考察:三輪山での自己回帰 vol.1 | ◎時空の螺旋◎ spatio-temporal-*HELIX*

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この世界の美しさ
自然の摂理の巧妙さ
命の営みの不思議さ

センス・オブ・ワンダーをアートで表現します。

●両親が私に与えた価値観は一体何か

●それを統合し自分が目指すものは何か

を、以前三輪山登拝しつつ考えたのですが…


両親のみならず、祖父母の代から引き継いだものがあり、
・育ってきた時代
・環境
・それぞれの親の価値観
に影響を受けそれぞれがどんどん進化しているのを壮大なドラマとして感じました。

今の自分を創り上げたものが何で
何処へ導こうとしているのか

記録したのは私個人のお話ですが、これを読んだ皆さんも自分に置き換えて自身の「今」が壮大なドラマによって成り立っているという現実に思いを馳せ、そこから導かれる未来が見えたらいいなぁと思います。

ま、長いので気が向いたときに読んでくださいませ。


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【母の場合】

父親が昼間から酒を飲み家でゴロゴロしていることに疑問を抱いたのは中学生になった頃だった。

私が疑問を抱くとともに、父は母だけでなく私や兄弟たちにも批判的で暴力的な言葉を浴びせるようになった。

反論は心の中でとぐろを巻いた。

何が芸術家だ。
仕事もろくにしていないくせに。
うちが貧しくて私たち兄弟がどんなに惨めな思いをしているか知っているのか?
お前のせいだ!
お前がちゃんと働かないからだ!

けれども口になどできない。
口にしたら、父の暴力的な言葉は言葉に留まらないであろうことを、私たち兄弟は予感していた。

一番上の兄が、早くに働きに出て私たち兄弟に色んなものを買い与えてくれた。

私を養ってくれたのは兄だ。
父では決してない。

働かないことは罪だ。
貧しさは悪だ。

夫となる人は酒が一滴も飲めない堅実な公務員だ。
父とは正反対な人を、私は選んだ。


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【祖父の場合】

長男として生まれていたらこの人生はどんなものであったかとよく想像した。

広い屋敷と財産を、自分の自由にできたなら…

跡取りである兄と、次男の俺に対する父親の態度はあからさまに違った。
悔しくもあったが放ってかれるほうが楽だった。
跡取り息子として財産と名誉を維持せねばならないプレッシャーを受けるぐらいなら、やはり俺は次男でよかったと思う。

「芸術で飯を食っていけるもんは才能に恵まれたごく僅かだ。まともに生きろ。」

俺の描いた絵は破り裂かれ踏みつけられた。
焼き物は叩き壊され、竈も取り壊された。

「あそこの次男は絵を描いて遊んでばかりだと言われる。金持ちの道楽息子だ、などと人に言わせるな!」

近所から漏れ聞こえる批判が父親には我慢ならなかったらしい。

追い払われるように婿養子に出されたが
妻は華道家の娘で、芸術に理解があった。
父親の呪縛から逃れ、俺は自由になった。
息子が生まれ、すべては順調に見えた。

…が、津波が俺からすべてを奪った。

父親の元に帰るしかなかった。

本家の裏の狭く使いにくい土地を与えられ、自力で家を建てた。
立派な本家と並ぶみすぼらしい我が家を見るたびに、俺は俺の人生を恨んだ。

生活のための仕事は続かなかった。
俺の才能を認めない父親も、噂話ばかりする世間の奴らも、愚かな上司もその手下共も馬鹿ばかりだ。

酒を飲んで忘れようとしたが、家にいても
愚直で人の言いなりになる妻に苛立った。
日に日に俺に似てゆく次男や長女の批判的な目も、
何もかもが気に入らなかった。


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【父の場合】

オヤジが死んだのは俺が4才のときだ。
かすかに記憶に残る、釣りを教えてくれた人は、オヤジなのか母の弟である伯父だったのか定かではない。

母は独り身を通した。
地主の娘でありながら、実家からの援助はほとんど得られなかったという。
後に聞いた話では、「未亡人は縁起が悪い」と勘当されたも同然の扱いだったらしい。

女ながらに工場で働くなど当時は珍しく、下世話な嫌味を言われることも嫌な目に合うことも多かったようだが、子供の俺が母を守ることなどできなかった。


小学生のとき、

「生物学者になってノーベル賞をとりたい」

と言ったら

「君ならできる」

と担任は言ってくれた。

おだてたりその場しのぎではない本心だと分かった。

嬉しかった。

でもその夢は叶うことはなかった。

女手一つで養ってくれていた母は、仕事中、工場で指を切り落とした。

進学させてくれなど、とても言えない。

家から一番近い公立高校を出て、一番確かで安定した公務員になった。

誰が新車を買い、誰が家を改築しているか
批判まじりの噂話が飛び交う狭い地域だ。

羨ましがられるような家庭ではない。
むしろ母子家庭と蔑まれていたはずの我が家が、俺が公務員になったせいで批判の対象となった。

「私らの税金で飯が食えているくせに」

保護色をまとう動物のように、なるべく目立たぬよう生きた。

ただでさえ目立つ母子家庭、これ以上目立たぬことが波風を立てず穏やかに生きる術であった。



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【祖母の場合】

幼い子供を残し、夫は結核で逝った。
徐々に弱ってゆく姿を見て充分嘆き悲しんだ。
今は子供たちを育てることで手いっぱいだ。
泣いているヒマなどない。

未亡人は縁起が悪いだと?

夫が死んだのは誰のせいでもない!
ましてや私のせいでもない!

…などと怒っているヒマもない。

実の父親に土下座して、僅かな土地を借りた。

悔しい。

悔しいから、独りでも立派にこの子たちを育て上げてやる。

男に混じって働いた。
自分が女であることを忘れるしかなかった。
男の中にも、心根の優しいのもいれば、女の腐ったようなヤツもいる。

私は強くなった。

娘は嫁ぐことになった。
相手は兄弟で工場を営む好青年、これで娘は社長夫人だ。
息子は誰もが羨む立派な公務員になり、私にもう働かなくていいと言ってくれた。

ああ、あっと言う間だった。

夫が亡くなってから今まで、駆け抜けた一瞬のようだ。

見たか!
私は独りで立派に子供たちを育て上げたぞ。

誰に向かってかわからない。
私を勘当した父親ももういない。
けれど、私は誇らしげに見たか!と胸を張る。


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こう見てゆくと、祖父母も両親もなかなかハードな人生を選び生き抜き、進化を遂げ私に繋いでくれたのだなぁと感無量です。

過去に遡れば遡るほど、社会的な価値観の縛りがきつかったようなので(家柄とか長男とか縁起とか世間体とか)今はとても自由でありがたいと心底思えます。

両親はさらにこの後、生まれた娘が心臓病、という試練もプラスされています。

試練多き人生に祝福あれ!