2002/08/29 (Thu)YAHOOブログから
How strangely do we diminish a thing as soon as we try to express it in words.
私たちは、言葉で表現しようとするとすぐに、なんと奇妙に
何かを貶めてしまうのでしょう。
人間は何処からやってきて、何処へ向かうのか
生きるとは、
死ぬとは
幸福とは
そんなことへの答えを求めて
二人の子供が旅をする小説を書いた
モーリス・メーテルリンクは
1869年の今日、生まれた。
人間が何処から来て、何処へ還るのか。
幸せとは。生きるとは。
この全てを、自分の外に求めているうちは、永遠に答えは出ないだろう、と
青い鳥は告げている。
我が家の青い鳥、背黄青鸚哥は、外の青空を眺めながら暢気に何か語っている。
彼は幸せなのだろうか。
心地良さそうな声で歌っているところを見ると、幸せなのだろう、と、私は勝手に思う。
が、それを言葉に出せば、ウン、なんだか嘘臭くなる。
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最近、施設にいる夫に会いに行くと
鸚哥を見ていたときと
同じような気持ちになる
夫はここにいて幸せなのか
夫は介護施設で骨折して
カンファレンスを受けたときは
補助具があれば階段を上ることも
可能になり
新たに受け入れてくれたデイサービスの
ケアマネさんも
そのつもりで準備をしていたものが、
コロナによる院内感染で病院が閉鎖されて
退院が延び
帰宅したときには寝たきりという
驚くような状態になっていた
施設のケアマネさんと慌てて受け入れ態勢を変更して、漸く一年が過ぎた頃
コロナの疑いで入院して
結果自宅での介護は不可能と言われて
施設に申し込んだ
希望を出した中で、夫がいつも行っていた
海に近い施設が直ぐに返事を下さって
お願いすることにした
しかし介護施設では感染症を懸念して
面会はアクリルのボード越しで
面会時に施設で売られている飲み物さえ
与えることは出来ず
自販機でジュースを買ってみんなに配るのが最大の楽しみだった夫は
それさえも出来なくなった
ただ、私のことも、娘のことも
忘れてはいない、と思う
病院から外部の診療所に行くときに
付き添うと、その車中、ずっと楽しそうに
娘と会話しているが
面会になると長くて10分も持たない
訪ねてきた人に気を使っている
という感じでもある
問題は夫の介護なのだが
私の介護を完全に拒絶して
特に真夜中には無理に行うと
死にたいと言って泣き出す
前回も書いたと思うが
認知症とは
メンタルクリニックで検査するのだから
精神疾患と一つだと思う
なのに
家族や施設の人が介護の為の拘束をすると
虐待と認識される
時には強く抗い、職員に傷を負わせることも
家族なら諦めて甘んじることは出来るが
介護施設の人は、それを職業としている訳で
夫のように妹の急逝により記憶障害を起こし
認知機能が衰えて
それでも自身のプライドを保って
介護を拒絶する入所者を看るというのは
看る側の人にとっての
人権蹂躙のようにも思える
何もかも忘れて
成すがままにされている人と
自分自身の中の
プライドというものが消えない人と
もし、夫が何かの折に正常な精神に戻ったとしたら
夫はそれをどんな気持ちで
受け入れているのか
恐らくあと五年もすれば、介護施設の大半は入所者が減少してくると思うが
それ以前に、認知症の人の精神疾患の部分について、精神科医の指示のもとに拘束という形が取れるようになれば
家族でも介護することが可能になり
地域のケアサービスの力を借りて
自宅で介護出来るようになるのではと思う
私は今、どうすれば自宅で、私の力で
夫を介護出来るのかを悩んでいる
人間が何処から来て、何処へ還るのか。
幸せとは。生きるとは。
この全てを、自分の外に求めているうちは、永遠に答えは出ないだろう、と
青い鳥は告げている。
この答えを自分の内なる場所に求めて
果たしてその答えは出るのだろうか
震災の時に、甚大な被災地からの避難者を
数か月も自宅で面倒をみて、結局手遅れで
亡くなった義妹の葬儀には、その避難者の
誰一人葬儀に来てはいなかった
しかし、義妹が被災者の人達に葬儀の席で
感謝されることを望んでいたかは分からない
そして施設にいる夫が不幸であるかも
分からない
確かに、結局、
人間が何処から来て、何処へ還るのか。
幸せとは。生きるとは。
この全てを、自分の外に求めているうちは、
永遠に答えは出ないだろう