扉の隙間から零れる
薄明りだけを頼りに
彼女は今日も
紙の上に
血を吐くように 綴る
「わたしは何も悪くないの
誰も傷つけてなどいないの
わたしをたくさん傷つけた
あなたたちが 悪いの」
時計の針が軋む音
ペン先と紙が擦れる音
紙の上に水が落ちる音
それだけの部屋で
「同じ」じゃなきゃいけないのですか
「違う」ことは 罪だとでも言うのですか
わたしは わたしに 嘘をついて
それが「正しい」のですか
扉の隙間から零れる
光が 部屋を満たす頃
彼女はひとり
窓の外の
朝焼けを見つめ 目を閉じる
「ああ また今日が 始まってしまった
一体 あと何回 繰り返すのだろう
終わらせ方くらい 知っているはずなのに
」
もう とっくに疲れたのに
「わたし」を 殺せば いいのですか
「みんな」に なれれば良かったのでしょうか
他に合わせて回る 歯車みたいに
ひとつしか知らない方が
みんなが言う「しあわせ」だったのでしょうか
ねえ
わたしは
誰でもないんだよ
わたしは
わたしで
誰でもないんだよ
「同じ」じゃなきゃいけないのですか
「違う」ことは 罪だとでも言うのですか
わたしは わたしに 嘘をついて
それは「わたし」なのですか
隔月投稿にしているつもりはないのですが、気づけば9月も終わりです。
毎度申し訳ありません。kouです、お久しぶりです。
今回は「集団の中にある自分」というか、そんなような詞です。
自分はそれこそ小学生のころから感じていたのですが、何人かのグループでいて、自分以外の全員が「これはこうだ」「皆でこうしよう」と言ったら、そこで自分が反対する意見を言った途端にそのグループの中で「異質」なものとして認識され、距離を置かれ、そこまでいかなくても場の空気が悪くなったり、まるで自分が異なる意見を言ったことが「悪」だというように思えてしまう、そんな経験はないでしょうか。
その状況をものともせず、自分の意見をしっかりと主張できる と自信満々に言える方ももちろんいると思います。
でも自分はそうではない人間でした。今もそうです。集団の中で自分が浮いてしまうことを避けようと、周りに合わせて行動しようと必死になっていた時期もありました。
ただ、それははたして自分にとって「正しい」ことなのか。
歌詞の中にも書きましたが、「自分に嘘をついてまで、その中で生きていかなければならないのか」。
そういったことを考えながら、今回の詞を書きました。
自分はまだまだ未熟で、たかが20年弱しか生きていない人間です。考え方だってきっとこれからも変わっていくだろうし、自分を確固として保っているといった自信なんて欠片もありません。
それでも、これを読んだ誰かが、何か考えてもらうことがあればいいなと、漠然と思っています。
長くなりましたがこのあたりで。
感想お待ちしています。