さすらいの「Angry old man」                     
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ブログ再開





 久しぶりに、自分のブログを見た。

  ブログを書いていなかった2年余りの間、時代は、大きく変わっているのに、
  自信のブログは、何も変わっていなかった。

  なぜ、ブログを書くことを辞めてしまったか・・?

  自問してみる。

  怒ることに疲れたから・・・、

  この2年間、いろんなことがあった。
  歳を取ると、居場所がなくなると言う事や、社会的存在のみならず人間的価値さえも
  なくなってしまう事を思い知らされた。

  心理学者は、怒りという感情は、感情の蓋と言われ悲しい気持ちや、
  寂しい気持ちを感じたくないので怒りという
  感情をつかって、この本当の感情に蓋をしてしまうという。
  傷つくので、この本当の感情を感じないように防衛するのが怒りなのか・・、
  学者らしい見解だ。

  怒りから、新しいものが生まれる場合もある。
  かつて、大島渚は、「日本人は怒らなすぎる。」と言っていた。
  イギリスでは、怒れる若者たちという集団が、新しい文学、映画を生み出した。
  怒りが原動力となって、芸術が生まれたこともあったし、
  革命を起こしたこともあった。

  怒ることによって、老人は復活できるか・・・、

  とりあえず、
  再び、怒ることから始めてみよう。







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「TOUCH WOOD」


「TOUCH WOOD」の話をしていたら、友人の不良外人が
横から口をはさんだ。
『女の人に「TOUCH WOOD」って言わない方がいいよ、
それスラングで、「堅くなったもの触って」と言う意味ね。』といってにやりと笑った。

国籍不明の不良外人の言う事だから、
どこまでホントかウソかわからない。

話題にしていたのは、例の「堅くなったもの」の話ではなく、
NTTドコモの携帯、「TOUCH WOOD SH-08C」のこと。

さすらいの「Angry old man」                     -タッチウッド1











「TOUCH WOOD」のプロモーション映像「森の木琴」が、
カンヌライオンズ 国際クリエイティビティ・フェスティバルの
フィルムクラフト部門で金賞、フィルム部門で銀賞、
サイバー部門で金賞を受賞した。

「森の木琴」は、もともとWEBムービーとして企画され創られた映像。

森の中に作った44メートルに及ぶ木琴の坂道を木のボールが
転がりながらバッハの名曲「主よ、人の望みの喜びよ」のメロディーを
奏でるもので、NTTドコモの携帯「TOUCH WOOD SH-08C」の
ヒノキのボディーのイメージと森の木琴とを重ね合わせ表現している作品である。



この映像は、商品のコンセプトを語る映像でもあり、
コンテンツとしてプロモーションのコアをなすものでもある。
YouTubeなどの映像配信サイトでは、「日本の心」などと言われ
世界的にも話題となりかなりの評判をとった。

「森の木琴」の監督は、菱川勢一。

さすらいの「Angry old man」                     -菱川1














もともと彼は、モーショングラフィックスの第一人者。
デジタル合成を得意としているアメリカ仕込みの元エディター。
そして、グラフィックデザイナーでもある。

菱川勢一は、自身のブログで撮影現場の空気感をこう語る。
『人が手で作ったものを、合成やCGに頼ることなく映像化する。
少なくとも僕の周辺にはそういう「手作り」な傾向にあります。
この4日間に味わった現場での鳥肌が立つような感覚は
しっかりと映像に捉えられています。
監督である僕の「はい、カット! オーケー!」の掛け声とともに
現場の人全員がガッツポーズをする光景は自分たちが
その道のプロであることを忘れるほど純粋なものでした。

