娘の卒園式がありました。
卒園式は思ったより厳かな雰囲気で進行され、子供達は緊張した面持ちで入場しながらも、どの子も決められた通りに卒業証書を受け取り、滞りなく式が終わって、子供達の成長を感じました。
私、あまり感動して泣いたりするタイプじゃないのですが、入場時、園の先生が、パッヘルベルのカノンのメロディーをフルートで奏でた始めた時点でうるっと来ました。
式の中で子供一人一人が、親に向けて書いた手紙を読み上げ、パパかママどちらかが前に出て対面で受け取るという、お涙必須のお手紙タイムもありました。
他の子がママに手紙を読もうとして泣きだしてしまい、受け取るママも涙する姿にもうるうる来てしまいました。
しかし、娘は特に涙もなく短めの手紙をサラッと読み上げ、私も娘の手紙に涙することはなく。あれっ?
ちなみに、涙涙親子もいれば、ニコニコ親子もいました。
卒園式ってこれまでの子育ての大変だったことやらを思い出し、子供の成長を感じて涙するものだと思ったのですが、そんな気持ちはあまり溢れ出ず泣けなかった。
翌日からもまだ数日保育園に通うのでまだ実感が沸かないのかなぁ。最終日の方が泣けるかもしれない。
娘の成長はもちろん感じましたけれども、何となく雰囲気に泣いている自分にハタと気付きました。
園児の中でも、かなり早い段階で泣き出している子がチラホラ、お手紙を読みながら泣き出す子もいましたが、振り返ってみると何で泣いていたのかな?と思ったり。
親が泣く気持ちは分かるんだけど、5-6歳の子供が親に感謝の気持ちを伝える手紙を読みながら泣く気持ちって何だろう。
感謝の気持ちが溢れ出て泣いている?
緊張しすぎて泣いている?
周りが泣いているから雰囲気で泣いている?それを共感という?
保育園とお別れが悲しくて泣いている?
娘は何故か先生方が園児に贈る歌を歌っている最中に、泣きそうになって堪えるという仕草をしていました。その時は歌に感動しているのかなぁと思ったのですが、どうなのか。
後で動画を見直してみると、みんな泣いているし、私も泣かなきゃと思って泣いているようにも見える…。周りの子は結構ポカーンとした顔をして歌を聴いている子が多かったです。
私、情緒が欠落していると親から言われて育った人間なので、どこかみんなが泣く時に泣かない、泣けない事にコンプレックスを感じて生きて来たんですよね。今だとサイコパスっで言われちゃうんでしょうか…。自分がサイコパスなんだかはよく分かりません。
歳のせいか、最近は涙が出やすいけども、こういう涙必須なお手紙タイムとか、以前の私なら泣かなかったと思います。泣くでしょう?というモードを察すると泣けないんですよね。
泣くのにいちいち理由とか分析するなと思われるかも知れませんが、娘が何故泣きそうになっていたのか?もう、周りの雰囲気を察して涙せねばと思っちゃったのかが気になった次第。最近、娘は感動して泣くに憧れている様子があります。
泣きたい時は泣けばいいけど、みんなが泣いているからってわざと泣く必要もないし、泣かない人=冷たい人でもないし、自分の気持ちにただただ素直にいて欲しいと思うのでした。
あまり人前で感動して泣いたりしない人は冷たいと言われがち。私も結構そういう評価を親からも多分周囲の人からも受けて来ました。
感激たり感動してすぐ涙する方って実際感情豊かでいい人が多いですよね。
でもその逆も然りではないよ、スイッチは人それぞれ。
卒園式の感想なのに、何だか味気のないないようになってしまって、我ながら自分っぽいなぁと思いますが、私の気持ちはさておき、とても素敵な卒園式だったことは確かです。
あとは間違っても謝辞を引き受けてはいけない人間だなと。誰も私には頼まないと思うけど(^◇^;)。
園長先生がネイティブアメリカン、子育ての四則について話されておりました。
乳児は何があっても肌を離すな。
幼児は肌を離せ、手を離すな。
少年は手を離せ、目を離すな。
青年は目を離せ、心を離すな。
私、乳児期に肌を離しすぎたと娘に対して感じているので、今更ながら肌も手も家では離さず、スキンシップをしなくてはと思っていますが、もうこれからは手を離して、目を離すなの時期に入るのですよね…。
どうしよう、できるかな。と過保護な自分が心配になりました。
娘よ、卒園おめでとう。母はまだ心の準備ができていないけど、あなたの成長を信じて少しずつ手を離して見守っていけるよう頑張ります。
本当におめでとう㊗️