横浜名物 | ミナミのブログ

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2003/11/03 (Mon)横濱俳句倶楽部ほのぼのとから


横浜名物、といって、何が浮かぶだろうか。


 崎陽軒のシウマイ。

中華街の肉饅。

勝烈庵のカツ。

ミハマの靴。

フクゾーの服。 


それよりももっと古く

そして

世界中に知られているものがある。 


それは、スカーフだ。


これはまた、横浜の地場産業でもある。 


横浜の大岡川の岸辺には今でも

数軒の捺染工場があるが

昭和3,40年代には、数え切れないほどの工場があり


その頃は、川の水で、染物を晒していた。


 横浜スカーフは

もともとは、明治6年に、ウイーンで開催された万国博覧会に

政府の命で行った

絹物商の椎野正兵衛が

当地で、外国人に教えられた手巾(ハンカチ)を覚え

その作り方を横浜に持ち帰り産業の一つとしたことから始ったのだそうだ。 


ハンカチは、もともとは、頭に被ったり、肩にかけたりして

その為に形もまちまちであったものを

フランスのルイ16世の妻マリーアントワネットによって正方形のものと決められたのだそうだ。 


そして、その、マリーアントワネットの誕生日である

11月2日からより近い祝日の今日、11月3日を、ハンカチの日

と、日本ハンカチーフ連合会が

1983年に定めたのだそうだ。


 私が子どもの頃、近所の家に行くと

内職で、スカーフの縁を縫っているおばさんがたくさんいた。


 足踏みミシンを軽やかに操って、薄い大きな四角い布の縁を縫っているおばさんの、職人技のような手捌きに、よく見蕩れていた。 


その布は柔らかく

柄も美しかったが、

20年ほど前、外国に行った方からお土産として頂いた、ブランド物のスカーフを見て、これがそうだったのか、と思い当たった。 


大岡川の岸辺にある、捺染工場では

そのスカーフを売っている店もある。 


大桟橋の傍にある、かつて、シルクホテルといった、シルクセンターの中にある、シルク博物館、そして、捺染工場を見学してみるのもよいかもしれない。 

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かつて、大岡川河畔には150ものなっ染工場が有ったそうだが

今は数軒であり

当然、川で色染めの布を晒す風景も見られない


このなっ染工場は保土ヶ谷区を流れる帷子川の河畔にも

同様に有ったそうだが

その地についの記憶は私には全く無い


大岡川の畔には、捺染の他にも、着物の洗い張りをする家が並んでいて、一度仕立てられた着物が反物になって庭に干されている風景も懐かしい


なっ染工場には

初期の頃は近隣の人達が勤めていたそうだが、港の仕事が出来て不足すると、東北からの集団就職の学生などを雇い入れたそうで、極寒に川で作業をすることから、男性が優先され、その男性の遊興の場所として野毛などに歓楽街が出来ていったのだそうだ


横浜にはまた、開港のころから港の仕事もあり、海外からの船員がしばらく滞在することをあてにして

本牧や伊勢佐木町という繁華街を中心に、国が認めた娼館、遊郭や、ちゃぶやなどと、闇で営む曖昧屋が既にあり


曖昧屋は個人の家でも営んでいて、1970年代に車に私を残して

果物屋さんに果物を買いに行った夫が

店の女性から二階に

イイコがいると客引きをされたと驚いて戻ったことがあった


そういう人達の客に提供するもう一方が音楽であり、米軍が駐在する頃までにも、多くのダンスホールが出来、特にロシアの船員が長く滞在した宿舎のあった大通公園周辺では著名なミュージシャンが誕生していて


それもまた、横浜の名物なのかもしれない

 

今は、というか、1960年代に入ると、河川への工業排水に対する法律が厳しくなり、川での作業を見ることはなくなり

世界的にスカーフの需要そのものが失くなりつつあることで

数年前に

ヨコハマスカーフの生産そのものが終わりを告げたというような文章を見て

往時の、なっ染工場が立ち並んだ様子と、その周辺の、まるで温泉街にでも行ったような華やかな町並みの風景が、脳裏に

巻き戻されるフィルムのように大急ぎで過ぎていった


公娼と言えば

芸能活動を理由に日本に来られた

いわゆるジャパゆきさんの一人が

顧客である男性とゴルフに来られて

私たちより一組後ろにいたことで会話をすることになったのだが

当時、バブルより少し前の頃まで、本国には公娼館が有ると教えて貰ったことがあり

その人達がそのお仕事での衣装の姿の写真も見せて貰ったのだが

それから数年後に

地域のイベントで

その衣装を、その国の民俗服として紹介し

来場者に着せて記念写真を撮っているところを見てすごく驚いたことがあった


しかし、最近は成人式に花魁の衣装や髪飾りをしたり

七五三の子どもに舞妓の衣装を着せる親もいるそうだから

驚くに値しないのかもしれない


横浜名物である

横浜スカーフは

横濱スカーフとして

1950年代に創業した

お店で今も生産されているそうだ