人を感動させるなんていうことはそんなに簡単なことではないし、
小手先の演出でちょいと感動させてもすぐに忘れてしまうほどの
たわいもないことになってしまいます。

「まずは、現場にいるスタッフが鳥肌を立てること」
これが今回の撮影隊の裏テーマだったと今、思い返しています。』

モーショングラフィックスのテクニックを駆使し、
見たこともないようなCG合成に人は、驚くことはあっても
感動しないだろう。

海から昇る太陽、
森林に沈む夕日、
シンプルで、偉大で永遠なものに人間は感動するのだ。

そして、菱川は言う。
「デジタルエンジニアリング全盛のモノづくりに
ひとつの提言をするような映像です。」と

デジタル技術の集大成である携帯電話のテクノロジーではなく、
人が人に伝える本質を「TOUCH WOOD」に託して表現したかったのか。

菱川は、更に言う。
「今回の商品TOUCH WOODのテーマでもある間伐材に
とにかく興味を持ってもらう作品創りというのが大きな主旨でした。
木を使って木琴を創って、木の素晴らしさや楽しさをストレートに伝えようと。
伝えたいメッセージに向かってそぎ落とせるだけ、そぎ落とす。
最初のコンテでは余計な演出も書いているんです。
最初は日本のコマーシャル的な演出コンテだったのですが、
クリエイティブディレクターの原野さんとのやり取りの中で、
メッセージ性の強い物に、ストイックな方に引き戻されていきました。 」

森の中の木の木琴、
音を奏でながら転がり木の球、
これだけを正面切ってとらえ、表現する・・・。

日本的な演出だったら・・・
はらはらしながら緊張したスタッフの表情を、
もしくは、森のデティールを、
あるいは、人々の明るい生活感をインサートしていただろう。

何故しないのか・・・、

コンセプトを的確に表現しメッセージ性を強くするためには、
「何もたさない、何もひかない。」
つまり、コンセプトと正面切って対峙するということか。

音を奏でながら、飛び跳ね、左右に動きなら
今にも落ちそうに転がる木の球の存在があれば
余計なカットは必要ないのだ。

そう、見ている人々は、この木の球に感情移入する。
これが、勝利の原因だ。

「TOUCH WOOD」が賞を取ったもう一つの要因は、
時代を捉えていることだろう。

2011年は、国際森林年。
地球レベルで森を守って行こうと言う意識の高まりがある。

さすらいの「Angry old man」                     -森林年
















今、日本でも、間伐材の手入れとその使い道が課題となっている。
間伐しないと森は育たない。
間伐する人手もないし、間伐してもその木の利用もなされていない。

その間伐材で作られた「TOUCH WOOD SH-08C」。
そして、今回の作品「森の木琴」。
この作品は、単に表現上の問題のみならず「国際森林年」という
時代性をも捉えているのだ。

CMがチャーミングなどと言われる時代は、すでに終わったのかもしれない。

ましてや、アテンションが・・・・、面白い・・・・、気持ちいい・・・
そんなシーンなどはどうでもいい時代となった。

ターゲットとのコミュニケーションの仕組みを語る時、
今では、アテンションという因子が消え去り、
共感と言う新たな因子が不可欠となっている。
CMは、共感される人間の根幹に触れる表現や共感を伝える
仕組みを考えないと人の心は動かせない時代となったのだ。

古い仕組みを捨てきれない年老いたクリエーターは、どうしたらよいのか。

ルキノ ビスコンティの映画「ベニスに死す」の少年に恋する老人のように、
デッキチェアーに座りながらカンヌの受賞作を見る。

「ベニスに死す」の美少年のように、どの作品も刺激的だ。

カンヌの刺激に誘われて不良外人よろしく、
思わず「TOUCH WOOD」と言いたくなるのだが、
しかし残念なことに、そこには「堅くならない」自分がいることに気づく。

古い仕組みを捨てきれない年老いた三流クリエーター、
「TOUCH WOOD」を必要としなくなった
老いぼれクリエーターには、もう明日は来ないのか・・・・・



ごめんね、赤川次郎

ごめんなさい。
赤川次郎、
先入観で、決めつけて。

小説家 赤川次郎。

さすらいの「Angry old man」                     -赤川次郎
















1948年生まれ、福岡県出身。
1976年『幽霊列車』で第15回オール讀物推理新人賞を
受賞し作家活動を開始。
『三毛猫ホームズシリーズ』『三姉妹シリーズ』などライトミステリーを
中心に400冊を超える本を出版している多作な作家である。

