2003/11/04 (Tue)Yahooブログから
浜梨 といっても、Rosa rugosaという、薔薇のように美しく
咲くハマナスのことではない。
横浜には、豊水を改良した、横浜ブランドの梨がある。
その名前が浜梨といわれるのだ。
もうその盛りはとっくに過ぎて、今は、来春の開花へ向けて、枝の手入れがされているのだが。
子どもの頃、運動会や秋の遠足に持っていく果物として、梨、林檎、は、欠かせないものだった。
梨は、古くは
中が酸っぱいので、中酢として、ナス、と呼ばれていたという話のあるそうだが、
本当の所は定かではない。
梨が栽培されだしたのは、中国において、五世紀の頃からのことだそうだ。
日本では、まさに二十世紀になってから本格的に栽培されるようになったのだとか。
梨を題材にした中国のお話に、梨売りと仙人のお話がある。
見窄らしい老人が、荷車に山のように梨を積んだ梨売りに、ひとつの梨を欲したが、断られ、困っていると、もう一人の売り子が少ない梨の中から一つ恵んでくれたので、それを食べ、地に種を吐き出すと、その種はたちまち育って、幹になり、梨の実が枝も撓わに実り、その老人は全ての梨の実を旅人達に振舞って、行ってしまう。
唖然としてそれを見ていた梨売りはその老人が行ってしまったあと、
自分の荷車の中が空っぽになっていることに気がつく。
梨に関しては同じようなお話が日本にもある
香川県の高松市屋島という所に伝わる民話なのだそうだが
弘法大師が旅に疲れて、ボロボロの格好になり、ある家の庭先で、梨をひとつ請うと、その家の女性は、これは喰わずの梨と言って、食べられる代物ではない、と断る。
すると、弘法大師は、それなら、と言って、梨の木に登り、本当に食べられない実にしてしまうお話だ。
どちらも、外見でヒトを判断したり、お年寄りを粗末にしたりしてはいけない、という、結びなのだろうが、いずれにしても、なんとなく意地の悪い結末だと思う。
蛇足だが、李下に冠を正さず、という諺を、り、という音で、梨と思われているサイトを時折見かけるが
李とは、漢字でもわかるように、スモモのことで、梨ではない。
冬も本番になり、温かい部屋で、しっかり冷えた梨をシャリシャリと音をさせて食べるというのは、梨の味を一層増させてくれる。
料亭の女将さんは、梨を使った諺、梨の礫、という言葉を嫌い、ありの実、と表現するそうだ。
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梨は子どもの頃売られていた固くて酸っぱい梨が好きで、
今でも甘い実の部分よりも
震えが来るくらい
酸っぱい芯にちかい部分の方が
だから好きだ
30年ほど前に浜梨を作り始めた人は農家の一人息子さんで
夫と共に何度かゴルフに行き、人を介して縁談を頼まれたりした
しかし、残念なことに30半ばを前にして、病死された
入院されたときは既に手遅れだったようで、
体調が優れないときいて
間もなくの訃報だった
毎日梨畑にいて
梨の花をみつめて
作業をしていた彼は
農家の長男だから
という理由で縁談がある度に断られて
毎回複雑な笑顔を浮かべていた
その時この人は本当に結婚したいのだろうかと思ったことがあった
一日の大半を梨畑で過ごし
ゴルフ場では屈託無く笑い
梨の話しになると饒舌に語るのに
お見合い相手とは満足に会話も出来ないと
嘆く
農家の長男だから
一人息子だから
跡取りだから
その彼と出会うずっと以前
東京の出版社に勤めていた頃、日本の伝統文化の、ある流派の跡取りという方が家出をして、事務所に勤めていたことがあった
当時、大学進学に迷っていた私に
大学にいきたかったという彼が
どこで学ぶかではなく、何を学ぶかであり
会社は、社会学というものを学ばせてくれる教育の場でもある
そう話して
ご自身も納得したのか、捜査網に架かったのか
ほどなくして黒い服を着た男性数人と
会社の下の通りで待つ黒塗りの車とともに
帰って行って
忘れた頃に
某家の家元として
テレビに出て
それから数年後
若くして亡くなったというニュースを聞いた
私は女の視点から物事を観ていて
女性の立場の不公平観を
強く思ってきたけれど
男性もまた
生まれた家
生まれた順番により、なんの縛りもなく
自分が望む人生が歩めない人達がいるというのを彼らから教えられた気がする
今の時代は少子化により、大概の家庭が一人息子か一人娘であり
何故か名門という肩書き等度外視して
跡継ぎを望むそうで
私の身内も
実の親から
子どもの出産について詰られたと
悲しみの相談をされたので
子どもとて一人の人間で
日本に住む日本人であれば
法のもとに全て自由平等なはず
あまり煩いことを言うと
そのうち
お子さん夫婦が
梨の礫になるかもしれないと忠告文を送ろうと思う