
住民代表の漁業組合長と対決する。
しかし数日後、原田扮するヤクザは、
死体となって小名浜の海岸に打ち上げられる・・・・・。
この映画は、原発による放射能汚染の恐ろしさだけでなく、
原発を誘致するために、地元にばらまかれる膨大な補償金、
それにまつわる人間の欲や利害のために、真実をも隠蔽し
人間の意識までも変えてしまう恐ろしさをみごとに表現している。
中でも秀逸なのが、福島第一原発、正門前でのゲリラ撮影のシーン。
ドキュメンタリー出身のカメラマン根岸栄のリアリティあふれる
カメラワークは、原発を触れてはいけない聖域のごとく捉え、
見事にその本質を映像表現している。
また、このシーンをストーリーの中に入れることにより、
ドラマの持つフィクション性を払しょくし、今まで見ていたシーンが、
あたかも事実であったかのように感じさせ、ストーリーに対する
リアル感を高めている。
この「原子力戦争」は、日本映画専門チャンネルで4月3日放送予定であった。
残念ながら、放送を中止は中止となる。
「3月11日に発生した東日本大震災による
福島原子力発電所への影響を勘案し、中止にした」のだという。
日本映画専門チャンネルを運営する会社は、日本映画衛星放送。
フジテレビの子会社である。
社長は、「北の国から」で一世を風靡した演出家、杉田成道。
杉田は、自分が演出した作品が、このような理由で
放送されなかったとしたらどう思うだろう。
正しいことを信じて作った作品なのに・・・・・・
東京電力は、年間、広告・宣伝費を
300億近く使っていると言われる。
電力会社にとっての広告宣伝費は、
ブランディングのための企業広告や
商品を売るための広告のほか、
テレビ局、新聞社への広告媒体出稿と
引き換えに、暗黙の了解として
不利な報道をしないための口止め料としての
役割を担っている。
「原子力戦争」は、田原総一郎の原作も映画も、
原発の危険性とその事故隠しを暴くことをテーマにしている。
電力会社にとって、イメージが良くない映画である。
だから、「原子力戦争」の放送中止は、テレビ局としては、
当然の処置なのだ。
テレビ局は、企業の広告宣伝費がほしいがために、
報道機関としての良心をも売ってしまう賤しい奴らの集団なのか。
見方を変えれば、東京電力は勿論のこと、
テレビ局をはじめとした報道機関、国家、行政、学者が一体となって、
原発は安全だと嘘をつき、事故を隠しているという事になるだろう。
原発の持つ恐ろしさは、放射能汚染の問題だけではない。
利害に駆られて、嘘をついたり、真実を隠したり、
挙句に、良心までも踏みねじってしまうなど
人間性さえも変えてしまう恐ろしいものでもあるのだ。
「原子力戦争」あるいは、田原総一郎
田原総一郎は、ドキュメンタリー映画を志す者たちの希望の星だった。
岩波映画を経て、東京12チャンネルのディレクター、劇映画の監督・・・・・、
彼は、一世代前の土本典明や小川伸介のような記録映画作家とは異なって、
テレビというマスコミの中で、ドキュメンタリーの手法を使って
自己表現をすることを確立したディレクターであった。
ドキュメンタリー映画を志す者、誰もが、いつかは田原総一郎のように
テレビの世界で、自己のアイデンティティを表現できるドキュメンタリーを
作ることを目指した。
30年以上前のことである。
田原は、東京12チャンネルのディレクターでありながら、
筑摩書房の月刊誌「展望」に原発をテーマにしたノンフィクションを連載していた。
題名は、「原子力戦争」。
或る時、「原子力戦争」の連載が中止となった。
突然のことであった。
田原は、ある雑誌のインタビューで当時の事情を、こう話している。
「原子力戦争というテーマで月刊誌に連載して、
この連載の記事で、原発のPRを担当している
大手広告代理店を怒らせちゃってね。
連載を辞めるか、会社を辞めるか、
と迫られて、僕は会社を辞めた。」
大手広告代理店とは、電通のことなのか。
「原子力戦争」を連載中、田原のもとに
一通の内部告発文書が届いた。
関西電力、の燃料棒折損事故についてである。
