カズオ・イシグロ | An Ulterior Weblog

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英語に関するところで数度は名を出してきたカズオ・イシグロがノーベル賞を受賞した。

妥当。The Remains of the Day、Never Let Me Go などは映画にもなり、本とともに各賞を受け評価も高い。むしろ、日本で読まれている割合や評価が低い。どっちも重い話や雰囲気で、また英国の文化的深さを知らないとわからないので、重くて面倒なものは避けるもしくは軽佻浮薄(NHK含めたメディア放送の低質度をみれば明白)の日本人大衆には受けていない。特に後者は人類の未来を示唆的に見せている革新的作品だが、気分が鬱になるような内容だ。受賞で名前を知ったという日本人の方が圧倒的だろう。

 

彼の英文はいかにも英国という感じで、特に上の前者の作品に色濃く出ている。米国の大衆小説は崩れた表現が多いので(言わば下劣)、ハリウッド映画同様にアメリカ文化に辟易している人が英語本来の姿に触れたいと思う人には向いている。ただし、書いたようにあまり読んでいて楽しいものではないし、もともとかなりの読書力と品格ある英文を味わえるほどの読解力が無いと厳しい。翻訳書から入って様子を見てみるのがよいかもしれない。そのうち、衆院選挙も終わって年末あたりTVで映画の方もやるだろう。それを観てからというのも一つ。

 

本人は村上春樹とも交流があるようだし、村上作品を評価もしているようだが(英語関係で何度か名を挙げている明治大学教授のマーク・ピーターセンも同様)、村上が日本風土をほとんど反映していないのとは対照的に彼が生まれた日本の文化と後に育った英国風土とが色濃く反映している。現代の英国人作家の中でもやはりひとつ抜けた存在であったことはたしかで、ハリーポッターのような英国文化ながらも大衆性はあまり感じられない。

 

今回の受賞で思うことは、これで村上春樹のノーベル賞受賞の可能性が完全に消えただろうということ。作品の質を言えば明らかにイシグロの方が上だし、風土に根差した内容で、スウェーデンアカデミーが推し易い。しかも、村上は詳細な歴史的事実調査をせずに作品を起こしたりもし始めて、川端や大江のような左受け(川端は右だが、受賞狙いで左を装った)でノーベル賞を狙うような動きをここ数年活発に取っている。もっと言えば、明らかに世界一の巨大市場中国をかなり意識している。そのためか南京事件を扱うくせにチベットやウィグルの問題などには触れようともしない。バランス感覚は無いし、もう日本人ではない(今もスイスに在住?)。

いろいろな文化圏の人が選ばれるようになってきているし、イシグロ本人も自分の中に日本文化が残っていると受賞後に述べていることから、今後30年程度は日本人には回ってこないだろう。

 

カズオ・イシグロは2000年頃から注目していた日本人(当時は日本国籍をまだ持っていたように思う)の一人だった。これまでブログで触れてもきたし、こちらとしても大変うれしい。

 

 

イシグロは1983年に英国籍となっていた。記憶違いのようである。