赤川次郎の絵本を原作に、
劇団四季がミュージカル化した「夢から覚めた夢」。

さすらいの「Angry old man」                     -夢から覚めた夢1



















台本、演出は、浅利慶太。
いまでも劇団のレパートリーの一つとして上演されている人気作品である。

さすらいの「Angry old man」                     -浅利慶太
















今から20数年前、仕事の関係で元劇団四季の演出家と
「夢から覚めた夢」の初演を観た。
お涙ちょうだいで、少女趣味の薄っぺらなストーリー、
学校巡演調の演出が鼻についた。
元劇団四季の演出家は、サルトルの戯曲を
翻訳するなど、理論家と言われる方だった。
彼は、浅利慶太とは演劇に関する考え方の違いから
劇団四季を退団したという。

「浅利は、昔からお涙ちょうだいの薄っぺらなストーリーしか理解できない」
「ユタと不思議な仲間たち」もそんな感じのストーリー」
「赤川次郎の小説も少女趣味的で、まさに浅利慶太好み」
「劇団四季は、海外ミュージカルの翻案モノは良いけど、
日本のオリジナルは良いものがない。」・・・・・・、
赤川次郎と浅利慶太の悪口を、散々話した。

酒を飲みながら、人の悪口を言うのは楽しかった。

赤川次郎の「三毛猫・・・」も「三姉妹・・・・」も「セーラー服・・・・・」も
軽さと少女趣味でストーリーが浅いから、と勝手に決めつけて
彼の小説は、ほとんど読まなかった。

それから25年たった。
赤川次郎が朝日新聞に連載しているコラムを読んだ。

そこには、北野武の原発に対する発言について書かれていた。

「創造する人間にとって最も重要なのはもう一つの「そうぞう」、想像力である。
原発推進の立場の某作家は、毎年正月に何人かの年寄りがモチを喉に
詰まらせて死ぬが、だからといってモチを食べることを禁止しない、と言った。
北野武も「交通事故の年間の死者の数を考えて、
自動車に乗るのを止めましょうとは言わない」と語っている。
けれども、もし年寄りが一人、モチを喉に詰まらせて死んだら、
その家から半径20キロの住民は避難しなければならず、
何十年も故郷に戻れないとしたら、そんなものを誰が食べるだろうか。
車が一台事故を起こす度に、その車を巨大なコンクリートの石棺で
覆わなければならなかったら、日本中の道路はどこも走れなくなるだろう。
そんな乗り物が普及するはずもない。
原子力発電所が特別なのは、事故が起きたときの被害の
桁違いの大きさにこそある。
たった一ヵ所の原発の事故で、「技術立国」であったはずの日本は
(しかも唯一の被爆国なのに!)どれほど世界の信用を失ったか。
「モチ」だの「車」だの、「普通の事故」になぞらえること自体、
原発の最大の問題点を無視した無意味な議論である。
「世界的映画監督」の想像力はこの程度のものなのか。」

このコラムで、赤川次郎は、本質的な原発の問題点を提示し、
本質を捉えていない北野武の想像力のなさとインチキぶりを暴露し、
「世界的映画監督」の想像力はこの程度のものなのか。」と切り捨てた。

「この程度の想像力」だから、北野武の映画は面白くないのか。

次の週のコラムでは・・・、
「3月11日の東日本大震災は、人間の「想定」など、
自然は全く考えてくれない、と言う厳しい真実を示した。
1000年に1度とも言われる大規模地震と津波の被害につ いては
(後の対応は別にして)、誰の責任も問うわけにいかないだろう。
しかし、福島第一原子力発電所の惨事は「人災」である。
この狭い国土の地震大国に 次々に原子力発電所を建て続けたのは、
電力会社と結んだ自民党政権であり、 なぜ自民党の罪を問う声が
起こらないのかふしぎだ。
また大手広告主の電力会社の顔色をうかがって、
原発の危険性に目をつぶってきた 大手マスコミも同罪である。 」