告発文は、美浜1号炉で折損した燃料棒から
燃料ペレットが原子炉容器内に飛散、
秘密裏にこのペレットを回収し燃料棒を
交換したというものであった。
当時、社会党の代議士だった石野久男は、この事故について国会で追求した。
通産省は、調査すると言って明言を避け、
関西電力は「そな事実はない」と言って事故を隠し続けた。
石野の執拗な追及を受け、3年以上もたって、ようやく通産省と関西電力は
事故の事実を認めた。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/b080005.htm
当時から、電力会社の原発事故隠しは日常化されていのだ。
1976年、「原子力戦争」は、単行本として筑摩書房から出版される。
内容は、原子力そのものの恐ろしさと、それにまつわる人間たちの
エゴと欲をドキュメンタリー形式で書いた小説である。
テーマは、実際に起きた原発事故、関西電力美浜原発の
燃料棒事故と東京電力福島原発の火災事故。
原発推進派の政治家、官僚、電力会社、地元有力者と
事実を追求する田原総一郎と思しきテレビ局の
ディレクター大槻との戦いが描かれている
田原は、「原子力戦争」の中で、原発の危険性を訴え、
今回の事故を予測していた。
また、綿密な取材をもとに利権や政治家、官僚、学者、
電力会社との癒着なども鋭く暴いている。
この本の中に、双葉町の原発反対派岩松忠男という男が出てくる。
双葉町は、今回事故のあった福島第一原発がある町である。
定かでないが、岩松忠男は岩本忠夫がモデルだとも言われる。
岩本忠男は、元社会党県会議員。
福島県原発王国の基礎を作った木村守江知事の方針に
反対し、反原発の旗手として戦っていた男である。
岩本忠男は、県会議員に落選した後、双葉町の町長になる。
そして、突然、原発推進派に転向した。
なぜ転向したのだろう・・・・、
金・・・、権力・・・・、
いずれにしても、悲しい話だ。
岩本忠男は、双葉町町長当時、あるPR誌にこんな事を書いていた。
「双葉町は、原子力発電所との共生をしてきた。
共生していくということだけではなくて、
運命共同体という姿になっていると実は思っています。
ですから、いかなる時 にも原子力には期待をしています。
「大きな賭け」をしている、「間違ってはならない賭け」を、
これからも続けていきたいと思っております。
原子力発電は私の誇りです。」と。
「Plutonium」原発関係のPR誌
http://www.cnfc.or.jp/pdf/Plutonium42J.pdf
岩本が言うように、正しく双葉町は、
原子力発電所と運命共同体であった。
その結果、双葉町は、放射能汚染という危険極まりない
事態に陥り、最悪な結果を迎えることとなった。
岩本の誇りは、地に落ちた。
それどころか、双葉町の住民たちは、先祖代々から
住んでいたこの地に、二度と留まる事が出来なくなってしまった。
東京電力をはじめとした電力各社、国家、学者は、
原発は、「安全だ、安全だ」と言い続けてきた。
しかし、安全ではなかった。
もともと安全は、嘘だったのだ。
なぜ、人は嘘をつくのだろう。
嘘をついて得をする人がいるからだろうか。
福島県の原発がある地域には、東電が作った
地域情報連絡会議という組織があという。
この組織は、CIA並みのきびしい情報管理をおこなっていたと言われる。
東電のいう安全=無事故とは、「事故をなくすことではない。
事故が起きてもそれを闇に葬り去って、外部に公表しないことだ。」と
田原は「原子力戦争」の中で言う。
「原子力戦争」を書いた当時の田原総一郎は、真実を追求する
情熱とその取材力は称賛に値するものがあった。
しかしながら、「原子力戦争」は、テレビの討論会で、
革新的で、真実を追求する如く見せながら、
予定調和的に権力の望む方向に議論を導く
今の田原総一郎からは全く想像もつかない本なのだ。
かつて、ドキュメンタリー映画を目指す者たちの星だった
田原総一郎は、大きく変わってしまった。
なぜだろう・・・・、
原発は、人を死に至らしめるだけでなく、関わった人の良心までをも
