私たちは目にした
「美しいもの」
からエネルギーを受け取っている。
ああ、美しいなぁ~
と愛で、魂が震えたとき
私たちはその
「美しいもの」
にエネルギーを返している。
自分に美しいエネルギーを取り入れ、
自分のエネルギーを与えるという循環が起きてるってことですね。
ちょっとそのエネルギーの流れ、意識してみてくださいな。
(氣が見えるようになるコツでもあります)
細部の形、色、バランス、質感、構成要素、全体の姿…すべてを褒め称え愛でる感じです。
植物や石がオススメかな。
…
いろいろあった5月の終わりころから、
突然、生花を飾りたくなって今まで欠かしておりません。
そこそこの病だから(今のところ元気ですが)、お花のエネルギーを欲してるのだろうと思います。
そうすると、お見舞いに生花を持ってゆくのは理にかなってるのですねぇ。
で、私は美しいひとが大好きなのですが
(みんなそう?)
その美しさからエネルギーをもらえるから
大好きなんだろうな…
ってのと
美人は美人だなぁと愛でられることで
みんなからエネルギーをもらってますます
美しくなってゆくのだな…
と妙に納得したという。
は?HELIX何ゆってんの?
と思った方も思わなかった方も、
この気付きは後ほど、自分が美しくなる方法に結びつくので記憶に留めといてくださいな。
そんないろいろあった5月の終わりころ(しつこい)
「22を超えてゆけ」シリーズの最終となる
「宇宙の羅針盤(下)」をついに、ついに読み終えました。
私そこそこ速読できるのに、4冊+1冊読み終えるのに1年以上かかったわい!
このシリーズはすぐ頭の中でビジョンが勝手に動き出してそっちに見とれてしまうので
なっかなか
もう、
なっかなかかなか(再びしつこい)
進まない!
この本、脳みそのビジョン再生ボタン操作してんちゃうか???
とまじで思いました。
最後のほうは魂が震えまくったのと
自分の置かれた状況の答えや理由に
シンクロしまくってしばし放心状態でした。
書きたいことはいっぱいあるけど、
この記事のテーマである「美しさ」の部分だけ書きます。
夢で見た風景や心のなかの映像を他者と共有することは物理的に不可能だ
そう、私はこれをひしひし感じます。
ビジョンで見た
鱗のきらめく龍や、
色の洪水の銀河や、
流れる光のような鳳凰…
それらの美しさをみんなに見せたくて絵を描き始めたけれど、画力が追いつかない。
偏光パールやラメや宝石を駆使したって
あの美しさの再現はできない。
壮大に展開してゆくメロディーの美しさと感動も
多重録音で頑張って再現しようとしているけれど到底再現できない。
流れゆらめき移り変わる形や色や音楽…
うっとり見とれ魂が震えるあの感覚…
美しいものを見たとき、それを正確に伝える手段がないならば
美しいものを見た自分自身が変わること
その美しさを、自分の中に浸透させて生きてゆくことはできる
(少し要約しています)
私たちは人と同じ人生を歩むことはできない。
例えばTVで見かけたモデルや女優とまったく同じ人生は歩めないけれど
自分の人生で見つけた、美しい人や物や出来事を(自分の経験でなかったとしても)自分の中に浸透させて自分の一部として美しく生きてゆくことは可能である…
意味分かりますかね???
表現しきれない美しさに出会ったとき
自分の存在そのものでその美しさを表現すればいい
ってことです。
かつて、目に映るすべてのものは鏡に映った自分だという話を書いたとき私が提案したのは
じゃあ、美しいものや素晴らしいものに出会ったとき
その美しさや素晴らしさも鏡に映った自分だから、
自分の中にその美しさや素晴らしさがあるんだと胸を張ればいい
というような内容でした。
美しい花を見て、
または美しい人を見て、
美しいと愛でたときその美しさのエネルギーは自分の中に入ってくる。
そして自分のエネルギーを放出するときは取り入れた美しさをめいっぱい振りまくようなイメージで
あなたそのものが美しさの表現となるのです。
そしてね、あなたがふりまいた美しさを感じ取った人たちがあなたに愛のエネルギーを返して、エネルギーを得たあなたはますます美しさを増すという循環がおこる。
これが自分が美しくなる方法!
ハイ!
宿題にします!
お花や石や空や景色…
美しいものをたくさん見て
美しい音楽にたくさん触れて
美しい人のそばに寄ってったりしましょう。
(犯罪にならない程度に笑)
その美しさを自分の中に取り入れて自分の美しさとしてふりまくイメージをしましょう。
(呼吸に合わせるとイメージしやすいです、吐く息でふりまく)
この地球の美しさを自分自身の存在で表現する!
と「意図」しましょう!