「不登校」というのは、

 

 以前は「登校拒否」という心理的な原因による子どもの不適応行動とされていたのが、

 

  いろいろなタイプがあって原因も様々であることを踏まえて

 

 「不登校」という言葉になってから、もう数十年が経ちます。

 

しかも、不登校自体は「問題行動ではない」ということが

 

  文部科学省の公式見解として示されてから既に数年経っています。

 

 

しかし、学校現場でも、家庭でも、温度差はあるもののやはり依然として、

 

 「不登校は問題行動であり、改善していく必要があるもの」

 

   という認識が強い状態にあると感じています。

 

学校がそう考え続けているので、

 

 親のほうも当然のように、「不登校は問題なこと」ととらえたままなのです。

 

 

 

 ここで、改めて

 

「不登校は問題行動なのか?

 

 問題行動ではないと言うとき、その理由は何なのか?」

 

  を考えてみてほしいと思います。

 

 

 

この点について、多くの人はこう答えます。

 

  「小学校・中学校は義務教育なので、学校に行くのが当たり前だ。」と。

 

このとき、「義務教育」の意味を勘違いしている場合が結構あります。

 

 特に子どもたちはほとんど間違った理解をして(させられて)います。

 

 

 

義務教育というのは、

 

 保護者は子どもに教育を受けさせる義務があるというもので、

 

 子どもが教育を受ける、つまり学校に行く義務があるわけではないのです。

 

 

子どもは、「教育を受ける権利」がある立場であって、

 

 「学校は義務教育だから行かなければならない」ということではないのです。

 

親の方も、

 

 「学校に行くのは当たり前で、理由もなく休むことは許されない」と考えがちです。

 

  だからこそ、「学校に行かないのは問題だ」という考え方になるのです。

 

 

 

 

子どもたちに「学校はなぜ必要か?なぜ行く必要があるのか?」

 

 を聞いてみたことがあります。

 

 

ほとんどの子が、「勉強をするため」と答えます。

 

 勉強することが大切なことだというのは理解しているわけです。

 

 

   でも、学校に行かなくても勉強はできます。

 

昔のように、学校に行かないなら家の手伝いや仕事をさせられるなんてことは

 

  今ではほぼほぼありませんから、

 

   家で勉強をする時間は十分にあります。

 

 ましてや今は、いろいろな通信教育があるので、教材も手に入ります。

 

  何なら学校よりも手厚く、わかりやすく指導してくれます。

 

 「分からないところがあったときに、学校なら先生に教えてもらえる」

 

   という人もいますが、

 

 今時の学校は、分からないところがあっても

 

   先生が丁寧に個別指導してくれる保証はありません。

 

 

子どもの勉強の面倒を見てケアしていくのは親の役割

 

  と思われていることも珍しくないのです。

 

 

 

子どもたちにとっては、

 

 学校に行くメリットは勉強を教えてもらうこと以外に、

 

  友達と会える(遊べる)こともあります。

 

 しかし、それはそういうことを求めている子どもにとってのメリットにはなっても、

 

 友達と無理に遊んだりしたくない、

 

 むしろ一人で静かに気ままに過ごしていたいと思っている子どもにとっては、

 

   逆にマイナス要因だったりもします。

 

 

 

 問題の原点に戻りましょう。

 

 「不登校」は誰にとって困ることなのか?

 

  まずすぐに浮かぶのは「その子」でしょうか。

 

 具体的には何が困りますか?

 

  本当に困りますか?

 

   本当に?

 

 

大人から見て「○○で困ることになる」と思うのでしょうが、

 

 その子からすれば余計なお世話という可能性はないでしょうか?

 

その子の考え方や生き方を、

 

 大人が正しいと思う形・方向で勝手に修正させようとすることは適切ですか?

 

 

 

 「子どもは未熟で、まだ世の中のことをよく知らないし、

 

  適切な判断を下していく力もまだないので、

 

  大人が必要な方向付けをしていくことは当然のことだ」

 

   と多くの人が思っています。

 

 なぜなら、自分たちが子どもの頃から、

 

   家庭でも学校でもそう教え込まれてきたからです。

 

 

 

本当に「子どもは未熟」なのですか?

 

 「未熟」とはどういうことを指すのですか?

 

 子どもと大人の違いは、「未熟かどうか」にあるのですか?

 

 未熟な大人(今はとても多いですが)である場合は、

 

  本当は大人ではなく子どもと見なすべきなのですか?

