TOEIC神話にうんざり | An Ulterior Weblog

An Ulterior Weblog

更新は全く不定期です。広告は勝手に付き、外す費用も馬鹿らしく、アメーバからも一切頂いておりません(コメント・読者登録もアフィリエイト狙い多く、受けておりません。ご容赦下さい)
Read-only, not set communicative and periodical updating, sorry.

ある有名難関大がTOEICを指標にしていることを最近書いた(成績の一部として申請できるようになっていたと記憶する)。 活用している大学は私大含めほかにもたくさんあるように聞く。

夏休みでもあるのでその点について触れる。


対策をせずに900点前後以上取る人はその実力の高さを活用することができるし、多いにすべきである。しかし、資格テストと捉え、その成績で優位を示すためにトレーニングをしているのであれば、満点であっても実力ありとは言えない。


周囲に満点は何人か居る。1人は米国かどこかでの滞在が長く日本語が怪しいと言われている。一応、難関大出身者ではある。こういうのは我々には越えられない壁を持った向こう側の人だ。同じようにはなれない。人生が違うのだからそれは仕方がない。

ほかは根っからの日本人で海外駐在経験もない。対策だけで頑張ったようだ。1人は東大出身である。なので、もともとある程度は自力があった。しかし、TOEICは初めから高かったわけではない。


その東大出身の同僚の英論文を読んだ。失敗とか変な言い方とかは特に見当たらなかった。概して、プレーンで読み易い。まず、ネイティブが誤解して読むことはないと思われた。さすが東大出身者は違った。TOEIC満点でも目も当てられない英文を見せ付けられることが多い中、日本人としてここまでくれば非難されることはないだろう。しかし、ネイティブではないことはわかるし、また、読み易いということと読んでこれはいい論文だということは別の話である。内容もきちんと伝えてはいるのだが、何か英文としては洗練されてなくて印象弱く、そこがネイティブではないと思わせる所以だ。別の視点から言うと、著者の顔が浮かばないのである。論文とは言え、男か女か若いか年配かの違いが僅かながら出ることが多い。その像らしきものがバラバラではっきりしない点もネイティブではないと思わせる。

それでも、そのとき出た日本人の論文の中で間違いなく彼の英文が一番よかったと思う。例外は私の論文と思う。ここで詳細を書く余裕はないが、私の論文の書き方、英文の作り方は多くの人と違うからである。なので、ネイティブでも違和感は少ない方と思う。そしてその養成にはTOEICも寄与していないし、その対策もやっていない。むしろ、TOEICが役に立たないのだとわかって、全く違うアプローチを取っている。それはいわゆる受験英語の流れの先にある。ただし、受験英語そのものではない。予備校などでの英語指導などとはむしろ真逆の方向にある。


日本人が英語ができないのは日常生活で使う必要がないからである。それ以上でも以下でもない。仮にあっても身に付く人と付かない人がいる。例えば、香港などでは誰でも英語が話せるわけではなく、下流階層ではやはり通じないことが多い。欧州の国でも大なり小なり状況は同じだ。だから、もっと英語を使う必要の無い日本で英語ができないことは仕方がない。ただ、エリートでもできない人が多いのは問題だろう。

逆に誰でも英語を話す国は、独立国家としての基盤が弱かったことを示す。植民地支配の下で教育を受けるとなると昔は冷戦を背景に英語かロシア語だった。日本は漱石の影響力もあってか、英語による学問支配を退けることができた。これは誇るべきことなのである。我々はGHQに支配されたが、言葉すなわち思想まで支配されたことはないのである。

今はこれまでと違ってネットという新たな空間で若い人もいろいろ書き込むことが増えてきてはいる。しかし、彼らの英文を読むときちんとした英文を学んだことがないというのが多い。ちゃんとした学習はしてほしいところだ。ネット上には変な英文が多くはびこっている。


自分の英語力が本物かどうかを知るには京大や慶応といった重厚で難解な入試問題に当たってみてほしい。TOEICの高得点が何の意味があるのかと気付かされるに違いない。いや、その難しさに歯が立たず、愕然と自分の非力さに打ちのめされるかもしれない。