変えてしまう危険なものだからなのだろうか・・・。
1976年、「原子力戦争」は筑摩書房から出版された。
その後、講談社から文庫化されたが、今では絶版となっている。
岩波映画を経て、東京12チャンネルのディレクター、劇映画の監督・・・・・、
彼は、一世代前の土本典明や小川伸介のような記録映画作家とは異なって、
テレビというマスコミの中で、ドキュメンタリーの手法を使って
自己表現をすることを確立したディレクターであった。
ドキュメンタリー映画を志す者、誰もが、いつかは田原総一郎のように
テレビの世界で、自己のアイデンティティを表現できるドキュメンタリーを
作ることを目指した。
30年以上前のことである。
田原は、東京12チャンネルのディレクターでありながら、
筑摩書房の月刊誌「展望」に原発をテーマにしたノンフィクションを連載していた。
題名は、「原子力戦争」。
或る時、「原子力戦争」の連載が中止となった。
突然のことであった。
田原は、ある雑誌のインタビューで当時の事情を、こう話している。
「原子力戦争というテーマで月刊誌に連載して、
この連載の記事で、原発のPRを担当している
大手広告代理店を怒らせちゃってね。
連載を辞めるか、会社を辞めるか、
と迫られて、僕は会社を辞めた。」
大手広告代理店とは、電通のことなのか。
「原子力戦争」を連載中、田原のもとに
一通の内部告発文書が届いた。
関西電力、の燃料棒折損事故についてである。
告発文は、美浜1号炉で折損した燃料棒から
燃料ペレットが原子炉容器内に飛散、
秘密裏にこのペレットを回収し燃料棒を
交換したというものであった。
当時、社会党の代議士だった石野久男は、この事故について国会で追求した。
通産省は、調査すると言って明言を避け、
関西電力は「そな事実はない」と言って事故を隠し続けた。
石野の執拗な追及を受け、3年以上もたって、ようやく通産省と関西電力は
事故の事実を認めた。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/b080005.htm
当時から、電力会社の原発事故隠しは日常化されていのだ。
1976年、「原子力戦争」は、単行本として筑摩書房から出版される。
内容は、原子力そのものの恐ろしさと、それにまつわる人間たちの
エゴと欲をドキュメンタリー形式で書いた小説である。
テーマは、実際に起きた原発事故、関西電力美浜原発の
燃料棒事故と東京電力福島原発の火災事故。
原発推進派の政治家、官僚、電力会社、地元有力者と
事実を追求する田原総一郎と思しきテレビ局の
ディレクター大槻との戦いが描かれている
田原は、「原子力戦争」の中で、原発の危険性を訴え、
今回の事故を予測していた。
また、綿密な取材をもとに利権や政治家、官僚、学者、
電力会社との癒着なども鋭く暴いている。
この本の中に、双葉町の原発反対派岩松忠男という男が出てくる。
双葉町は、今回事故のあった福島第一原発がある町である。
定かでないが、岩松忠男は岩本忠夫がモデルだとも言われる。
岩本忠男は、元社会党県会議員。
福島県原発王国の基礎を作った木村守江知事の方針に
反対し、反原発の旗手として戦っていた男である。
岩本忠男は、県会議員に落選した後、双葉町の町長になる。
そして、突然、原発推進派に転向した。
なぜ転向したのだろう・・・・、
金・・・、権力・・・・、
いずれにしても、悲しい話だ。
岩本忠男は、双葉町町長当時、あるPR誌にこんな事を書いていた。
「双葉町は、原子力発電所との共生をしてきた。
共生していくということだけではなくて、
運命共同体という姿になっていると実は思っています。
ですから、いかなる時 にも原子力には期待をしています。
「大きな賭け」をしている、「間違ってはならない賭け」を、
これからも続けていきたいと思っております。
原子力発電は私の誇りです。」と。
「Plutonium」原発関係のPR誌
http://www.cnfc.or.jp/pdf/Plutonium42J.pdf
岩本が言うように、正しく双葉町は、
