蕁麻 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

2003/11/01 (Sat)横濱俳句倶楽部ほのぼのとから


蕁麻 

今日は、月に吠える

という詩集を書いた

荻原朔太郎の生まれた日。 


彼は1888年に

群馬県の、医者の長男として生まれ

北原白秋が主宰する

同人誌に投稿したことから

室生犀星との交流を諮り

日本の近代詩に新しい分野を作った人として知られている。 


私は彼の作品よりも

娘の

荻原葉子の、蕁麻の家の方に興味を惹かれた。 


この、蕁麻の家は、朔太郎の妻であり

葉子の母であった人が

若い男とともに家を捨てて

今で言う不倫の果てに出奔した為に

葉子は、父方の祖母に

全人格を否定されて育つことになった

その自分史を語ったものである。 


子どもには全く無関心の父と


母に代えて、娘に

その母の不貞を責める祖母。 


その祖母の、葉子に対する仕打ちは虐待にも等しく、葉子は他人の前でまともに口を聞くことも出来なかったそうだ。 


蕁麻とは、いらくさ

と読み、漢名を、じんま、とも読む。


 このいらくさの葉には無数の棘があり

この棘の先には、ヒスタミンを含んでいるので、刺すと、何時までも痛いことから、蕁麻疹の語源となったともいわれているそうだ。 


いらくさで思い出すのは、アンデルセンの童話の「白鳥の王子」


 魔法にかけられた11人の兄を救うために、末の妹はいらくさで服を編むというお話だが


この本を読むと、このいらくさの棘に触れたことのある身としてはその痛さが実感できて

なんともいえない気持ちにさせられたものだ。 


いらくさの学名である、urticaも、熱いほど痛い、という意味なのだそうだ。



 朔太郎の娘、葉子に刺さった、祖母の言葉は、まさに、この、いらくさの棘の痛さに等しかったのだろうと思う。 


しかし、葉子は、結局、母が出奔する元になった、ダンスによって自信を快復する、というお話で

この、蕁麻の家の物語は括られていく


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何故蕁麻の家に惹かれたか

それはたぶん、自分自身の生きざまと似たところが有ったからなのだろうと思う


母は別に男と出奔したわけではなく

私が幼い頃から

亡くなるまで

ずっと側にいた


母と娘という間が

険悪だった訳でもない


人生の師として尊敬もしていた


唯一許せなかったのは

自分自身が一度見捨てた子ども

長姉の庇護を私に押し付けてきたこと


もし、私が彼女より年上であったら

母の、彼女は(母に捨てられた)可愛そうな子という思いも

飲み込めたのかもしれない


しかし私は出来なかった

 

夫と結婚してアパート暮らしの頃

毎日曜日夫と娘と母を伴い

我が家で昼と夜を食べて帰った長姉は


私の夫が家を買ったと知ると反発し

母がお金をだしたと疑い

姉妹との縁切りを言い出してきた


住所を知らせることなく長姉とフェードアウト出来る


そう思った我が家に

次姉とやって来た長姉夫婦


長姉の縁切りの話を知らない次姉が

母から言われて

お祝いに来たという


それ以降、母は我が家に来るたびに長姉一家の惨状を伝えて

最終的に我が家の近くに呼び寄せてしまった


あの子は可愛そうだから

その言葉で全てを私に依存し続けて


母の最期の言葉は


もしかすると彼女は私の娘では無いかも知れない

だから自分が亡くなったら付き合いをやめて、と


今私は、母の仰せ通り、長姉とは付き合いは無い


母と子は、お腹にいる頃からその関係は成立し、たとえこの世に生まれることはなくとも、母親の回りで、母親の想いと同じ気持ちで見守っている


だから、笑顔で、美しいものに感動し、美味しいものに喜びを感じて暮らすことが、生まれなかった子への最高の供養になる


そんな話を

ネットで読んだことがある


頑是ない子が夕暮れ時に泣くのを黄昏(たそがれ)泣きといい表すが、


その黄昏の頃、黄泉の世界の扉が開き、魂が不安を感じるから、と、私が若い頃のお年寄りに教えられたが、


実際は夫や家の人々の帰宅などの支度などで

いろいろなことで気が急く母親の不安定な気持ちが伝わるからとも教えられた


だからしっかりとオブってあげると、母の体温が伝わり、安心するのだとも


実際の話、夕方泣き出す子どもはおぶったくらいでは泣き止まないのだが

自分が不安な気持ちでいて、赤ん坊の息子も不安そうに見上げていたりするのを見ると

確かにそうだと思うし


自分が笑っていると

息子も笑顔になって

やっぱり伝わっているのだと思えた


たぶん母も長姉に対して憐れみばかりでなく、楽しみを共有すれば、二人の関係もかわり、私も迷惑を被ることがなかったのだろうと思うが


長姉が母に甘えていたのか、母を恨んで、私にその恨みをぶつけていたのか


単に私が都合の良い者だったかは

わからない


たとえ母親に恨みがあったとしても、妹にその代償を求めるのはおかしい


長姉の現実を見てきた

娘の言葉に納得した


人間に性善説ばかり求めても危険な気がする


長姉の何もかもを容認してしまったのは、自分の中に彼女に対する見下しが有ったのかもしれない


母が自分を捨てたきっかけになったダンスにより自信を取り戻す

蕁麻の家の娘


父と自分との

埋められない距離を

作った母を私も恨んでいたのかも知れない


その蕁麻は今も私の中にあるから

娘から悪態師

なんていわれる性格になったのだと思う

それはそれで悪くは無い気もする


子どもはこの世に生を受けるずっと前に母と命をわけあっている

それは神秘であり

どれだけの人間の叡知を持ってもけして作り出せない世界


結局私は今も母をつれ歩いているのだろう