2009-10-05Amebaブログから
突然の死去に驚きました
3日に中川昭一氏が亡くなられた
彼の生年月日は
1953年7月19日
私の戸籍上の生年月日と同じ
花の二八組
彼のお父さま、中川一郎氏
は自殺を装った殺人説が長く
流布されていましたけど
当時診断書を改竄させた某氏が
政界の第一線に復帰したことは
今回にはあまり関係ないんだろうと
思います。
一郎氏がホテルで亡くなったときは
57歳だったそうですから、
昭一氏は親より一歳若くして
亡くなったわけなんですね。
一郎氏はかつて
北海道の羆といわれるほどの豪傑で、また酒豪だったそうですけど、
本当のところは如何だったのか。
親子二代、お酒に負けたのか…。
私は幼い頃から縁あって
側面から
多くの政治家を見てきましたけれど、
子ども心にも
政治家の人たちのみならず
その家族の人たちって大変だなあと
思っていました
私
の親族は自民党の方を応援してましたけど
子どもが小学校時代の教師は
共産党の政治家であり
六年生の担任もまた共産党の
政治家の妻であり
夫の飲み仲間は民主党の政治家であり
それぞれに家族がいて
ただ
近頃の政治家の方々を見ていると
何処かに、中川昭一氏と同じ、
sensitiveな印象を拭いきれません。
たぶん
時代が変わったのだと思います。
良くも悪くも
昭和の、胸板の厚い
また泥臭い
呑舟の魚のような政治家は、
もう現れることはないでしょう。
与党であろうと野党であろうと
政治家も変わったのですから、
国民もまた変わらなければならない、
そういう時に
きているのだと思います。
マンモスマンションから
小戸数マンションの
住民になったように
日本で暮らす国民一人ひとり
自分で自分を守る
そういう意識と覚悟が必要な時代。
多勢に無勢
偉い人が何とかしてくれる
という
昭和は遠くなりにけり、です。
大平総理の『最後の』演説の応援に
駆けつけた、安倍元総理の父親
晋太郎氏が戸塚の駅の階段を
駆け上がっていく姿を
昨日のように思い出します
=================時代は変わった
中川氏ブログを書いた10月5日
日本に初めて
女性の総理大臣が誕生した
男女雇用機会均等法が施行されたのは1986年
半世紀以上前のことだ
原始女性は太陽だったという政党さえ
党首に女性を選んでも
総理大臣の座に女性が座ったことは
無い
そういう意味では漸く時代が動いたということなのかもしれない
どのような舵取りをされるのか
楽しみではあるけれど
一つだけ、女だから、という言葉を
言い訳にするのだけは止めて欲しい
夫は建設業の仕事をしていて
私はその現場の人達と
直接会話することになり
時には手厳しい暴言を浴びせられて
哀しくなることもあった
その時、夫に
厳しい言葉を吐かれて
泣くようであれば
電話に出なくて良いと
そう言われた
仕事も止めるように
そう言う現場で
仕事をしているのだから
厳しい言葉を受け止める覚悟が
ないなら辞めるしかない、と
女性の総理大臣として
これからは経験しないような
厳しい言葉を、党内外の人から
時には国民からも
浴びせられることになると思う
しかし、総理とは
男性であれ、女性であれ
そういう人たちを
相手にして
日本の未来を拓いていくという
そういう仕事なのだから
その時に、女である、ということに
逃げてしまっては
後進の人達にとって、総理への道は
一層遠くなってしまうと思う
安倍元総理が現役の頃
もし、中川氏が存命だったら
幾度となくそんな思いを抱いたが
そのお二方は、今天界で
新しい総理を
どんな思いで見ているのだろうか