 

 

大人の方が成熟しているという考え方は、

 

 大人たちが勝手に作り上げた幻想であり、

 

 今の子どもたちの本質を無視しているものでしかありません。

 

今の子どもたちの多くは、

 

 既に大人よりもしっかりした考え方ができて、

 

 持って生まれた才能・能力は今の大人たちが驚くほどのものです。

 

 精神性や魂の成熟度は、今の大人たちよりはるかに高いのです。

 

  そういう子どもに無理矢理

 

   レベルの低いものを押し付けようとしているだけかもしれないのです。

 

  今の子どもたちが創造しようとしている新しい世界・社会というものを

 

   大人たちが理解できずにいるだけなのかもしれないのです。

 

 

 

つまり、不登校は、

 

 親にとって、大人にとって困ることなのです。

 

  大人にとって不都合なのです。

 

 大人たちが作り維持していこうとしている今の社会にとって不都合なのです。

 

   子どもたちの側の問題ではないのです。

 

 

 

さて、不登校の原因にはいろいろあるので、

 

 これさえ解決すれば大丈夫というものもなかなか見つからないのですが、

 

 さまざまな心理的・情緒的問題のほかに、

 

 「学校(義務教育)」という制度についても度外視すべきではありません。

 

 

 

そもそも、「子どもが行きたくなくなるような学校」であれば、

 

 家にいるよりは学校に行った方がずっと楽しく有意義な時間を過ごせるはずです。

 

基本的なところでは、子どもはみんな勉強したいのです。

 

 勉強は嫌いだと言いながらも、結局のところ勉強が大事だと思っているからです。

 

 

でも、その勉強が学校では楽しくできないとするなら、

 

 単に子ども自身の学力不足や学習意欲の問題ではなく、

 

 学校という社会の学習環境に何か問題がある可能性があるのです。

 

 

ところが、学校そのものに何か問題があるとは、

 

 学校側では滅多に考えないものです。

 

  ましてや、その子の担任の先生に問題がある、

 

    とは決して考えませんし、指摘もしません。

 

 

 

今の学校教育や義務教育制度自体に本質的な問題性があることは

 

 既にいろいろ指摘されているにもかかわらず、

 

 それを文部科学省や教育委員会、あるいは各学校が

 

  真剣に問題視して対応策を検討する動きは、残念ながら見たことがありません。

 

 

 

不登校対策として教室以外の居場所を学校内に用意しても、

 

 「学校は勉強する所」という意識が教師側には強いので、

 

 子どもが勉強するエネルギー不足になっていても勉強するよう指導しがちで、

 

  子どもにとっては居心地の良い、

 

   エネルギーチャージができる居場所にはなりにくいのです。

 

 

 勉強するだけなら、今は家庭でもいろいろな教材が手に入るので、

 

  無理に学校に行かなくても勉強できます。

 

 

 

こんなときには、「学校では友達との人間関係を学べる」

 

   ことをメリットとして上げてくることがあります。

 

 その機会を失うと、

 

  将来、社会に出てから苦労する、

 

  当たり前の社会生活が送れなくなりやすいとも言われたりします。

 

 

     本当にそうなのでしょうか?

 

 

それは、今の社会の一般的な会社で働く場合を想定したものであって、

 

 もっといろいろな職業や社会生活の送り方のバリエーションがあります。

 

たとえ人間関係が上手に形成・維持できないとしても、

 

 それに合った仕事なり生き方はたくさんあります。

 

 一流企業に就職することが最大の目標であった時代とはもう違うのです。

 

 

 

改めて、「学校はなぜ必要なのか?なぜ学校に行く必要があるのか?」

 

 について誰もが納得できる答えを示してほしいと思います。

 

  幼稚園と保育所との違いの問題も無視はできません。

 

  小学校と中学校との指導方針や教師の姿勢の違いも、

 

    改めて根本的な見直しが求められます。

 

 

 

今の小学校・中学校は

 

 本当に子どもたちにとっての適切な学習環境になっているのか

 

  という疑問に真っ正面から向き合っていくことが求められます。

 

 

不登校を子どもの問題ととらえるのではなく、

 

 今の社会、学校教育の問題、

 

 既に疲弊し時代遅れになっている考え方・教育方針の問題として

 

  本質的な改善が必要になっていると私は強く感じています。

 

 

 

学校で学べる事は、

 

 「思いやり」の気持ちとその実践、

 

 そして「協調すること」の意味と大切さの実感だと指摘している方がいました。

 

 

そうであるなら、それこそを学校の最も重要な役割として、

 

 学校のあらゆる教育活動や教育内容を整え直していくことが必要なのかもしれません。