「太陽を神だと思うか」
という質問に
「太陽が昇る瞬間が神だ」
と答えた。
その答えに心が震えた。
初詣に訪れた近所の神社にて。
心理学者ユングがアフリカのとある民族から得た答えです。
ユングと同じように、私の心も震えました。
…そういうことなんだ。
以前に日本の神話…古事記について考えて、
わけわからん!
けど、なんらかの比喩表現に違いない!
という結論で終わりました。
(参照:「剣(つるぎ)」~古事記を少し考える)
瞬間…
人間の脳はコマ送りのように、瞬間瞬間の場面を捉えます。
作用であり動きであり瞬間の認識。
それを神とし崇め、
神を理解しようと、擬人化し比喩を駆使し物語とした…それが神話。
日本の太陽神といえば
「天照大神」
もう、名前に現れていました。
天、照らす
ほらね、天そのものではなく
太陽そのものでもなく
「照らす」
という瞬間であり動きを神の名前にしている!!
闇に射す光、その瞬間こそ神。
天岩戸伝説も、闇となった世界に再び光が射す感動を表してるんじゃないかな。
イザナギの左目から天照大神が
右目から月読命が
男性の目から子供が生まれるという、よくわからないあのくだりも比喩でしょうね。
太陽の光や
月の光が目に入った。
目に入って、人間は光を「認識」した。
その美しさの認識が生まれた瞬間を、「神の誕生」と表現したのではないのかな!?
心臓を開いても「循環」が出てこないように
頭を探しても「心」は出てこない。
養老孟司さんの言葉です。
循環も心も、動きそのもの。
形のない、認識しにくい曖昧なものを
なんとか理解したいと
形を与えようとするのが人間。
その思いを、衝動を、足掻きを、物語やアートや音楽や舞いにしてきた。
美しさを、素晴らしさを、不思議さを。
畏怖の念を、驚きを、感動の瞬間を。
結論です。
神様はセンス・オブ・ワンダーの感動に現れる
どうぞ、感動に満ちた一年を!