驚くことに世界を揺るがす原発事故が起きても、未だに
「地下に原発を作れば安全だ」などと抜かす自民党政治家がいる。
これについても、マスコミをはじめ、大きな批判の声が上がらない。

何故だろう。

計画停電については・・・、
「計画停電」が始まったが、節電は当然として、
これまでも原発が事故を起こす度、従来の発電所だけで、
真夏のピーク時でも乗り切ってきた。
今回は火力発電所の被害もあって、ある程度はやむを得ないにせよ、
これほど大がかりな停電が必要なのか。
むしろ、今回の事故で「原発不要論」が巻き起こるのを
牽制しようとしているのではないかとさえ思えてくる。」

赤川次郎の主張は、正論である。

マスコミで、今回の原発事故について、ここまで本質をつき
ストレートに表現した人いるだろうか。

今まで、先入観で読まなかった赤川次郎を読んでみた。
文章とストーリーは、少女趣味的で軽いが、
その中に社会性ある設定が仕掛けられていた。
それは、彼のアイデンティティでもあったのだ。

たとえば「、入学式、卒業式の君が代強制の問題」、
「公安警察が署名運動を装って危険分子の名簿を作る話」
「ファシストの独裁国家となった日本に対しレジスタンス活動を行う話」など、
権力の横暴さや社会の歪みをとらえ、赤川流の表現で
国家や権力のファシズム化に反対の立場をとっている。

人を先入観と第一印象で決めつけてはいけない。
物事の本質は、先入観や第一印象では捉えられない。
先入観や第一印象は、物事を捉える入口で、仮説でしかない。
仮説は、是か非か検証されなければ意味を持たないのだ。

反省。

ごめんね、ジロー、
赤川次郎。

同世代として、エールを送ります。









たのしい仲間が「ポポポポーン」と・・・・




たのしい仲間が「ポポポポーン」とあいさつならぬ、
カネで繋がっていた「ACジャパン」「テレビ局」「広告会社」。

一般視聴者にとっては、こいつら「楽しい仲間」ではなく
「不愉快極まりない仲間たち」。



6月になって、「不愉快極まりない仲間たち」の仲間割れが始まった。
もちろん原因は、カネ。

広告主は、東日本大震災のためCMを自粛し
ACのCMに差し替え、自社のCMを放送していなかった。
それにもかかわらず、放送局は媒体料を広告主に
請求しはじめたため、その料金交渉が難航し始めている。

ところで、評判の悪かったACジャパンのCMは、どれくらい放送されたのか。

CM総合研究所の調査によると、
東日本大震災が起き翌日、3月12日から19日の間に
民放東京キー局、5局で放送されたACジャパンの公共広告は、
15タイプ、約2万回以上。
この回数は「トヨタ自動車の1年分に相当する」という。

しかも、この2万回以上の放送回数に、たった15本の
CM素材しかないACのCMを流し続けていたのだ。
だから寝ても起きても四六時中、ACの同じCMが死ぬほど放送されることになる。
これは、テレビを見ている一般視聴者にとって拷問に近い状況。

ACジャパンには、ACのCMに対するクレームが殺到。
このクレームに対しACジャパンはHPで、
「私どもは、会員社である放送各局の判断で必要と思われた場合に
お使いいただく広告素材を提供しているだけです。」という
無責任な言い逃れをするだけで、なんの解決策も講じていない。

ACのCMに差し替えて放送すると判断をした放送各局は、
四六時中ACのCMが流れると言う異常な事態を引き起こした当事者なのに、
これまた何の対応もせず、シカトを決め込みほとぼりのさめるのをじっと待っていた。

広告会社と言えば、放送手数料としてのマージンのことしか考えない。

ACジャパンは勿論のこと放送各局、広告会社は、何の被害も被らず
拷問のようにテレビから流れるACのCMの被害をこうむったのは、
視聴者だけなのだ。

なぜ、このようなことがおこるのだろう。

広告主は、東日本大震災による国民感情を察してCMを自粛する。
放送局は、その穴埋めにACジャパンのCMを放送する。
放送しないと、媒体料が取れないからなのだ。
だから、約1週間の間に2万回以上、トヨタ自動車の1年分のCMが放送されて
視聴者が不快な思いをさせてでも、放送しなくてはならないのだ。

