ブログネタ:トイレで気をつけていること 参加中


トイレにおいて、大便用の個室に先に人が入っているとする。

大抵、トイレの個室に鍵を掛けると赤色の表示が出る。

それにも関わらずノックする。

ノックは2回が一般的かもしれないが、
どこかの国では2回のノックだと「お金を貸してくれ」という意味になると聞いたことがある。

そのどこかの国の人が個室に入っていると困るので、3回ノックすることにしている。

ノックすると、それと同じ回数だけノックが返ってくることが多い。

しばらくして個室から人が出てくる。
どこかの国の人じゃなくて良かったと安堵する。

そして、軽い会釈を交わし、意気揚々と個室に入る。

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よくよく考えると、これらの一連の行動は不思議だらけだ。

まず、赤色の表示が出ていてもノックするのはなぜか?

「私はあなたが出てくるのを待っていますよ」という意思表示のためか?
「早く出て来い!」と急かしているのか?

しかし、何かを排泄するのは快楽の瞬間だからな。
それを邪魔するのは気が引けるな。

次に、数回ノックすると、それと同じ数だけノックが返ってくるのはなぜか?

自動的な反応か?
認知的労力の軽減か?
マナーなのか?

最後に、会釈するのはなぜなのか?

「待たせてごめんね」「いやいや」という暗黙の会話を成立させているのか?

「トイレ汚くしちゃった」「マジで!?」ということなのか?

「メッチャ臭くなってるから気をつけて」「お茶目だなぁ」ということなのか?

察しろってことなのかもね。
ブログネタ:心に響いた言葉

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礼儀を重んじるという規範がある。

この規範は誰しも少なからず持っており、どんな場合でも固く遵守する人もいる。

これを「規範の内部化(内在化)」という。
規範の内部化は集団の協力体制を維持するために機能するといわれる。

規範が内部化されると、それを遵守した場合に快感情が、それを破った場合に不快感情が起こる。

このような感情を「社会感情」という。

つまり、なぜ礼儀を重んじるかといえば、自分が気持ちいいからであるが、
それは結果として集団の維持に役立つのである。

さて、『十二国記』というアニメで「礼」に対しての考え方が述べられている。
主人公の陽子が、景王として初勅を出す場面である。
少し長いが引用しよう。

「他者に頭を下げさせて、それで己の地位を確認しなければ安心できない者のことなど、私は知らない。それよりも、人に頭を下げるたび壊れていく者のほうが問題だと私は思う。人はね景麒、真実相手に感謝し、心から尊敬の念を感じた時には、自然に頭が下がるものだ。他者に対しては、礼をもって接する。そんなことは当たり前のことだし、するもしないも本人の品性の問題で、それ以上のことではないだろうと言っているんだ」

これを初めて聞いた時、私は迂闊にも涙した。
あぁ、そうだよな、と。

昨今、礼儀知らずの若者が増えている一方で、礼儀を重んじる若者も増えていると聞く。
彼ら彼女らは、礼儀を重んじない同じ世代の人々に憤慨している。
そこまで怒らなくてもいいのにと思いつつ、彼ら彼女らの規範の内部化が強力であることに震撼する。

礼は当たり前のことで不必要に強調することはないと考えているが、
そうも言っていられないのが現状かもしれない。

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十二国記 風の万里 黎明の空 第6巻
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印象派の有名な画家、ルノアールは「もしも女性に乳房がなかったら、
私は絵描きにならなかった」と語っている。

ルノアールの描く女性は豊満であり、その『おっぱい』は弾力性があり、
それでいてふっくらと脂肪が乗っている。

このような乳房を見ていると、優しい気持ちになれる。
そのタッチは大胆かつ緻密であり、吸い寄せられるようだ。
ゆえに私はルノアールの描く『おっぱい』が好きである。

きっと彼は超絶テクニックを持っていたに違いない。


シカゴの精神分析学者ユストゥス・クラインは、
アメリカ男性が乳房コンプレックスに陥っているとし、ある学説を発表した。

彼は、アメリカ男性の異常なまでのデカパイ願望が、
バスト90cm以上もあるスター女優を生み出すきっかけになったと言っている。
そして、そのような願望は母親の乳房にかぶりつく子どもの心情の現われだとまで語っている。

それは本当なのか??
デカパイ願望って何だろう?
おっかね~。


ルネサンス期(1300年代)のベネチアでは、政府が「女性は、なるべく胸を露出するように」と推奨していたという。

なぜなら、男性たちが女性のセクシーな乳房に気をとられ、クーデターなどを計画させないためだったらしい。


このように、古代から女性の乳房は文化・芸術・政治・社会・経済など多種多様な分野に影響を与えてきた。

しかし、エジプトやクレタ文明の頃には女性の乳房が完全に露出していたにもかかわらず、
現代では隠すことが主流となっている。

実に嘆かわしいことである。

プライベートビーチでは、惜しげもなく乳房をA・RA・WAにする人々が、なぜ街を歩く時は隠すのか?