(中身は読めないが早大の例:http://ameblo.jp/imai-hiroshi/theme-10060019396.html

でも実用上はTOEICだと依然主張する人はいるだろう。よろしい。ではTOEICの高得点だけという事実のみで、留学無し、TVや洋画も観ない、小説類なども読まない、ひたすら試験対策だけをした人間が英米の現地に行って対応できるかやってみてほしい。撃沈すること間違いなし。なぜなら、市井で使われる英語はTOEICにはほとんど出てこないからだ。ネイティブ同士の会話は表現が砕け過ぎてて何を言ってるのかさっぱりわからない。実用、実用というが、実際に街に出て使えるような代物ではない。市井に入り込むには映画やTVドラマといったものが一番だろう。TOEICではない。つまり、TOEICは現地生活をする点では無駄な学習に近いのである。TOEIC得点の高さを誇る人は現地入り経験がないはずだ。経験ある人間はビジネス以外その意味の無さをよく知っているはず。まして現地にネイティブの友人がいるとか何とかであれば、英語をツールとみなしてやってきたという見当違いと試験対策に明け暮れたことに後悔するだろう。

英語も国によってかなり違うことを大学教養レベルの数学の講義で見てみよう。インドの研究機関なので、英語が公用語になっていて、それなりの学歴の人たちが聴講しているはずだが、昔から私はインドの英語はうまく聞き取れない。ここの研究に応募して採用されたら、この英語についていかないといけない。英米の英語だけが英語ではないのである。

International Centre for Theoretical Sciences 


読み・書き・聞く・話すと4つの能力を使ってコミュニケーションは取られるが、どれを取っても日本人は英語をある程度使うための練習量があまりに少ない。勉強法の問題もたしかにあるが、何より、それぞれに費やす時間が圧倒的に少ないのができない原因だ。1000時間とかその程度では十分ではない。なので、英語ができるようになる時間をほかに回すべきという考えも当然成り立つ。

中でもできないのが会話。日本人における問題は会話すること自体へのバリアーだ。口下手な人が多い。文法的あるいは表現上で不適切なことを言ってはいけないという思いで恥をかきたくないというのが非常に強い。こういう民族はほかで見たことがない。どこでもブロークンでお構いなしに喋っているのが普通だ。ブロークンのままでは正当な英語は身に付かないが、喋らないことには何も始まらない。


英語がわかるようになったと思う指標は何か。いろいろあるが、一番は有名作家の作品を読んでその良さを感じることができるかどうかだろう。あるいは演説でも映画でもいい。その言語でその文化がわかるようになることがその言語での能力がある基準に達したという証拠である(ただし、自分で適当に解釈して楽しんでいるのは除外)。言語習得としてはさらにもう一段階あるが、それはTOEICやその他の試験という話の次元とは全く違うものなのでここでは触れない。

お前はそんなに英語ができるのかと訊かれれば、ネイティブには程遠い。その爪の垢を飲んだぐらいかというところだ。しかも、久しく使わないとすぐに錆びて努力が水の泡になる。どんなに立派に英語に関わる仕事をしている人でも言うことは皆同じである。それほど言語の壁は高い。時にそれをあっさり越える人がいるが凡人は努力以外に立ち向かう術がない。

実力もないのに、下手にトレーニングで満点取って、交渉英文担当なんかになると大変なだけである。場合によっては人生がおかしくなる。



ほかに何が?となるとTOEFLとか英検、ケンブリッジ英検、国連英検など少しだけいいのがあるが、基本的に似たりよったり。TOEICは世界的には全くと言っていいほど通用しない。TOEICはビジネスシチュエーションをターゲットにしていて、お手軽に参加できる点が日本の特に企業で受け入れられた。つまりお手軽業者テストなのだ。よって大学が流用すべきものとはとても思えない。大体、大学入試と違ってあの中身の無い英文を読んで聞いて、どれほど英語の世界を知れるかちょっと考えればすぐにわかることである。初期学習ツールの1つぐらいにしかならない。企業はそうであっても大学がそれに沿う必要はない。他の試験もそれなりの使用シチュエーションに限定される。市井生活に耐える実用となる試験ではない。

