古事記に記された神話ってさぁ・・・
古事記が大好きな方にはゴメンナサイなんだけど・・・
な、な、なんでやねん!!
ワケ分からんわ!!!
はぁ?(*´Д`)
ってツッコミどころが満載ちゃいます?
少なくとも、初めてちゃんと読んだときの私の感想は上記の通りでした。
今まで古事記に関して3、4種類の本を読みました。
スピ系ではない、国史学とか文学・歴史としてとらえたやつね。
理解したことをまとめておきます。
まず、古事記や日本書紀が編纂される前にも
「帝紀」「旧辞」という書物があって、
それプラス日本各地の伝説・伝承、
中国や朝鮮の史書なんかをもとにして編集し直されたようです。
●古事記は、天皇家が神の末裔であり統治をするにふさわしいことを国民に誇示するためのもの。
●日本書紀は、日本の正しい歴史を収めたちゃんとした書物があるぞ!
という諸外国へアピール。
これをふまえて・・・
な、な、なんでやねん!
を考えます。
①イザナミとイザナギの子供が「島」
日本列島を誕生させるのがイザナギ・イザナミなんですけど
その様子には儒教の影響と思われる男尊女卑が色濃いのと、
”柱を回る”という古代日本の求婚の習俗が盛り込まれています。
中国やインドでも反対側が見えないものの周りを男女が回るという風習があるそうです。
イザナミが生んだけど神とは認められなかったヒルコ・淡島は、
干潮のときにだけ姿を見せる干潟や岩礁のことのようです。
確かに、島とはいえないから失敗ってことになるのかな・・・。
成功して最初に生まれたのが淡路島なのは、
もともとイザナミ・イザナギの日本創世記の伝説は
淡路島の海人の間で語られていたものだからだとか。
地方の伝承が古事記に採用されたってことですかね。
とりあえず、
島を生む
島=子供
ってのは理由を考えずに受け入れるしかないようです。
②黄泉の国のくだりがよくわからん
火の神カグヅチを生んでイザナミは死んでしまい、
(神様死ぬの?という疑問は置いといて)
怒ったイザナギはカグヅチを切り殺してしまうのです。
なんと激しい・・・
カグヅチの血やら亡骸からも新しい神様が誕生します。
もう、わけがわからない。
”火”は命を奪う恐ろしいものであると同時に
様々なものを誕生させる特別な力があるという、
古代人の”火”に対する思想が垣間見れる・・・
・・・んですってよ。
古代日本では洞窟の奥に亡骸を放置(埋めずに)する風習があったそうな。
白骨化する前にそこ、覗いちゃったらそりゃもうおぞましいでしょうよ・・・
黄泉(よみ)の国ってのもそういうイメージのようです。
黄泉(こうせん)という死者の国は中国の古典にも出てくるそうです。
妻を追いかけてった死の国で、
見ちゃダメ、振り返っちゃダメ的ストーリーは
ギリシャ神話のオルフェウスのお話と酷似しているので
何かしら影響があったのか同じ出来事が伝承されているのか・・・
で、見られたイザナミがなんでそんな激怒したのか、
なんで鬼(醜女)を遣わして夫のイザナギを殺そうとまでするのか、
さっぱりわかりません。
イザナギが髪飾りを投げるとブドウになって鬼が食らった。
イザナギが櫛を投げるとタケノコになって鬼が食らった。
もう、ツッコむ気力も失せます・・・
噛むと汁が飛び散るブドウや固いタケノコをバリバリ噛み砕く様子は
肉に食らいつき血しぶきを上げ骨まで噛み砕く鬼のおぞましさの比喩的表現。
という解釈がいちばん納得できましたが。
比喩。
そうか、比喩なんだ。
③そんなとこから神様
イザナギの、
左目からアマテラスが
右目からツクヨミが
鼻からスサノオが
生まれるぅ?
そんなとこからぁ?
もう慣れたけど。
中国やミクロネシアでも、
目から太陽や月の神が生まれたって神話があるそうです。
スサノオはイザナギの鼻を洗って生まれたんでしょ?
なのになんでイザナミを恋しがって暴れるわけ???
母が恋しいって母、鼻ちゃいますの?
いやいや、きっとこれも比喩比喩。
意味はもっと違うのでしょう・・・
なかなかタイトルの「剣(つるぎ)」にたどり着きませんな。
そろそろ飽きたころでしょうから絵を載せておきます。
なぜ古事記を考えようと思ったかというと
明け方にこのイメージを見たからです。
「剣(つるぎ)」
『剣を与えよう』
的なメッセージとともに見えたビジョンです。
・・・は?これが剣?
と夢うつつで思ったのを覚えています。
何か大きなものの内部から浮かび上がった、むっちゃ光る球体の羅列、という感じでした。
大きなものの内部にある、というのがポイントです。
私は”草薙の剣”も、そういうことなのかな、と思ったのです。
だから古事記で確認したかったのです。
④スサノオが好きになれません
”草薙の剣”は、スサノオが退治したヤマタノオロチから出てきた剣です。
なぜに怪物の体内から剣が??
私はこの答えとして、暴れ回るヤマタノオロチは、同じく暴れ者のスサノオ自身の投影ではないかと考えたのです。
古事記のスサノオはもう、アホか!とイライラするほどです。
父親に言われた仕事もせず母親恋しさにメソメソして、姉ちゃん(アマテラス)に甘えて、でも拒絶されるとキレて田んぼ荒らして姉ちゃんちに嫌がらせでウ●コして馬投げ入れて・・・
しかもその馬、皮を剥いで血まみれときた。
さ、最悪…
…比喩、比喩だと思うけど、納得いく解説にまだ出会えません。
そんなスサノオがヤマタノオロチを退治して一躍ヒーローですやん。
退治したのは自分自身。
淋しさや不安、不満、甘え、荒々しさ、傲慢さ、怒り、暴力的な部分。
その自分の内部にある、真の正義感だとか自信となる軸のようなものを、スサノオは見つけた、それを『剣』と表現した、という話なのかなーと思ったわけです。
調べてみたところ、ヤマタノオロチは氾濫し人の命を奪う川のことだという説が一番説得力があり、私の説とは違いましたが…
まあ、いいのです。
傲慢で批判的で猜疑心の強い私自身の内部に、軸となる輝く剣があることを信じてこのままゆきます。
私は生まれながらの反逆者、多くの人のエゴを刺激し眠りから覚まさせる・・・らしいので。
byミラクル
古事記は人と生き物と自然がひとつに繋がっている世界をも表しています。
苔ムスのムス、生命の繁栄、ムシ族の一員であるヘビ、ヘビの血を引く王、その末裔である人、栄え生きる喜び…
そういうものを表現しました「ムスヒの神」でシメにします。
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「ムスヒの神」
(タカミムスヒ カミムスヒ)
生命よ
いま、
ここにあれ!
育め
栄えよ、
謳歌せよ!