ときどき都市部や公共交通機関などを利用すると、数年前と明らかに変わったと思えることがある。
静かになった。人の話声がぐっと減った。理由はスマホとSNSだ。
以前はガラケー主体で、iモードやezwebなどネットとの接続も図られていたが、大まかにキャリアごとに分断される形でSNSとして全体的な流れにはならなかった。そのため、結局は通話という手段がとられ、皆歩きながらあるいは行列で待ちながら会話していた。結構うるさかったときもある。
暗闇の夜道で相手と相当やりあっている対話をしながら横を通られるのは大変迷惑だった。
しかし、スマホの普及とともにSNSも急速に拡大して、文字や画像あるいは動画、果ては映像通話と情報交換することに伝達手段が大きく変わった。通話ではなく文字やスタンプを多用し、直接言葉を交わすことをしなくなった。いろいろな行列を見ていると、通話している人はほんとに少ないし、それらの半分以上がガラケーの感じだ。
災害とか事故とかの場合は通話が増えるが、通常ではほんとに静かになった。ガラケーでも画像や動画を撮って、メールに添付したりSNSに投稿したりはできたが、LINEのようなレベルには至っていなかったから声から文字・画像に主役を置き換えることにはならなかった。
私はガラケーではあるが、通話もあまりしない。メールもそれほど多いわけではないが、大抵はメールと言える。
いずれはヘッドセット的なものが作られ(グーグル・グラスはこれに近かった。ただし、音声指示)、声を出さずに脳の中の信号からすべて処理ができるようになるのだろうが、何か集中してやりとりするために、ふと立ち止まって棒立ちのようになってる人たちが街なかのあちこちにあふれている様子を想像すると不気味である。
これを少し引いて俯瞰してみると、1日中SNSと通信でお金を浪費するためだけにちっぽけな人間が街のあちこちをうろうろして毎日を過ごし、それでITおよび通信関連企業が儲けて高笑いしているように見える(キャリアは身銭を切る状態とはかけ離れているほど価格設定は自分らの都合で決められる)。
ムスカ大佐が、人がゴミのようだ、とつぶやくがごとくに。
※
名画『第三の男』でウィーンの観覧車(大きいゴンドラに5,6人で乗ってみたが、人が偏ると結構傾くので怖いと思う人が多いと思う)の中で、2人の主役級がやりとりする。オーソン・ウェルズがそこで言葉にする内容を最初に思い出した。しかし、中年以下の世代ではムスカ大佐の方が実感が湧くのだろうと思う。ウェルズのシーンと発言内容は以下。