原子力発電所と運命共同体であった。
その結果、双葉町は、放射能汚染という危険極まりない
事態に陥り、最悪な結果を迎えることとなった。
岩本の誇りは、地に落ちた。
それどころか、双葉町の住民たちは、先祖代々から
住んでいたこの地に、二度と留まる事が出来なくなってしまった。
東京電力をはじめとした電力各社、国家、学者は、
原発は、「安全だ、安全だ」と言い続けてきた。
しかし、安全ではなかった。
もともと安全は、嘘だったのだ。
なぜ、人は嘘をつくのだろう。
嘘をついて得をする人がいるからだろうか。
福島県の原発がある地域には、東電が作った
地域情報連絡会議という組織があという。
この組織は、CIA並みのきびしい情報管理をおこなっていたと言われる。
東電のいう安全=無事故とは、「事故をなくすことではない。
事故が起きてもそれを闇に葬り去って、外部に公表しないことだ。」と
田原は「原子力戦争」の中で言う。
「原子力戦争」を書いた当時の田原総一郎は、真実を追求する
情熱とその取材力は称賛に値するものがあった。
しかしながら、「原子力戦争」は、テレビの討論会で、
革新的で、真実を追求する如く見せながら、
予定調和的に権力の望む方向に議論を導く
今の田原総一郎からは全く想像もつかない本なのだ。
かつて、ドキュメンタリー映画を目指す者たちの星だった
田原総一郎は、大きく変わってしまった。
なぜだろう・・・・、
原発は、人を死に至らしめるだけでなく、関わった人の良心までをも
変えてしまう危険なものだからなのだろうか・・・。
1976年、「原子力戦争」は筑摩書房から出版された。
その後、講談社から文庫化されたが、今では絶版となっている。
学ばなければならないこと
今、私たちが学ばなければならないこと、
それは、何か。
When will they ever learn,
When will they ever learn?
彼らはいつになれば学ぶのだろう
いつになれば学ぶのだろう
プロテストソング「花はどこへ行った」の一節。
私たちは、何も学ばないで、同じ過ちを繰り返している。
同じ過ち・・・、
その最たるものが戦争、
そして、原子力。
広島、長崎に落とされた原子爆弾
ビキニ島でアメリカの核実験のため被爆した第五福竜丸。
スリーマイル島原発事故。
チェルノブイリ原発事故・・・・・・・、
そして、福島第一原発の事故。
When will they ever learn,
When will they ever learn?
彼らはいつになれば学ぶのだろう
いつになれば学ぶのだろう
「花はどこへ行った」は、アメリカのフォーク歌手である
ピート・シーガーによって作られた。
ピート・シーガーは、「花はどこへ行った」をはじめ「天使のハンマー 」
「ターン・ターン・ターン 」など数々のプロテストソングを生み出した。
今回の福島第一原発の事故。
日本人は、広島、長崎の原爆で、放射能の恐ろしさを、充分体験したはずである。
それなのになぜ、原子力の恐ろしさを過去の事例から、
何も学べなかったのだろうか。
何回、同じ過ちを繰り返せば気づくのだろうか。
過ちを繰り返すたびに、不幸になる人が増えていく。
なぜ、過去から学び、今回のような事故を防ぐことができないのか・・・。
真意のほどは確かでないが、日本の原発を推進するために、
ある政党に一兆円近い金が流れたという話も聞く。
東電は、東京大学の原子力の研究機関には毎年5億の研究費を
援助しているとも言われる。
かつて、共産党の吉井議員が原発の電源が全て使用不能となると
炉心が冷やされず融解し大事に至と言う今回の事故を想定した質問をしたにもかかわらず、
経済産業省、原子力安全保安院、原子力安全委員会は一笑に付した。
作家の広瀬隆は、数年前に、浜岡原発の危険性について、
さまざまな問題定義をしていたが、ことごとく中部電力に無視されている。
広瀬隆は、今回の事故と同じ危険性を浜岡原発で指摘していた。
When will they ever learn,
When will they ever learn?