つまり、ACジャパンは放送各局の互助会的な役割を果たし、
広告主のCMを放送しなくてもカネが流れる仕組みが出来あがる。
広告会社は、扱い手数料としてのマージンは、どう転んでも確保される。
つまり、放送各局、広告会社、ACジャパンそれぞれに利害をもたらす
「たのしい仲間たち」の構造が出来あがる。

しかし、ここにきて放送各局、広告会社、ACジャパンの「たのしい仲間たち」が
「ポポポポーン」とカネの問題で仲間割れを起こそうとしている。

テレビ局の編成方針でCMを外した場合は、広告主に媒体料は、請求できない。  
CMを外した分、振替をするか、返金をすることになっている。
返金する場合は、広告会社のマージン分を広告会社に支払い
残金を返金するのが業界の慣例だ。

一方、広告主側の判断でACに切り替た場合は、
媒体料は放送局側に支払わなければならない。
だから、放送局は、視聴者の意向を無視して、
何が何でもACのCMを放送すことになる。
放送しないとカネにならないからなのだ。

ただ、今回のように長期間にわたってACのCMに差し替える事態になると、
広告主の損害は膨大だ。
だから、放送局に媒体料の減額を求める広告主も多い。

また、広告主の意向によって、CMの放送を自粛した場合、
ACジャパンのCMに差し替えるというルールはあるが、
ここまでの大規模な災害時に関してのルールは決められていない。

ここでも、想定外と言う事か。

だから、放送局、広告主、広告会社3者の交渉は難航する。
媒体が売れない時は、ヘーコラして広告会社、広告主に諂うクセに、
いざとなると認可事業と言うお墨付きを振りかざし、
広告会社にはCMの放送枠を売らせてやっている、
広告主には、放送させてやるというという横暴な態度をとる放送各局。

こんなやつらだから、おそらく、強引にカネを請求することだろう。

「ポポポポーン」っと「不愉快な仲間たち」のカネをめぐる
仲間割れの第一ラウンドが始まる。

しかし、よく考えてみると・・・・・、
今回のACジャパンのCMをめぐる根本的な問題は、
放送料金を支払う、支払らわないの問題ではない。

放送局の報道機関としてのあり方だ。

あんな非常識な形でACのCMを大量に放送することは、
報道機関としての信義に反することなのだ。

真実を伝えるべき時に、カネが請求できないからといって
常識外れにACのCMを流すこと自体、報道機関として
あってはならない行為だろう。

放送各局の電波事業を認可している総務省、
この事態についてなぜ問題視しないのか。

おい、こんな非常識な放送局に電波事業を認可している総務省、
こんなやつらに与えた電波事業の免許を即刻、取り上げろ。

今回の東日本大震災、
その被害もさることながら、いろんなところで日本の社会を支える
仕組みの矛盾が露わになった。

広告もその一つ。

この後、「ポポポポーン」と、
大きく変わらなければならない時が来る。

舐めてる・・

こいつら、舐めてんのか!
このやろう!
ふざけあがって!

