鬱と迂闊な月曜日 -2ページ目

うつ病日記。14

OH!!

なんてことでしょう。

うつ病になって失ったもの、たくさんある。

その中で、大切にしていたもの。

読書です。

僕の場合はミステリーのみなのですが、若いころから大好きで、月に何冊も読んでいました。

 

しかし、うつ病になって活字が読めなくなったんです。

何度も、何度も読んでみたけど、全く頭に入ってこない。

集中して読むことができません。

今でもです。

 

だけど大好きだから、気になった本はとりあえず買っている。

けれども読めずに本棚の片隅にいる。

本たちがかわいそうだ。

だけど読めない。

 

いつか読める日がくるのかな。

その日がきたら、たくさんの本を読みたいと思っています。

 

いま、自粛で自宅にいる時間が多いのに本を読めれば一番いいのになぁ。。。

 

いつか絶対本を読めるようになるぞ!!

 

 

アデュ。

 

未咲シキ。

うつ病日記。番外編

2020年4月。

日本で開かれるオリンピックの年。

今この日本では大変なことが起こっている。

日本だけでなく。世界でも。

 

よく耳にする。中国が悪いと。

でも、この悲劇に加害者はいないと個人的に思ってる。

被害者がたくさんいるだけで、どこの国の誰が悪いって。そんなことはないと思う。

 

国や自治体では自粛とよく言う。

ただ、スーパーへ買い物に行ったり、必要最低限の外出はしなければならない。

先日こんな風景を目にした。

朝、車を走らせていると、パチンコ屋さんの前に人が並んでいたんです。

パチンコはすることもあります。だからパチンコ屋さんの中がどうなっているかもわかります。

隣に座る人との距離は30センチ程度。マスクをしてるとは言え、これでは自己防衛にもなっていない。

とはいえ、パチンコ屋さんが営業しているのだから、パチンコが好きな人は行くのだろう。

 

先日有名なコメディアンが亡くなりましたよね。

それでも危機を感じてない。まさか自分がとは思ってもいない。

パチンコ屋さんには高齢の方もいらっしゃいます。

 

結局は対岸の火事なんです。

日本人は自分や近しいひとに事が起こってから気づく。

クリスマスやハロウィンといった海外の風習を取り入れる順応性があるのに。

気づくことができない。

お祭り騒ぎは好きなのに。

忍耐することができない。

 

他人様がどうなろうと知ったことではないが、それでもそんな風景を目にしてしまったら悲しくなってくる。

行くな、やるな、とは言わないけど。考えようと伝えたい。

 

僕の会社では、朝検温をして、出社してからも検温がある。

朝の時点で発熱があると休みになる。

会社のデスクは広くはないので、隣の人との距離は1メートルも空いてない。

だから、会社もこれからの体制を考えているみたい。

 

先日は、僕の姉の友達がすすきので店を出してるんだけど、営業もできずにいて、家賃も払えず。

8年がんばった店を閉めざるを得ないと言っていた。

 

小さく営んでいるところはこうなっていくのかな。。

 

そうやって。消えてしまう小さな火もある。

 

きっとみんな、誰かのせいにしたいんだと思う。

SNSを見ても、どこの国がとか。そんなことを吐き出さないとやってられないんだと思う。

 

かくいう僕も、土曜日辺りから発熱と咳が出始めて、昨日内科に受診してきた。

なるべくなら病院には行きたくなかったけど、症状が症状だったから念のため。

通院している精神科でさえ2か月に一回になってしまったのに。

内科に行くと、けっこうの数の患者さんがきていた。

しかし、咳き込んでいるのは僕だけ。

待合室の影の方でマスクを上からおさえて咳をしてたけど、周りの目は白く。

看護師さんに頼んで、奥の部屋に連れて行ってもらった。

こんな時だから仕方ないけど、他の患者さんの目がすごく怖かった。

今回の騒動の菌だけではなく、こうやって差別って生まれていくんだなぁって思った。仕方のないことだけど。

 

結局は、白。風邪だったようです。安心しました。

 

この一件の騒動が終息したら、旅がしたい。どこか遠くに行きたい。

 

その前に、ちゃんと自己防衛して、この恐ろしい騒動を見届けたい。

 

神様も仏様も、信じてないけど。

こんな時だけ申し訳ないけど、お願いしたいなって思ってます。

 

 

アデュ。

 

未咲シキ。

うつ病日記。13

さて。これからどうなって行くのか。

 

僕は朝起きると、まず一日を諦めていた。

何をするでもなく、何かに希望を抱くわけでもなく。

ただ淡々と一日が終わるのを待つ毎日でした。

 

息子だけが唯一の救いで、息子と遊んでいるときは何もかも忘れていられた。

 

息子がたっちした日。おしゃべりを始めた日。全部覚えてます。

仕事をしていなくても、息子の世話だけはきちんとできた。

 

そして時は流れて、息子は幼稚園にあがった。

その時には妻も働きに出でおり、育児と家事は僕がやっていた。

初めての登園日、息子がバスに乗りたくないと泣いて、バスに乗せるのに苦労したのを覚えています。

参観日、運動会、学芸会。全部参加した。

 

幼稚園にあがって初めての運動会の日、息子は水疱瘡になってしまい、妻と涙したんですが、幼稚園側の配慮もあり、集団の中には入れなかったものの、遊戯や徒競走には参加させてくれました。

息子の最初の晴れ姿を見れて嬉しかった。

 

そして時間はまた流れます。

息子が年中さんの秋。僕と妻は決断をすることになった。

 

離婚。です。

 

情緒不安定な自分は、幸せながらもカッティングやODを繰り返していた。

そんな自分も嫌で、そのたびに悲しく曇る妻の顔。

息子の前では見せられない自分がエスカレートするのが怖くなり、別居ではなく、離婚することとなった。

 

今から7年前の話になる。

 

 

アデュ。

 

未咲シキ。