彼らはいつになれば学ぶのだろう
いつになれば学ぶのだろう
今回の福島第一原発の事故から、学ばなければならない。
原発は、核兵器と同じくらい危険であることを、
原発も核兵器もたくさんの不幸になる人を生み出すということを、
人が不幸になるものは絶対に作ってはならないということを。
インチキ ACジャパン
いつも、同じものばかりを食べていては飽きが来る。
たとえば、カレー。
ビーフカレーばかり食べて、飽きたから・・・、
では、シーフードカレーを・・・、
シーフードカレーが飽きたからチキンカレーを、という感じで、
カレーという本質を変えずに、具だけ変えて、批判をかわそうとしているACジャパン。
インチキだぞ、ACジャパン。
しつこくして、すみません。
嫌われるのを覚悟で、
またまたACジャパンの話。
今回、大量に放送された公共CM。
ACには、かなりのクレームが来た。
そこでACは、急きょ、今回の災害に合わせたマナーCMと
被災者応援CMを数パターン作り放送し始めた。
ご多分にもれず、国民的人気モノのSMAPや嵐の出演、
AKB48 西田敏行、大竹しのぶ、なぜだかアントニオ猪木・・・・・、
公共CMの紅白歌合戦状態。
どれ一つとっても、これまた非の打ちどころのない意義深いCMでばかり。
これらのCMを放送することにより、ACに対しての「くどい」「うざい」
「そぐわない」というクレームの解決を図ろうとしている。
今回のACのCM問題、
同じ素材が繰り返し放送される、震災にそぐわない内容という
CM素材の問題もあったが、それよりも、もっと問題なのが
ACのCMの媒体出稿のありかたなのだ。
しかしながら、ACのとった解決策は、この根本的な問題を解決せずに、
単に素材を変えただけ。
ある人に言われてACジャパンのHPを見てみて驚いた。
http://www.ad-c.or.jp/
ACジャパンの理事には、テレビ局をはじめとしたマスコミ各社、
大手企業と並んで東京電力常務取締役、西沢俊夫が名前を
連ねているではないか。
公共のために、社会のためにと言いながら、放射能漏れという
大問題を起こした東電の常務が理事では、話にならない。
当然、東電が出稿するはずだったCMは、全てACのCMに差し替えられている。
それで済む問題ではないだろう。
東電は、CM枠を全て局に返上し、国民に正確な情報を知らせるために
役立ててください位な事を言っても良いだろう。
広報・宣伝担当西沢常務、社長ともどもダンマリを決め込まないで、
ACジャパンの理事として、なんとか言ったらどうなんだ。
更に、驚いたことに専務理事には、元電通のクリエイティブディレクターで、
電通テックの取締役だった草川衛。
広告の専門家として、ACのCMの出稿計画についてはどうお思いか。
まさか専務理事としての年収だけを確保して、
後は第二の人生だからと、シカトを決め込むつもりじゃないだろうね。
今回のACのクリエイティブだって、言わせてもらえば、人気モノや
誰でも知っている有名人を出し、ボードを持たせて語らせればよいという
古い表現方法で、何のアイディアもない企画。
ベースのカレー味は変わらずに、中の具が変わっただけというお粗末さ。
草川衛は、ある講演会で言っていた。
「ACの理念は、広告のもつ伝達力、説得機能を活かし、社会・公共の福祉に貢献すること」ということになります。
つまり広告活動というフレームの中で、社会貢献をしようということだとお考えください」と。
その結果が、テレビで、死ぬほどACのCMを放送することだったのか。
多くの人が命を失ったり。路頭に迷っている時に、これがやるべきことなのか。
一流の広告人として、お手本になるような社会貢献を見せてほしい。
テレビ局は、ACのCMを放送した媒体料はしっかりクライアントに、請求。
そして、広告会社には、マージンがガッポリ入ってくる仕掛け。
つまり、媒体料もマージンも取りようがなくなるから、ACのCMを放送し続ける。
これでは、ACジャパンは、大手広告会社、テレビ局、クライアントの
保護団体ではないかと疑いたくもなる。
AISASの次はSIPSなどと時代を捉えたコミュニケーションモデルを
開発している力を基に「みんなでやれば、大きな力に」「今、わたしにできること」
「 日本の力を、信じてる」などという立派なスローガンを訴求するだけでなく、
コミュニケーションのあらゆる力を集結し、具体的な運動体として機能するような
公共広告は出来ないものなのか。
フランスの哲学者、ジャンポール サルトル風に言うならば、
広告で、「飢えた子どもたちを救えるか」を考えるべきだろう。
