日本茶の日 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

2003/10/31 (Fri) 横濱俳句倶楽部ほのぼのとから 


今日(10月31日)は

栄西禅師(建久2年1191年)が

中国栄王朝(現在の浙江省)から

茶の種を持ち帰り

日本で種蒔きをし

普及させたということで

日本茶の日、なのだそうだ。 


お茶はその昔、紀元前の中国の神話の時代に

農業神によって

漢方薬として見つけられたものなのだそうだ


それが中国では

烏龍茶などの中国茶になり

インドでは紅茶に

そして日本茶になっていったのだそうだ。


そのお茶が実際に日本に入ってきたのは

最澄や空海が留学生として

中国に渡り、その際に持って帰ったのが初めまりだそうで


弘仁6年815年には近江、今の滋賀県の、梵釈寺の永忠が

嵯峨天皇にお茶を煎じて献じたと

『日本後記』に記載されているそうだ。


 栄西禅師はそのお茶を静岡の

牧の原台地にて育て、後に

喫茶養生記(承元5年 1211)という

茶の薬効から栽培適地

製法などの載せられた書を著したそうだ。 


吾妻鏡によると

その中にある

効能書きと

お茶によって

将軍実朝は宿酔(二日酔い)が治ったといって、大層喜んだという逸話があるそうだ。

 

お茶に含まれる成分の効力は、科学的にも証明されつつあり、最近ではアトピーに効くのではないかという実験もされているそうだ。 


私が子どもの頃は

飲んだ後のお茶ガラは纏めておいて

畳を掃くときに使った 


畳に少し干して水気の引いたお茶ガラを撒いて

箒で掃き寄せていくと

埃がたつことも無く、また、綿屑なども

お茶ガラに付いて

さっぱりとした気持ちになった。 


今でも、時折お茶を飲んだ後に、畳の部屋にお茶を撒いて掃くことがあるが、掃き終えた後は、仄かなお茶の香りもして、それもなかなかなものだ。 


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嘗てお茶を淹れる時は急須に湯を注ぎ、少し冷ましてから茶葉を入れて、急須を持って、ゆっくりと七回左から回転させてから器に注ぐと教えられて、そうやって淹れると、年上の方から誉められて、なんとなく大人の仲間入りをした気分になった


最近スマホに、食事や日頃の所作を、品があるとか、無いとか表現する動画が紹介されていて

観に行くと、私と同年代らしい方が和服姿で食事の解説をする動画だった


品がある人はだされた料理を手で食べたあとの汚れをおしぼりで拭いて、その汚れた部分を隠しておく、と


おしぼりで顔や脇を拭くのは下品です、という話では無いらしい


それ以前に、その店は手で食べるような料理を出すのにフィンガーボウルは出さないのだろうか、と、そちらの方が気になった


気になると

その女性が持ち上げた器の内側に親指を入れているのが目に入った


これは上品とか下品の範疇ではなく、日頃の

立ち居振舞いに意識をされてない動作であり


もしかするとあれは

モリエールの世界観を表現した

日本人の在り方の変化に対するアイロニー

なのだろうかと思えて

正直な話可笑しかった


今の時代は畳や敷居のある家も珍しく

日本茶にしても 

ティーパックかペットボトルが通常であり


急須に茶葉を入れて、器に注いで飲むというのは

新茶がスーパーに並ぶ時期のお茶の香りに触発された頃

くらいだろうか


そして茶殻も

今は大概の家がフローリングであり、畳のような目など無いから

撒いて箒で掃きよせる

などということをしなくてもよいし


第一に、上手にお茶を淹れたところで誉めてくれる

年上の人もいない


そんな話を

お隣の若奥様に愚痴っていたら

彼女が閃いたように

介護施設に

ボランティアでお茶入れに行くと

誉めて貰えるかも知れませんよ、と、

目を耀かせて教えてくれた


そうか、あそこなら、年上の方もたくさんいそうだから

捨てきれない、ご町内の仲間との宴会で活躍した、青地に白い水玉の大きな急須と、同じ柄の茶碗を持って

行ってみるかな、と、半分本気で思っている


品があるとか無いとかで思い出したが


昭和の終わり頃まで、今は誰でも着ている

元々は作業服である

ジャンパーを着たり、ジーンズを履いて大学の講義を受けるのは

失敬だという話が

テレビで話題になったことがあった


つい最近、スカジャンなるものを国賓のお連れに差し上げたというNEWSを見たが、品の方は大丈夫だったのだろうか