2008-10-27Amebaブログから
台風一過とか、荒天の翌朝は
晴れやかな青空、というのが自然界の常のようで
今朝の空は
海側がスカイブルーで
富士山の方面がブルー
美しい晴天です
今日は、大桟橋から赤煉瓦方面に麗しい富士山が見えるんではなかろうかと思います。
その前に洗濯物ですけど、雨の次の日は地面から最低120センチほど離すと、土から上る湿気の、微妙な匂いがつかない
と教えて貰ったことがあります。
それと
ピンチハンガーに洗濯物を掛けるとき
斜めに干すと風の通りが良くなり、早く乾くとか
シーツは角をきちんと合わせて30センチくらいに畳んで
麺麭を潰すように両手で叩いて
しっかり広げて、両端をあわせて引っ張ってから干すと
乾いたとき皺が残らないとか
これはみんな、ご近所の、主婦の先輩達
所謂オバサンから伝授されたことです
今は、庭っ先に洗濯物を干す家自体が珍しいですし
干している最中に他人が通りかかるなんて
造りでもなくなっているし
ご近所のオバサンから声を掛けられることは珍しい現象に
なってしまったように思います。
黄昏泣きする子どもを背負って外に出ると、何処からかオバサンが現れて抱っこしてあやしてくれたり
お買い物に出かけると、背中の息子に声を掛けてくれたり、
電車の中でぐずっていると、服が暑いのだから、脱がせるといいわよ、とか
眠ると体温が下がるから何か掛けてあげるといいわよ、と教えてくれたり
いろんな場面で助けられたのも、懐かしい思い出です
動物でいえば、そういうオバサンたちは絶滅危惧種になりつつあるのかもしれないと思う今日この頃です。
だったら、私世代がそうなれば
と言われそうですけど、他人(ひと)に声を掛けるってなかなか難しいのです。
いえ、決して無口なほうじゃないんですけどね
オバサン て思われるのが厭なのかも
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などと躊躇っているうちに、お節介な親切オバサンは絶滅危惧種から絶滅種になったようだ
数日前にネットニュースに、沖縄のタレントの姉弟の、弟が、多忙な姉に代わり、姉の子どもたちの面倒をみているという話に対して、その姉が日頃子育てを自分独りでしていると話しているのに云々、と、批判めいた文章が書かれていて、
お。世間姑(せけんじゅうと)は健在なのか、と、妙な関心をしてしまった
親切なお節介オバサンの副作用のような、何かにつけて嫌味を言うオバサン
こういう人を世間姑というのだと母が教えてくれた
成る程、このようなニュースを書く人の精神は世間姑と同じ価値観のある人なのか
そう思って同じ配信社の別の内容を読むと、確かに嫌味な内容ばかりになっている
思えば、私にしろ、夫にしろ、他の家庭にしろ、私たちがこどもの頃、兄弟が多い家では弟妹や兄姉のこどもの面倒をみるのは普通にあったことで
そのタレント兄弟も同様な感じなのだろうと、懐かしくもあり、微笑ましくも思えた
そう思いながら、そういえば、私が小学六年の頃、近所の小母さんから、お駄賃を払うからと、シッターを頼まれたことがあったのを思い出して
もしかして少子化の原因はこれなんだろうかと思った
子どもが自主的に近所の子の面倒をみるのは問題ないが
そこに契約と対価が生じると、今は児童福祉法に触れて、頼んだ方は罪になる
例えば子ども食堂とか、子どもに無料で食事を提供する店で、子どもに皿洗いとかを頼むと、それも罪になる
ならばいっそのこと、児童福祉法で定められた15歳になるまで、収入に応じた家の全てのこどもの必要経費を国が負担すれば良かろうと思う
そうすれば、母親も無理に働くことなく、安心して子育て出来ると思うし
自分でも、いろいろと取っ払って、勝手なことを書いている自覚は有るのだけど
世の中の制度は、守る、を前提にして、結果、一番守るべき、こどもを生む女性が
一番守られていないように思う