今こそ広告が、きちんとした社会貢献パラダイムを持たないと、
誰からも信用されなくなり、消滅する日が来るだろう。
がんばろうよ、広告人、
困っている人たちのために・・・・・。
たとえば、カレー。
ビーフカレーばかり食べて、飽きたから・・・、
では、シーフードカレーを・・・、
シーフードカレーが飽きたからチキンカレーを、という感じで、
カレーという本質を変えずに、具だけ変えて、批判をかわそうとしているACジャパン。
インチキだぞ、ACジャパン。
しつこくして、すみません。
嫌われるのを覚悟で、
またまたACジャパンの話。
今回、大量に放送された公共CM。
ACには、かなりのクレームが来た。
そこでACは、急きょ、今回の災害に合わせたマナーCMと
被災者応援CMを数パターン作り放送し始めた。
ご多分にもれず、国民的人気モノのSMAPや嵐の出演、
AKB48 西田敏行、大竹しのぶ、なぜだかアントニオ猪木・・・・・、
公共CMの紅白歌合戦状態。
どれ一つとっても、これまた非の打ちどころのない意義深いCMでばかり。
これらのCMを放送することにより、ACに対しての「くどい」「うざい」
「そぐわない」というクレームの解決を図ろうとしている。
今回のACのCM問題、
同じ素材が繰り返し放送される、震災にそぐわない内容という
CM素材の問題もあったが、それよりも、もっと問題なのが
ACのCMの媒体出稿のありかたなのだ。
しかしながら、ACのとった解決策は、この根本的な問題を解決せずに、
単に素材を変えただけ。
ある人に言われてACジャパンのHPを見てみて驚いた。
http://www.ad-c.or.jp/
ACジャパンの理事には、テレビ局をはじめとしたマスコミ各社、
大手企業と並んで東京電力常務取締役、西沢俊夫が名前を
連ねているではないか。
公共のために、社会のためにと言いながら、放射能漏れという
大問題を起こした東電の常務が理事では、話にならない。
当然、東電が出稿するはずだったCMは、全てACのCMに差し替えられている。
それで済む問題ではないだろう。
東電は、CM枠を全て局に返上し、国民に正確な情報を知らせるために
役立ててください位な事を言っても良いだろう。
広報・宣伝担当西沢常務、社長ともどもダンマリを決め込まないで、
ACジャパンの理事として、なんとか言ったらどうなんだ。
更に、驚いたことに専務理事には、元電通のクリエイティブディレクターで、
電通テックの取締役だった草川衛。
広告の専門家として、ACのCMの出稿計画についてはどうお思いか。
まさか専務理事としての年収だけを確保して、
後は第二の人生だからと、シカトを決め込むつもりじゃないだろうね。
今回のACのクリエイティブだって、言わせてもらえば、人気モノや
誰でも知っている有名人を出し、ボードを持たせて語らせればよいという
古い表現方法で、何のアイディアもない企画。
ベースのカレー味は変わらずに、中の具が変わっただけというお粗末さ。
草川衛は、ある講演会で言っていた。
「ACの理念は、広告のもつ伝達力、説得機能を活かし、社会・公共の福祉に貢献すること」ということになります。
つまり広告活動というフレームの中で、社会貢献をしようということだとお考えください」と。
その結果が、テレビで、死ぬほどACのCMを放送することだったのか。
多くの人が命を失ったり。路頭に迷っている時に、これがやるべきことなのか。
一流の広告人として、お手本になるような社会貢献を見せてほしい。
テレビ局は、ACのCMを放送した媒体料はしっかりクライアントに、請求。
そして、広告会社には、マージンがガッポリ入ってくる仕掛け。
つまり、媒体料もマージンも取りようがなくなるから、ACのCMを放送し続ける。
これでは、ACジャパンは、大手広告会社、テレビ局、クライアントの
保護団体ではないかと疑いたくもなる。
AISASの次はSIPSなどと時代を捉えたコミュニケーションモデルを
開発している力を基に「みんなでやれば、大きな力に」「今、わたしにできること」
「 日本の力を、信じてる」などという立派なスローガンを訴求するだけでなく、
コミュニケーションのあらゆる力を集結し、具体的な運動体として機能するような
公共広告は出来ないものなのか。
フランスの哲学者、ジャンポール サルトル風に言うならば、
広告で、「飢えた子どもたちを救えるか」を考えるべきだろう。
今こそ広告が、きちんとした社会貢献パラダイムを持たないと、
誰からも信用されなくなり、消滅する日が来るだろう。
がんばろうよ、広告人、
困っている人たちのために・・・・・。