■ 2003/09/29 (Mon)Yahooブログから
ガス灯というと、ガス燈に浮かぶシャーロック・ホームズ
という題名のとおり、イギリスの町が良く似合う。
映画のガス灯の中にも、シャルル・ボワイエ演じる、アントンと夫婦でありながら、サスペンスの中に巻き込まれていく妻ポーラを演じるイングリッド・バーグマンを救うために、ジョゼフ・コットンが演じる探偵が出て来る。
そして、もう一つ、ジャンギャバンを執拗に追いかける刑事ジャベールが最後の場面で、河畔を歩く姿に何故か、ガス灯が重なっていく。
子どもの頃読んだ日本の小説の中のガス灯には、小説の中に、そんな場面があったかどうか定かではないが、絣の着物を着た少年と、夕暮れの中をひらひらと飛ぶ蝙蝠と、そして荷馬車の音がする。
本町小学校の前にあるガス灯の説明文によると、この場所は日本ガス事業発祥の地
明治3年、高島嘉右衛門によって中区花咲町のこの地に、ガス会社が設立されたとある。
高島はフランス人技師アンリ・プレグランを招いて、明治5年9月29日、神奈川県庁付近および大江橋から馬車道本町通りまでの間にガス街灯十数基を点灯した。
と書かれている。
この高島嘉右衛門は、高島易断の祖といわれている。
彼は、若い頃、小判の密売に関り、投獄され、同じ牢にいた人に易学を学んだという逸話がある。
その一方で、彼が埋め立てた土地は、今でも、高島町として、その地名に名を冠している。
嘗て、高島易断の本は、新聞屋さんでも配布し、毎年見るのが、当たり前のようになっていたが、十年近く前、宗教絡みの未曾有の事件があってから、さっぱり見なくなってしまった。
大人の世界のガス灯には、サスペンスが付きものなのは何故だろうか、
確かに、ガス灯の明りの向うには、広大な闇が広がっている。
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最近、Light(軽い)とNovel(小説)を組み合わせたライトノベルという若者向けの小説があるそうで、その中に書かれている言葉と、日常で用いられる言葉の乖離が話題になっているとか。
一例を挙げれば、事件などの犠牲になりって亡くなられた人に対する、無言の帰宅。
ライトノベルを読んだ訳ではないが、そこには、無言の帰宅は、挨拶もなしに帰るというような表現になっているとか
無言の帰宅の本来の意味を知る人からすれば、何事だと思うだろうが
今のように親子三人、もしくは兄弟含めて四人暮らしのそんな中で
両親がフルタイムで働く
家にかえったところで 自動的に灯る外灯に照らされたドアを開けると
誰もいない、薄暗い部屋 独り言でただいまというその気持ちは、無言の帰宅と表現もしたくなるだろうなと思う
それからすると、新宿の街角で真夜中に寝転んでいる人たちは、灯りと人の声に飢えているのではなかろうかとも思える
昭和の後期と人口はかわりなくても
その構図は全く違い
高齢者の大半は介護施設に入所して
実際の家庭人口は半数にも満たなくなっている。
言葉の形と同様に、世の中のあり方を変えていく時期に来ている、そんな気がする。
ガス灯のほの青い灯りを思い出しながら
兎は1羽では寂しくて
という歌をまた思い出している