それにもっと問題なのはどれにしても成績の高さが、本当に英語がわかっているかということとそれほどリンクしないという点である。資格上しかたなくても、英語の力をつけたくてこれらの試験対策に取組むのは全く的を外している。


※※

大学受験では数学は『大学への数学』が主流だったが、英語というとZ会、オリオン社などの通信添削の方が有名で、研究社『高校英語研究』や聖文社『イングリッシュ・コンパニオン』も活用したことがある。大数ほどの広がりはなかったと思う。現在、全て休刊となっているが、復活はこのご時世もうないだろう。会社に入って少し英語がわかるようになって研究社『英語青年』を読み始めた時期がある。すぐに課題に挑戦した。残念ながら解釈および英訳ともに初挑戦でトップレベルには到達しなかったが名前掲載には至った。その後すぐ休刊になってweb版に移行している。残っているのは大修館の『英語教育』だけだと思う。


※※※

後日、昨年からTOEFLが英国留学では基本的に対象外になったことを知った。

http://www.j-cast.com/2014/06/11207346.html

なぜ、こうなったかは知らないが、英国の自国機関優遇の政策と思われる。英語の世界を米語ひいては米国に支配されないためではなかろうか。英語、英語といいながら実は米語ということにいい加減頭にきたという気がする。日本人はスピーキングが苦手だから厳しいだろうと書かれている。表面的にはそうだが、その根源はリスニングである。そのため、スピーキングでちゃんとした音が出せない。突き詰めていくと日本人の肉体機能的ハンディとしての聴覚の問題が大きい。

なお、記事を読んでわかるとおり、TOEICについて触れていない。ほとんどの留学先で対象にはなっていないはずだ。評価指標として役立たずだからだ。もちろん、日本の状況は違う。こちらの女性はロンドンで仕事をしている方だが、後半に書いてあるとおり、英語力とは関係なしにTOEICの点数しか日本の企業は見ないから、新卒予定者は点数を稼ぐように助言している。

http://toianna.hatenablog.com/entry/2016/05/12/170000

就職後で実力をつけるのも一つかもしれない。しかし、試験対策は要るものの、TOEICでごまかさずに実力を大学や院時代につけておくことは可能だから、二度手間にならぬよう是非本当の実力をつけてもらいたい。ただ、このブログ主が言うように英語+専門は意外に厳しいことを思っていた方がいいだろう。英語で発信すると世界から注目を受けると同時に淘汰もされる。似たような技術や商品は世界の誰かがよりよい形で実現していることはよくあることだ。それほど楽ではない。私の関係などは結局のところ、世界で何人いるかというものだから何とか食べていけてるに過ぎない。つまり、学卒は意味なしということになる。


#

http://peticonbu.hatenablog.com/entry/2015/06/15/175600

この方はTOEIC600点で日常英会話ができるようになったとしている。冗談かと。850点まで取っているが、それには試験対策が必要だったと書いているとおり、ほとんどの高得点者は試験として割切り、実力とは関係ない。600、700、800点台とそれぞれたしかに運用スキルの違いは実感できる。900前後にもなればできる気になって大勘違いをする。しかし、所詮TOEICとか英検という小さな世界の中だけの話。ネイティブ並みなんて程遠い。この方は以前も今も現地で意思疎通は大してとれないだろう。仮に満点を取っても状況に変わりないはずだ。TOEICの点数を取る方法と銘打っている時点で実力が無いと言っているも同然。TOEICに重点を置く人たちは皆、商売を考えてこういうことをしているが、特化した能力養成の需要があるからそれ用の力をつけただけの話で英語全体とは何の関係もない。

最新の書籍で次のものが出ている。https://www.amazon.co.jp/dp/4087210235/