ヒカルの碁という漫画を御存じでしょうか。特にやりたいこともなかった小学生が囲碁を通して成長する物語です。今、囲碁界で活躍している若手はこの漫画が刺激になって棋士になった方も少なくありません。漫画一つで日本の囲碁界が活性化したのですから、大したものだと思います。ストーリーも大変優れていて、囲碁を知らない人でも年齢によらずに楽しめる漫画だと思います。
実は僕もこの漫画のアニメをYouTubeで見て囲碁を覚えました。日本は平安時代から貴族階級で碁が嗜まれていましたが、江戸時代に飛躍的に発展し研究が進みました。2000年になるくらいまでは、世界で日本人棋士が圧倒的に強かったのです。日本は戦後、囲碁の普及に積極的で韓国、中国、欧米に棋士を派遣して囲碁界の発展とその世界化に努めました。
日本の棋士たちは400年以上の歴史ある囲碁文化を伝える際、大変なプライドをもっていただろうと思います。囲碁は人間の感性が介在する芸術的な要素も含まれるのでコンピューターは囲碁のプロ棋士には10年以上は敵わないと言われていました。人間相手でも、日本人棋士はアジアでも簡単にその地位を失うとは思っていなかったでしょう。
しかしながら、韓国や中国に囲碁を教えた側の日本は特に2000年以降は世界大会で苦戦し、トップの座を韓国に奪われ、今は中国が韓国と同等以上の棋士を多く輩出しています。最近はヒカルの碁世代が少し盛り返してはいますが、世界大会で韓国や中国の棋士が日本人棋士にあたると喜ぶと言われるくらいに実力差が開いてしまったのです。
ここ5,6年は、AIの進化が注目されました。Google DeepMindによって開発されたAlphaGoが2015年に囲碁のプロ棋士を負かし、翌年には世界最強棋士の一人と言われた李世ドルを4勝1敗で打ち負かしたのです。僕もライブ中継をネットで見ましたが、李世ドルが一局だけ渾身の力で勝ち取った対局にむしろ感動したくらいでした。2017年には世界トップを自任していた中国の柯潔に対しAlphaGoは3戦全勝しました。もはや囲碁プロ棋士はAIに勝てません。
これは資本主義経済にも示唆を与えるものだと思います。日本囲碁界はまさか自分達が韓国や中国にこんなに早く負かされるとは考えなかったでしょう。囲碁は完全情報ゲームであり、勝敗に運の要素はあまりなく、究極の頭脳ゲームなのです。資本主義世界は資本の蓄積がストックとして影響しますが、頭脳ゲームは研究によって400年の歴史を覆すことが10年スパン程度で可能になってしまうのです。資本主義も時間を味方につけて、国が支援をすれば業界によっては下剋上が思いのほか早く進行します。韓国や中国はこのことをよく研究したのでしょう。エンタメやITはこの部類だと思います。特にエンタメは国全体のイメージを上げるソフトパワーとなることは昔から有名な話でした。よいコンテンツを楽しみたい消費者としては選択肢が増えることはよいことですが、ビジネスとしては日本は先行者の地位を脅かされた結果となり、どこかで囲碁の世界で見られたようなプライドと油断があったのかも知れません。
ところで、日本の外国人労働者を見て僕は心配になることがあります。理由は比較的低賃金の分野に多くの外国人が雇用されているからです。本来は最も付加価値の高い分野で日本企業の開発力に寄与して欲しいところですが、そのような高級人材は米国などに流れます。先端分野で外国人を雇用すると何かを奪われてしまうと考えているのでしょうか。これは分野によって戦略を変えるべきで、一体日本は何を守りたいというのでしょうか。例えば、物理や化学などは長年の蓄積が利いてくるかもしれませんが、ITの分野は囲碁のような頭脳ゲームの世界に近いと思います。友人の話によると優秀なAIエンジニアは初任給が1,500万円でも獲得が難しいようです。そのくらいの給料は欧米や中国の企業がオファーすると思います。ここ20年~30年で日本の賃金や物価が上がらなかったつけは高級人材の獲得にもマイナスの影響を及ぼしているのです。一部では外国人労働者の受け入れが治安悪化を招くなどという論調もありますが、この調子でいくと、いづれは日本人が外国に高給をもとめて出稼ぎ労働にいく羽目になるかも知れません。我々はもっと謙虚に色眼鏡を外して世界情勢を見る必要があると思います。高級人材を獲得し、日本の競争力を増大させるのは政治の力だと思います。一部の政治家が、外国人が日本に来たがるのは問題だ、と言っていましたが、呆れてものも言えません。来たくない日本が、日本人にとって住みやすい日本になるのでしょうか。
ノーベル賞をアジアでは多く輩出している日本ですが、教育や研究分野が国の財政問題で細っています。最近は、引用数の多い論文数が欧米や中国に比べてふるいません。韓国にもこの調子でいくと追い抜かれそうな状況です。日本の技術力や研究はアジアでは圧倒的だ、という比較優位も近い内に幻想になりそうです。全ての根源は、30年間、日本が成長のためにすべき改革を進められなかったからだと僕は思います。これは教育が一定方向に従う大量生産型のままで、本質を考えて見抜くことよりも、暗記中心だったからだと思います。スポンサーや視聴率の動向を見るメディアに左右されて腰がすわらないのです。僕たちには聞きたいことだけではなく、聞きたくないことにも冷静に耳を傾けて、考えて、判断することが大切だと思います。教育の呪縛は、クイズ王で東大対京大対決などがテレビで高視聴率を取れるところに現れていますね。僕たちが無意識に凄いと思うのは知識獲得型のエリートなのです。一部、私学の進学校に行く中高生は独自カリキュラムで世界とつながっているので、危機感や向上心にかられた生徒の中には欧米の大学に行くケースも増えてきたようです。それでも、殆どの一般家庭出身の学生は日本が貧しくなっていることを自覚できない教育制度のループから這い出せないように思います。
日本にある多くの一部上場企業は昔ながらの仕事を「改善」という名の下に延々と続けていますが、限界を超えているところが多いように思います。彼ら彼女らは一般的に恵まれた環境に属している筈です。それでも日々、何かがおかしいと思いながら仕事をこなしているのかも知れません。これは真面目な従業員の問題だけではなく、大量生産型の教育から生まれた経営者の問題だろうと思います。絞った雑巾を、絞り方を改善して絞ったとしても、努力に見合う結果は得られないと僕は思います。
囲碁の世界では、韓国や中国は必死に勝利することを目的として据え、芸術性を犠牲にしているとの批判を乗り越えて取り組み続けました。日本の囲碁界の重鎮は、完敗を認めざるを得ない状況になるまで、その芸術性の欠如を見下げているようでした。芸術性は勝者に許される余裕なのかも知れませんね。世界で勝てない日本の棋士が自分達の打ち方は芸術的だと言ったところで、後の祭りだと思います。僕たちは経世済民においても、世界を見て、正々堂々と実力で勝負できる人間になる努力を継続していくしかないと囲碁の世界を見て思うのです。