かつて、広告界の大巨匠オグルビーは言った。
「消費者は、馬鹿じゃない。」と、

国民も馬鹿じゃない。

広告ではなく、放射能の話。

日本人は、放射能が、どんなに恐ろしいものかを知っている。
広島の原爆被災

さすらいの「Angry old man」                     -広島原爆1











そして、長崎でも・・・・、
放射能の恐ろしさを身を持って体験した。

$さすらいの「Angry old man」                     -長崎原爆1



















その後、アメリカのビキニ島核実験で、第五福竜丸が被爆も経験。

団塊の世代は、修学旅行での広島、長崎の原爆資料館の見学、
第五福竜丸の映画鑑賞など、原子力の恐ろしさに対する教育を受けている。

福島第一原発の事故による放射能汚染が深刻化する中、
「放射能は、体に良い」と抜かしたヤツがいる。

こいつ、国民は無知だと思って舐めているに違いない。

現東電顧問
元自民党参院議員、
「原子力を守る」政策会議 参与

加納時男

さすらいの「Angry old man」                     -加納1

















朝日新聞が加納時男の原発事故についてのインタビュー記事を載せていた。


$さすらいの「Angry old man」                     -朝日加納記事



















それを読んで、怒り心頭。
加納時雄、「低線量放射線は体にいい」とのたまっている。

―福島の現状をどう感じていますか。
 「東電出身、元国会議員として二重の責任を感じている。
  インターネット上で『お前は絞首刑だ』『A級戦犯だ』と書かれてつらいが、
  原子力を選択したことは間違っていなかった。
  地元の強い要望で原発ができ、地域の服用や所得が上がったのも事実だ」

―河野太郎氏は「核燃料サイクル」政策は破綻していると主張しています。
「反原発の集会に出ている人の意見だ。自民党の意見になったことはない。
 反原発の政党で活躍すればいい。社民党に推薦しますよ。
 福島瑞穂党首は私の大学の後輩だから」

 ―今後も原発を新設するべきでしょうか。
 「太陽光や風力というお言葉はとってもロマンがある。
  しかし、新増設なしでエネルギーの安定的確保ができるのか。
  二酸化炭素排出抑制の対策ができるのか。
  天然ガスや石油を海外から購入する際も、
  原発があることで有利に交渉できる。
  原子力の選択肢を放棄すべきではない。
  福島第一原発第5、6号機も捨てずに生かす選択肢はある」

―東電の責任をどう考えまずか。
 「東電をつぶせと言う意見があるが、株主の資産が減ってしまう。
  金融市場や株式市場に大混乱をもたらすような乱暴な議論があるのは残念だ。
  原子力損害賠償法には『損害が異常に巨大な天災地変によって
  生じたときはこの限りではない』という免責条項もある。
  今回の災害があたらないとすると、一体何があたるのか。
  全部免責しろとは言わないが、具体的な負担を考えて欲しい」

 「低線量の放射線は『むしろ健康にいい』と主張する研究者もいる。
  説得力があると思う。私の同僚も低線量の放射線治療で病気が治った。
  過剰反応になっているのでは。むしろ低線量は体にいい、
  ということすら世の中では言えない。これだけでも申し上げたくて取材に応じた」
                                    朝日新聞より

こいつ、低線量の放射線は「むしろ健康にいい」と本気で言っている。
医療用放射線と原発の放射線を混同している。
元東電副社長の原子力の知識がこの程度のいうのは、あきれ返るばかり。
稚拙な原子力の知識しかない奴が顧問で良いんですかね。東電さん。

加納時雄、
お前は、目黒区中町の閑静な住宅地でのうのうと暮らしてないで、
福島の原発、一号炉の中に家族そろって引っ越すがいい。
お前の好きな放射線を好きなだけ浴びて、長生できるだろう。

記憶するに以前、この野郎、
「プルトニュウムは、舐めても安全だ。」とも言っていた。
だったら、国民舐めたこと言わないで、
プリトニュウム舐めてもらおうじゃないか。

おい、東京電力、どうなっているんだ!