隠すな若人たちよ!!
今こそ解放の時!!

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ブログネタ:好きなお菓子

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お金を損した時、もしくは、お金の使用をためらった時などに、
そのお金があれば他に何ができる(できた)だろうと考えた経験はないだろうか?

例えば、1000円損した時に「さっきの1000円があれば、うまい棒が100本買えたのに」とか考えること。

例えば、1万円の使用をためらった時に
「この1万円があれば、心理学の専門書が3冊くらい買えるだろう」とか考えることである。

これを仮に「代替換算」と呼ぶことにしよう。

代替換算は、嗜好・選好・趣味・状況・親のしつけなどにより人それぞれだったりする。

例えば、タバコが好きな人なら、3000円の損失に対し「1カートン買えたな」と思うかもしれないし、
筋肉マンだったら「牛丼が10杯食えたのに」と思うだろう。

また、代替換算の典型例というものもあるようだ。
上述の「うまい棒」は、よく聞く代替換算だったりする。
そしてこれが、私の最も愛して止まないお菓子。
やはり私も、どんなに高価なものだろうと「うまい棒」に換算してしまうようだ。

貧乏性っていやですね。


代替換算は、金銭感覚の狂っている人には関係ないかもしれない。
なぜなら、お金を損したという感覚が薄く、お金を出すことをためらったりしないからだ。

もしくは、ポジティブ志向の人にも関係ないかもしれない。
なぜなら、あまり打算や後悔をしないからだ。


別に5円チョコに換算してもいいはずだが、
人はなぜ、うまい棒に換算しようとするのか?

10円だからなのか。
これは調べてみる価値がありそうだ。

今日は、東京国際フォーラムへSecond lifeのセミナーに行ってきた。

講師は、デジタルハリウッド大学大学院教授で日本Webコンセプツ取締役社長の三淵啓自氏。
自称セカンドライフサイエンティストである。

題して、『セカンドライフと仮想プログラム言語リンデンスクリプト』。

Second lifeは究極のWeb2.0といわれ、3Dコミュニケーションのインフラとして注目を集めている。

Second lifeのメタバース内では、基本的にUGC(User Generated Contents)が中心となり、
オブジェクトの共有が3Dで実現される。

そのオブジェクトは、作成した段階でクリエイターの名前で保存されるため、
自分のブランディングが可能であり、なおかつ著作権の問題もクリアーしている。

そして、RMT(Real Money Trade)によるビジネスチャンスが豊富に存在する。
Second life内で1億円を稼ぎ出したアンシェ・チャンは、もはや有名人となっている。

多くの企業が参画しており、日本の企業でもmixi・ブックオフ・SONYなどがメタバース内に存在する。
また、IBMやスウェーデン大使館まであるそうな。

Second life内で就職活動ができるようになったことも話題となった。
有料で結婚できるシステムやアルバイトでお金を稼ぐことも出来る。

しかし、スパムや脅迫、つきまとい、嫌がらせ、大量破壊兵器、
テロ行為、脱税など問題も多発しているのが現状のようだ。

そんなSecond lifeでは、プリムと呼ばれる基本的な形状に専用言語である
リンデンスクリプトを埋め込むことで、様々な動きを実現できる。

これにより、プリムとアバター、プリム間でも相互作用が生まれ、シミュレーションできる。

個人的にリンデンスクリプトはPerlなどに似ているため、
プログラムが比較的理解しやすいし、書きやすそうではあった。

ただ、講演の中で、概念的情報空間であるSemantic webが左脳的なら、
感性的情報空間であるメタバースは右脳的だという主張が、少々首を傾げざるを得なかった。

Semantic webは確かに概念を機械可読にするものだが、
それはユーザーの直感的な検索を補助するためのものであるはずだ。

とまぁ、そんなことはどうでもいいのですが。

Second lifeは現実の世界に影響を与え始めている。
バーチャルがリアルを侵食しているのである。
それが良いのか悪いのか、やはりまだよく分からない今日この頃であった。

何にしろ、横文字が多すぎて目がイカれ始めた。


[今回の参考文献]