近況報告 | spider-thread-21のブログ

spider-thread-21のブログ

投資を通して皆が自分らしく生きられることを目標にしています

約二カ月ぶりのブログとなります。今日は近況について書きたいと思います。

 

事故が起きて人生が変わった、というのが正直な気持ちです。実は僕は子供のいない両親の家に養子として迎え入れられたので、両親は年老いています。この辺りのことはまた別のブログで書いてみようと思います。

 

さて、交通事故に遭った母ですが、急性期医療のために救急搬送された病院は事故から一ヶ月後の9月26日に退院し、回復期医療のためのリハビリを受ける病院へと転院しました。失語症、誤認症、逆行性健忘症などあまり馴染のない言葉を医師たちから聞かされております。要するに少なくとも過去30年の記憶はありません。また30年以上前であってもしっかりとした記憶はなく断片的で、母の昔の写真を見せてもそれが母自身だとは認識できません。世の中で、母の自分の名前と息子である僕の名前だけは憶えているのですが、どういうわけか僕のことは認識できませんし、子供のころの写真を見てもそれが僕だとは分からない。正直、何がどうなっているのか分かりません。脳挫傷により前頭葉や側頭葉が損傷しており、MRIの画像をみると出血していた左側頭葉周辺が黒くなっており、その部位の脳がなくなっていることが分かります。

 

父は仕事人間でしたので、家のことは母に任せていました。ですから、本当に何もできない状態。全てのお世話を僕がしていたのですが、食べるという行為以外、食器の片づけもできず、辛うじてご飯をよそったりおかずを鍋から器に入れる程度。2杯目には茶碗、はしなどをかえるので気が付けば食器が毎日山積みになっていました。僕は仕事から帰って深夜に後片付けやらゴミ出しをする毎日でした。

 

僕の仕事の方は母が事故にあった翌日に昇格通知が米国から来て、米国のCEOとの面談が組まれました。まったく仕事どころではなかったのですが、日々の仕事、父の介護、家のこと、そして病院通いをしながら準備を進めて何とか乗り切りました。

 

同時に父の介護は僕の出張生活ではほぼ不可能なので急遽介護認定の申請をして要介護の認定を受けることができました。今は母の介護認定の結果を待っています。母は常時介護が必要な状況です。

 

僕は年間ほぼ毎日出張するような生活ですので、母がこのようになった今では父を介護施設に入れる日もいづれ来るだろうと思い、父と相談して休みの日に施設の見学をしに行きました。高齢化社会の日本では会社でも外部専門家の援助を積極的に受けるように推奨されています。しかし、現実にはハードルがつきもの。僕の場合は親戚中が僕を非難し、姥捨て山に捨てるのか?!という話になりました。近所のお医者さんに介護認定の診断書を書いてもらうときにこぼすと「なんて無責任なことを言うんだ、その親類たちはっ!」となり、自分は間違っていないんだと少しホッとしましたが、親戚の反対を押し切るには養子である僕は肩身が狭く結局は無理に無理を重ねて父の介護をしながら仕事をしてきました。朝昼晩の食事の準備をして、母の病院通い、炊事洗濯、ゴミ出しなどもして出張をこなすのはキツイの一言です。

 

僕は毎日のように朝から米国などとの電話会議が入っているのですが、朝9時頃に一息ついていたら、今から3週間前ですが庭から呻き声が聞こえました。出てみると父がウバメガシを田んぼの畦道側から剪定しようとして草に足を取られて溝に頭から転倒していたのです。急遽、会社を休んで病院に連れて行き、鼻の下の口内に貫通する切り傷の処置が個人クリニックでは不可能ということで総合病院にも行き縫合処置をしてもらいました。加えて、石でぶつけた頭に異常がないかのCT検査も受けました。結果、脳には異常がなくホッとしましたが。

 

ただ、僕もこんなに大変な時期に無理をして転倒する父の身勝手さに腹が立ちました。すると父も反省したのですが、その後、1週間連続で僕が出張に出て、いない間はヘルパーに食事などを任せました。すると、次はヘルパーが父を年寄り扱いするのが気に入らないらしく帰ると僕に八つ当たりが始まりました。ここで僕も我慢の限界に達し父と口論になるという始末。そもそも杖を用意していても自分は大丈夫と言って使わないし、庭での転倒の前にも今、父に怪我をされると立ち行かないと散々に注意を促してもいましたので、僕のストレスも頂点に達していました。

 

上記は極限の状況が続いた介護家庭で起こりがちなことだと思います。

 

口論の中で僕はこれ以上できない程に色々とやっていると主張。例えば、出張中に加害者への医療費の請求、病院への支払、役所での手続き、弁護士との折衝、保険会社とのやりとり、警察とのやりとり、ケアマネとのやりとり、ヘルパー管理者とのやりとり、病院とのやりとり、等々。これに加えて、親戚からの質問対応、ゴミ出し、近所の人たちへの対応、と言い出したらきりがありません。

 

怒っていた父も漸く事態をある程度理解したらしく、食器は水で流してからシンクに置くようになったり、自分の皿は洗ったりと歩み寄りが始まり、今は僕もやっと少し落ち着いたところです。

 

父の部屋も二階から一階に移動し、今は僕が二階に移動。その整理や家の掃除にも時間がかかりました。母の荷物もどこに何があるか、銀行通帳、各種支払、分からないことだらけなのです。本当に地獄のような毎日でした。

 

ただ、物事は一つ一つ片付けて前に進むしかありません。今、漸く、すべてのことにある程度の目途がたってきました。なので久しぶりにブログを開くことができました。

 

昔、旅行をした時に額縁に飾られていた書を見たのですが、そのことを思い出す今日この頃です。、

 

「歳寒くして然る後に松柏の凋むに遅るるを知る」

 

こんな時に暖かい言葉をかけてくださったり助けてくださる方々がいます。本当に感謝です。長い人生、いろいろなことがありますが、絶対に何とかなると思います。