この発言時に東電は、加納時雄をクビにして
社会から抹殺すべきであっただろう。
こんな奴が、国会議員だったとは、情けない。

ふざけた奴は、加納時雄だけではない。

原子力の父と呼ばれた政治家で、読売新聞社主、
日本テレビ、オーナー正力松太郎。

$さすらいの「Angry old man」                     -正力2

















「原子炉から出る死の灰も、食物の殺菌や動力機関の燃料に活用できる」
「死の灰の活用 全てのバイ菌も即座に死滅」だと言っていた。

第五福竜丸は、アメリカ核実験の死の灰で被爆。

$さすらいの「Angry old man」                     -第五福竜丸










久保山愛吉さんをはじめ乗組員は、食物の殺菌、バイ菌も
即座に死滅どころか、放射線の後遺症に悩まされ、
短い人生を送らざるを得なかった。

$さすらいの「Angry old man」                     -久保山さん


















死の灰は、バイ菌どころか、人間の命も殺す。

今更ながら、正力松太郎、
厚顔無恥も甚だしい。

加納も正力も、欲の皮が突っ張って金と権力に目がくらみ、
脳みそが垂れ流れてしまっているに違いない。


北野 武

$さすらいの「Angry old man」                     -たけし1









こいつも、国民、舐めたこと抜かしてた。

 「おいらは大学も工学部ですから、原子力関係の話は大好きなんですよ。
今日は新潟県にある柏崎刈羽原子力発電所の中を見学させて
もらったのだけど、面白くて仕方がなかった」

 「原子力発電を批判するような人たちは、すぐに『もし地震が起きて原子炉が壊れた
らどうなるんだ』とか言うじゃないですか。
ということは、逆に原子力発電所としては、地震が起きても大丈夫なように、
他の施設以上に気を使っているはず。
だから、地震が起きたら、本当はここへ逃げるのが一番安全だったりする(笑)。
でも、新しい技術に対しては『危険だ』と叫ぶ、オオカミ少年のほうが 
マスコミに受けがいい。」                           
               「新潮45」 2010年6月号、原子力委員会の近藤駿介と対談 

おい、たけし!
その筋からもらった金は500か1000か。
そんなに原発が安全ならば、のうのうとテレビで
つまらんギャグかましてないで、地震の度に
福島第一原発に逃げ込んだらどうなんだ、
この野郎!
     
たけしは、こんなことも言っている。
原発廃止論に反対して、
「交通事故の年間の死者の数を考えて、
 自動車に乗るのを止めましょうとは言わない」と。

次元の違うものを、比較して論じる舐めた発言、
国民をばかにするのか、許せない。


北野武と同じ理論を展開したアホな新聞記者がいる。

産経新聞、論説顧問
飯田浩史 
日本大学工学部卒

原子力長期計画への意見要旨の中で、ふざけたことを言っていた。

「原子力発電が発電エネルギーの主軸であるとの現長計の在り方は維持すべきである。」
 とのたまわった挙句、
「現在34%といわれている原子力のシェアは少なくとも40%程度まで引き上げる
 べきである(現在の年間発電総量は約1兆キロ㍗)。」と言い、
「原子力発電には絶対の安全性が求められている(物事に絶対はないが)。
 だが、世界で400基以上もある原発で1965年以降(はじめからの意)
 これまでに住民らの被爆被害は1件もない。
 ひるがえって同期間の航空機事故は50件で約7300人が犠牲になっている。
 もし…をいうなら航空機には乗れないことになるが、みなさんは平気でのっている。
 これを法律用語では「危険への接近」といい、事故にあっても賠償額は減らされても
 文句はいえないことになる。」

航空機事故と原発事故を同次元で比較するこの馬鹿さ加減。

航空機の事故が起きたら、半径30キロにわたって
何十年もの間、立ち入り禁止にするのかよ。

この産経新聞論説顧問、飯田浩史、
「原子力長期計画への意見要旨」のなかで発電量の単位を
「キロワット」と書いていた。
これは間違い。
三流大学文系出身でもすぐ解る。
「キロワット時」が正解だ。

専門分野の論調で単位を間違えるお馬鹿ぶりは、
さすが産経新聞としか言いようがない。

恥ずかしくないんですかね、産経さん。
こんなやつ、雇っておいて・・・。


舐めんじゃない、国民を。

加納時雄、
正力松太郎
北野武
飯田浩史
お前ら、国民を舐めんじゃない。

広島、長崎の原爆被災者は、今だに放射能の後遺症に苦しんでいる。

チェルノブイリでは、
原発事故の収拾に当たった多くの作業員たちは、
放射線の被害による白血病や癌の発病に悩んでいる。
そして、住民たちは、未だに自分たちの故郷に戻れない。

放射線の被害に苦しんでいる人たちがたくさんいる。

原発を擁護するあまり、科学的根拠のない
支離滅裂な論理を展開するんじゃない。

国民を舐めるな!
この野郎!
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