『マルタの鷹』と伊藤英語 | An Ulterior Weblog

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GWに入る1週間前、別の部署で大きな問題が発生した。注文した北欧メーカーの装置が壊れるというトラブルだった。現地工場での試験中のことだった。

その対応に引っ張り出された。専門家としての分析を依頼され、メールで資料を貰い、検討した。技術的な問題があることを指摘し、元々無理ではないかと意見した。

それから1カ月を超えたが予測どおり、手直しなどずいぶん行ったがいまだに動かない。再設計に至っている。


GWに入って、いきなり、web会議となった。現地と事業所と私の自宅の3元中継。16時から23時まで続いた。その後、上司から資料作成を3度、つまり3日3晩ほぼ徹夜で過ごして関係者にメールした。その後、風邪のような症状となり、ダウンした。病院を変えても薬が効かず、GWが明けても休み、今も引きずっている。

しかし、自宅から北欧の会社の会議室と繋いで会議ができるというのは自分が若い頃には想像もできなかったことで、やりながら驚いた。ただし、音声や画像の質は今一つで、これもいずれはリアルなものに変わるのだろうと思いながら。


ダウンして寝込んでいたとき、ただ横になっているのがばかばかしく、20年以上前に買ったが、難しくて手が出なかったダシール・ハメット長編集を引っ張り出し、The Maltese Falcon の序盤だけ読んでみた。やはり難しい。状況説明の文がほとんど無く、会話から展開を察知しなければならないという様式を取っているとは思いもしなかった。翻訳書は読んだことはなかった。1941年のハンフリー・ボガートの映画はDVDを買ってだいぶ以前に一度見ただけだった。久しぶりに見てみた。面白い。75年も前の映画が今見ても面白いというのは驚異としか言いようがない。当時は映画は娯楽の王様だったから、信じられない人気だったに違いない。


『マルタの鷹』と言えば、翻訳者の小鷹信光。日本のハードボイルド分野の第一人者だった(昨年末他界)。小鷹が翻訳したのは1980年代だったが、実は改訳して再出版していることを知った。原文を読んだあとに初めて翻訳を読んでみた。小鷹の実力と人気は自他ともに認めるものだが、感想は何かズレを感じた。はたして、それが日本語としての限界由来だけかどうかはわからなかった。

面白いことに「あとがき」に、改訳に至った経緯の記載があり、初訳のときは自信を持ってこれ以上はできないと思ったが、研究社のweb版雑誌『英語青年』で東大准教授の諏訪部浩一連載の『マルタの鷹』講義を知ることとなり、その受講者となって、針の筵の上で見直すことを決意したというのである。

残念ながら、初訳は手元に無い。もし、入手した場合にはどう違うか少し読んでみようと思っている。


とにもかくにも、あの小鷹の手による改訳でも原書の雰囲気そのものとは言い難かった。英語と日本語はかくも違う世界かとしばし溜息。小鷹にしてこれなら、ほかの翻訳は推して知るべしだろうと(ミステリー分野で言えば名人と言われた稲葉明雄がいる。この人は本当にうまかったが、ちょっと別格なので基準にはしにくい)。ということは通訳とか英語学者とかどれほど英語と日本語を近づけて操ることができる人がいるのだろうかと思った。

翻訳の難しさを知るなら、受験界でも有名な中原道喜の誤訳シリーズなどがあるが、誤訳を世間に知らしめたのは別宮貞徳だろう。そういったものをみると、いかに基本が大事で、かつ英語と日本語との関係をどうとらえているかが重要だとわかる。両者は自転車の両輪みたいなもので、どっちが欠けても支障をきたす。


3日前、伊藤英語は無くすべきだと書いた。伊藤は基本の、それもかなり特殊で、一般の受験生が特に身につけるべきではないものまで要求する。しかも2言語間の関係性は扱っていない。受験で効率が要求される中で、ずいぶん偏った対応になる。多田正行はそれらをバランスして著書にまとめることができている。なぜ、伊藤がこうも広がったのかは、やはり、駿台予備校という東大京大経由で官僚や大企業の人たちに布教できたことが大きい。多田はオリオン社という添削会社でZ会に次ぐ2番手で大きな市場に直接関与することができなかった。そのわずかな差がこれだけ大きな差を生んだと思われる。その市場というのを見込んでいたのか、伊藤は駿台予備校ですでに講師となっていた奥井潔にお願いして移籍に成功している。

