閑話 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

2003/08/29 (Fri)YAHOOブログから

 

 

休題という言葉を入れたくなるが

閑話休題の意味は、閑話=雑談を

休題=やすむ

 

だから、今までの横道のお話は置いておいて

本筋に戻りますという意味。

 

これに似たもので

確信犯というものがある。

 

確信犯とは

結果を確信して行うのではなく、

その行為が正しいこととして行い

結果犯罪になること。

 

思想犯・政治犯・国事犯などですから

その国自体の意識が変れば

犯罪ではなくなる可能性もある。

 

では、確信して行うのは

というと、計画犯になるのだろうか。

 

そして、もう一つ、つい言ってしまうのが、役不足。

 

これは、自分にとって、その役では、軽すぎる、ということ。

 

ついお座成りになりがちだが、気をつけて使いたいと思う。

 

しかし、日常の中で、今のような言葉を使っても、それほど人は不思議にも、不愉快にも思われないし、、時には、そんなものかな、と過ぎてまうが、インターネットのウェブ上に載せる文章を書き始めたときに、

それまでの私信とは違い、公の物、という意識を持って書くということで、

悩まされることが多々ある。

 

先ず、言葉の変化だ。

 

例えば、横浜の外国人墓地。

 

この言葉を最初に目にしたとき、何処にあるのだろうと思った。

 

赤い靴という歌も大らかに歌えないことを知った。

 

私は半世紀に渡り、日本から、いや、横浜から、まあ、数日間は出かけたが、その他は全く出たことが無いに等しいにも関わらず、私の知らないうちに、

日本語というものにたくさんの規制が敷かれていたのだ。

 

何より驚いたのは、我が社では当然のように使っている、現場という言葉。

 

これの何処が、差別用語なのだろう。

 

その一方で、言葉の結界といえる部分を超越したようなことをメディアでは日常茶飯事繰り返している。

 

つい昨日も、小泉総理と、外国の俳優がお会いした、というニュースが流れた。

 

外国の俳優の名は、当たり前のように呼び捨てなのだ。

 

元イギリスのダイアナ妃をもして、ダイアナ、と呼び捨て。

 

元俳優だから、元女優だからと、間違っても、扇大臣を、扇千影が、とは、言わないと思う。

 

数年前、某新聞は、閑話休題というコラム欄を設け、かの国営放送では、ママチャリなどという言葉を平気で使っていた。

 

不思議な国だ。

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ブログは20年ほど前のものだが

今は閑話休題という言葉自体遣う人を見かけなくなった

 

それ以前に漢字について興味がないのか

習う機会がないのか、全く違う意味に

捉えられて驚くことが有ったりする

 

なので最近はなるべく読みを表示して

文章を書くように心がけている

 

今はどう表現するのかは分からないが

以前、チャットと言って

数人の書き手が一斉に掻き込むという

私には絶対不可能な掲示板が有った

 

数日前に

娘が平野紫耀君のInstagramで

質問を投げかけ

それに本人が文字で答えるという

ある種チャットのようなコーナーを見ていて

私も覘いたのだが

この彼の即答力、文章力

そして打ち込む速さと正確さに驚いた

 

当人は本音で答えているようで

時折妙なクレームを受けていたが

聞き手は彼にいったい何を望んでいるのか

それも不思議だった

 

たぶん、彼はその人たちの中で

当たり前の人なんだろうと思う

 

優しくて当たり前

言葉が奇麗で当たり前

自分の思い通りに応えて当たり前

 

期待値の大きさが

彼の人物像を勝手に作り出して要求する

 

ならばAIとチャットしていれば良いと思うが

 

こういう場面は日常生活の中でも

よく見かけることであり

 

たとえ一般的な正論であろうと

自分の言動が相手だけでなく

周囲の人まで不愉快にしていることに気が付かない

 

結局彼は夜中に再開したそうだが

その初めに彼が投げかけた言葉が

お知らせの音が届いて目が覚めなかったか

という聞き手への配慮だったようだ

 

たぶんInstagramという匿名性で

マウントを取ったり

言葉使いに付いて指導したり

不愉快な言葉を投げかけるのだと思うが

 

それはネット上で匿名で会話をし始めた頃と

全く変わりの無い、全く進歩の無い話で

 

普通、文化に対しては進化して進歩して

改善されていくものだと思うが

 

それにも増して

彼に限らず、インスタライブというツールで

唯一ファンとのストレートな会話の場所で

普通に会話した言葉を

ピンポイントで悪意的にメディアに

取り上げられる

 

それもより大きく話を膨らませて

 

そういうことを報じる記者は

人に対する●●ハラという

コンプライアンス違反として

然るべき措置を取られるべきではと思う

 

それにしても平野紫耀という人の

頭の回転の速さにはいつも感心してしまう

 

歌の世界に満足したら

学び直して全く違う分野で活躍しそうだ

 

将来を見る機能が有ったら、そこだけは

見てみたい気がする

 

こればかりは、今の時代では未だ叶いそうもない

 

閑話、休題

 

私の文章は横道ばかりで、帰るべき本筋が

そもそもないのです