息子が生まれたばかりのころ
親戚だという見覚えのないおばさんちに連れていかれ
息子を披露したら
「あの心臓病だった子が立派な赤ちゃんを産めたのね」
と知らないおばさんは涙ぐんで
知らないおじさんは何度も頷きながら赤ちゃんではなく私を撫でてくれて
私の知らない人が
私の幸せを望み
喜んでくれることに驚きと幸せを感じた。
その瞬間、ふたりは私にとって
「知らないおじさんとおばさん」から
どうか元気で幸せでいてほしいと願う大切な存在になった。
幸せを望まれる幸せ。
幸せを望む幸せ。
愛されている幸せ。
愛する幸せ。
今もふわりと浮かぶ顔ぶれが
幸せであることを心から望んでいる。
「会いたい」と望んでくれる人がいるのは本当に幸せなことだと思った。
私も同じぐらいの熱量で「会いたい」と思う。
素直な気持ちを伝えてくれて
遠路はるばる会いに来てくれて
会えて嬉しいと言ってくれて
感謝、という言葉だけではとても表現できない。
(ブログやインスタを見て癒しスタジアムに来てくださったみなさん本当にありがとう❤️)
逆に、私が「会いたい」と願う方と会えて感激で震えて涙ぐんでしまった。
先方も私に会いたかったと言ってくださったけど、それが私と同じくらいの熱量ならば幸せでとろけてしまいそうだ。
もし私に会いたいと来てくださった方々も、私に同じような感激を感じてくれているなら、こんな幸せなことはない。
愛しい。
人は愛しいね。
出会いこそ人生のすべてだって思った
ってこれはSUPER BEAVERの「名前を呼ぶよ」の歌詞だけど
出会えて良かったと思える関係性、
存在そのものを愛しいと思い合う関係性が
「幸せ」
これが私にとっての幸せ。
あなたにとってはどう?
その「幸せ」で溢れた世界は実現可能で
シリウスのイシスが言う
「最上級の愛(人間愛)に変換せよ」
はそういうことなんだろうな、と思っています。
このミッションを持ってる人、多いでしょ?
愛と、感謝と、喜びしかない世界を思い出せばカンタンだ!
…と意図する。
意図って大事で面白いのです。
それはまた別の記事にて。
HELIX