また、多田の著作は難しい。多くの受験生は跳ね返される。そういったことも伊藤英語の普及が進んだ背景となるのだろう。


多田に代り得る指導者はいなかったのか?いたことはいたが、伊藤以前はとにかく山貞だった。山貞は内容が古く、さすがに使われない表現が多くなっていたこともあり、受験には対応し切れなくなっていた。『解釈教室』が出た後にもう1度改訂しているが、本編は基本的に変わっていないので、盛り返すことはできなかった。伊藤が敵として目標にしていた山貞はこうして駆逐された。

しかし、今は復刊により、一番山貞らしいと思われる版が出ている。この状況を見て伊藤はどう思うだろうか?自分が葬り去ったはずの山貞がそれもより古い版が自分の死後に復活しているという事実に。葬り去られたのはむしろ自分なのでは?と思うのではなかろうか。


この事実は重要だ。書店の受験コーナーには予備校講師の最新書が次々に出ては消えしている。実効性、効率性、インパクト性を備えていないと生き残れない受験参考書の大変さの中で、なぜに一度は葬り去られた山貞が生き返ったのか。しかも、主としてかなり昔の受験者による購入が多いように思える一方で現役受験生で手を出す人もいる。

これは、伊藤含めてお手軽というか効率主義的な英語習得に嫌気がさしてきた人が増えているのではないかと私は睨んでいる。たしかに予備校のはわかりやすくて力がついたように思えるが(伊藤英語はとても易しいとは言えないが)、実際の英文に接すると結局、太刀打ちできないことへの反動として、ちゃんと地に足がついて理解するための日本語と英語の関係性を獲得したいという希求の結果ではないかと思っている。『解釈教室』だろうが『ビジュアル』だろうが、本気で取り組もうというやり直し学習者には響かないのではなかろうか。英語理解における伊藤英語の抽象性は奇異なだけで実力を与えてくれるものではないと見透かされてきたのではないかと考えている。

ほかにも絶版から復刊しているものがいくつかある。ただ、とにかく書籍を買わない風潮が続いているので、これらもいつまで持つかという不安は消えないが。


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棚の奥にずっと静かに置かれ続けていたダシール・ハメットの長編集にやっと手を伸ばしたら、自分の実力の将来が透けて見えてしまったことや受験英語の問題、そして本当の英語の問題とが自分の中ではいろいろ明確になった不思議な期間を過ごした。風邪でダウンしたことがこんな結果に結び付くとは思いもしなかった。

新しい家で風邪でダウンしたのは初めてだ。高気密で家族にもうつしてしまい、とんでもない目にあった。そうした中で得たものだが、だからといってダウンして失われた健康時間の代償としてはたして十分かと言われるとノーだ。高気密住宅の方は注意されたい。


原作には無いが、映画の『マルタの鷹』では最後にボガートの部屋にあったニセモノとわかった鷹の像を刑事が持ち出そうとして、あまりの重さに、何で出来てる?とボガートに尋ねる。ボガートは言う。

https://www.youtube.com/watch?v=hp7130Bjec4


"The stuff that dreams are made of."(夢と消えた黄金さ)


伊藤英語を指しているように思えた。



ボガートのセリフは複数の意味が重ねられていて、どういう訳がいいのか難しい。元々はシェイクスピアの『テンペスト』(嵐)にあった次の表現をもじったようだ。

The stuff that dreams are made on..(夢が作りだされる材料)

stuff は動詞では食用の鳥に詰め物をする、剥製にするという意味がある。いざこざの種は彫像の鷹なのでそれに絡めている。名詞としては下らない品物とかガラクタの意味があるが、the が付くとお金の意になる。したがって、夢を成す黄金という意味にもなるが、本来黄金であるはずだった鷹がガラクタだったことを含んでいる。ここでは"the stuff"以上に適した言葉はない。脚本の勝利。そのせいか、このセリフは映画のセリフとして今もって人気上位にある。これらを考慮して上記のようにした。

カーリー・サイモンは歌にまでしている。

https://www.youtube.com/watch?v=T-FOedJswHY