私はトンボを追いかける幼児であり
それを見守る母親であり
それを見下ろすトンボであり
全体を客観的に眺める身体のない視線だった。
身体のないもう一人の視線とずっと会話をしていた。
意識の左横にひときわ大きなトンボが出現して
幼児の私は指差し騒ぎ
母親の私はギョッと驚き
トンボの私は道を空け
意識の私はじっとそれを見つめた。
オニヤンマより一回りほど大きいそのトンボの躯には、
赤い縁取りの黒い目、もしくは黒い縁取りの赤い目が9個もあって
もう一人の意識が
「それはレンズ(窓)だ」
と言う。
私を記録しているレンズ。
監視されているというよりは
見守るに近いけれど
少し厳しさを感じる面接試験のようでもある。
私は9つの目をしっかり意識せねばならないと思う。
もう、
自分の求めるものから目を逸らしてはいけない。
もう、
自分をごまかしウソをついてはいけない。
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ソファでハッと目覚めてなぜにトンボ?
と思って浮かんだ答えはトンボの複眼。
たくさんの視点を持つ複眼は実際の目。
躯にある9つの目は意識の眼。
メッセージとしては
●パラダイムシフトを繰り返し
偏見のない多様な見方を身につけること
●意識の眼を使いこなすこと
(このことについては新しい発見をしたのでまたの機会に)
昆虫型の宇宙人!?とも考えましたがね…
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トンボの父と兄弟がいて
父は体当たりでヤツを止める。
その間にお前たちは飛べ!!!
と言われ私は兄弟とともに上空に飛び出した。
私たちは、トンボの親子ではなく
一匹のトンボだったかもしれない。
父と思ったものは躯で
私と兄弟は羽だったかもしれない。
私は躯を心配するよりも
上空からの光のまばゆさと
空の広さと
きらめく羽の美しさに心奪われ
うっとりと見とれながら
風の渦に身をまかせた。
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こないだの新月の前、しょっちゅうウトウトしていて、必ずトンボの夢を見ました。
(新月に見た夢を満月に公開するというタイミングにもなんか意味ありげ…)
ここに書き残した2つを除いてもあと3つは見たような。
予言的な夢やメッセージ性の高い夢は新月の頃に見る場合が多く、感情的な夢や俗世間の夢は満月の頃に見る場合が多い。
(辻麻里子著/「藍の書」p140より)
確かにメッセージ性が高く象徴的だな、と思います。
躯を残して
羽だけになって
光と風と
渦ときらめきを謳歌する。
それはそれは至福の体験でしたよ。
え?私の死期が近いのかって!?
うーん
健康ですけどね。
トンボの夢は夢占い的には吉兆らしいです。
「藍の書」の続きです↓
新月の頃に観た夢が、3次元世界において満月の頃に実際に起きたり、満月の頃に観た夢が次の新月の頃の出来事の背景になっていたり。
夢と月の満ち欠けの関係は深いように思われるが、月の影響を超えて行くことも可能だろう。
突き抜けた夢を見るようになると、実のところ新月だろうと満月だろうと関係ない。
ただし、月の影響を超えられるまでは、月の満ち欠けの性質をよく理解して、これをうまく乗りこなすことが得策だろう。
夢の中、羽の片割れだった兄弟は、最初の夢で会話をしたもう一つの視点と同じ存在。
俗っぽい呼び方はしたくないな。
みなさんにもいますよ、この存在。
夢の中で出会ってみてください。
ではおやすみなさい、よい夢を。