過去のリバイバルシリーズを少し休憩して、
気付きの体験談を書きます。
ま、リバイバルも全部体験談ですけどね。
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左腕を、伸ばす。
壁に当たって伸ばせない。
もう一度、伸ばす。
壁に当たる。
少しずつ
角度や位置を変えながら
何度も伸ばそうとする。
あるとき、スッと腕が通る。
ああ快感だ。
やっと腕が伸ばせた。
伸ばした腕は、向こう側の世界を感じる。
手のひらに当たる風が心地いい。
握って、開いて、風の動きと
そのたびにひんやり心地いい冷感を楽しむ。
でもまた、スッと腕が通るあの快感を味わいたくて
もう一度腕を曲げる。
こちら側の世界から
腕を伸ばして向こう側へ。
ダメだ、壁に当たる。
もう一度。
もう一度。
もう一度。
もう一度。
もう一度。
6回目でイライラが限界になる。
・・・
「あらあら、おててが出ちゃってたねー。」
私はぐずり出したらしい。
やってきた母親が私の腕をやさしく布団に入れる。
そうじゃないんだけど。
腕が出てたからぐずったワケじゃないんだけど。
でも、入れられた布団の中、
触れてなかったシーツがひんやり心地よくて
私はまた、うっとりするのだった。
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これは私が赤ちゃんだった頃の記憶です。
壁のほうに首を向けられなかったので、寝返りもまだうてない頃だと思います。
今思えば、時々腕が通る壁はベビーベッドの柵だったんだな、と。
6回目でイライラした、
というのもハッキリ覚えていますがそれよりも、
腕が伸ばせる
手のひらに当たる風
シーツの感触
そういうものに快感や幸せを感じていたという感覚を、やたら思い出すのです。
今では当たり前、だけど赤ちゃんのときは
”動きたい”という望みを叶えて寝返りやハイハイをし、
”見てみたい”という興味で視力が発達し、
”あれに触れたい””あそこに行きたい”
その願いが叶って歩き出す。
歩くだけで楽しい、どんどん目の前の景色が変わるのが楽しい。
私、ヨガと気功の師匠に正しい歩き方を教わって通勤を徒歩にして練習中です。
細かい姿勢を意識しつつ歩くのは楽しくって楽しくってあっと言う間に職場に到着します。
歩くことすら楽しいだなんて!
と自分に笑えたのですが赤ちゃんの記憶を思い出し、
その感覚は正しいのだと気付きました。
師匠に”気”を送ってもらいつつ行った瞑想はすっごく気持ちよくて。
ああ、呼吸って気持ちいい、ずっとこうやって呼吸していたい。
と思ったら
その願いはもう叶ってる!!
と気付きました。
呼吸するだけで気持ちいいだなんてね。
私たちは生きているというだけでめいっぱい幸せを感じられるのだなぁ~
という気付きのお話でした。
では、過去作品の「喜び」で締めます。
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喜び
私は光から生まれた
風であり鳥である
私は光を求める
花であり草木である
私は光の織りなす
音であり形である
私は光が揺らぐ
波であり流れである
私は光を纏い踊り歌い
流れ羽ばたき
たゆたう生命