恋人の日 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

これは昨年の6月12日に書いたブラジルでのお話

縁結びの聖人アントニウスの命日ということで

この日に恋人同士の写真を撮り、額縁入れて飾り

それを知った日本の全国額縁組合連合会が1988年に

この日を恋人の日としたのだとか

 

額縁と恋人と言えば

その昔、日本には写真の花嫁というものが有った

 

実際に知っているわけでは無く、本で読んだだけなのだが

 

写真を額に入れて、移民していった人の元に届けて

相手が気に入ればお嫁に行く

 

過去のブログを読み返しながら

先日、ブラジルに秋篠宮嗣太子殿下の内親王が赴かれたという

ニュースを聞いて、ずっと昔に横浜の港から移民船に乗って

移住していった新婚カップルのことを思い出した

 

私が小学二年生の頃だったと思う

 

港の見える丘公園から望む桟橋の船から

煙が上がると出航の時刻と分かり

見送るためにムジナ坂という細い坂を駆け下り

山下橋を渡り、大桟橋に向かう

 

そこでは多くの人が色とりどりのテープで

別れを惜しむ姿がある

 

一年生になり、病気の後遺症で足が曲がり

走れない私は、既に公園になった丘に行くこともなく

嘗てそこまでが波止場だった名残の

石と鉄の棒の欄干に腰を掛けていると

 

若い男女がカメラを持って日本にの思い出にと

写真を撮ってくれと話しかけてくる

 

結婚して、新居を構えて、ちゃぶ台が一つ

夕方には近くの店まで夫と二人で買い物に行き

それが私の新婚夫婦の想像図だった

 

しかし、1950年代の終わりから

1960年代半ばまで、大学は出たけれど

と言われるほどの就職難で有り、その為に日本では

移民政策というものが取られていて

 

この移民船が最後に出航したのは1973年

オイルショックの1年前

 

この移民政策が始まったのは1908年

 

明治41年のこと

この年には

日本の至る所で自然災害が有ったと書かれている

 

またこの当時は移住ではなく

珈琲園などでの労働が目的だったそうだ

しかし、不慣れなうえに隷属的な労働を強いられて

多くの人が逃亡を図ったとか

 


移民は、明治22に年に奈良県の十津川村が水害により

新しい生活の場を北海道に求めて集団で移動したとあったが

ブラジルにもまた村単位で移住する人が多くいたそうだ

 

第二次世界大戦に日本国民が加担した一番の理由は

寒い国での冷害による不作で、尚且つ都会には

今でいうホームレスが増えて行き

日本国内だけでは雇用の創出が出来なくなり

満州国を建て、八紘一宇政策でアジアの国々を支配し

 

それは全て国民を飢えから救う手立て

 

その為に多くの知識人を向かわせて

その国のインフラを整える

 

相手国に対して

悪いことをしているなどという気持ちは

微塵もない

寧ろ感謝されるべきと

 

犯罪でいえば確信犯だろうか

 

国民の総意でその状況を受け入れ

反政府的な新聞でさえ、第二次世界大戦という

末期の状態になると、国民を鼓舞するような記事を載せ

歌い手もまた、父よあなたは強かった、と

 

その頃は自由恋愛というものも

男女が並んで歩くことも禁じられて

 

テレビで放送されるような

女性が出征兵士を案じるような仕草をすれば

当時の市民警察から非国民という烙印が捺される

 

今は全てにおいて個人の自由だけれど

その自由がない世界が一つだけある

 

一族の長に認められない結婚をするときには

その一族と決別する

 

それは皇籍離脱で有り

一般の社会に皇籍から降下することであり

 

昭和の時代に宮家の内親王が自由恋愛をして

父親である宮様から皇籍離脱を逼られ

今は牛乳配達の人と暮らしているという記事を

週刊誌で読んだが

その人は

ご自身が亡くなられたとしても

皇族では何も報じないだろうと話していた

 

自由に人を愛するにはそれだけの覚悟がいるという

 

一方で長に認められて一族に祝福されて

一般市民に嫁ぐことで皇籍を抹消することを

臣籍降下というそうだ

 

その場合は、一族の公式行事にも参列し

生まれたお子さんもその一族の一員と見なされる

 

それでも、長となられた人の内親王が一般人に嫁ぐと

たとえ命に係わる病に罹ろうとも

長の元に帰ることは出来ない

 

そればかりでなく、たとえ成人していなくても

長になられた方の

お住まいに同居することは許されない

 

嘗て昭和天皇のお子さんが

余命いくばくもない状態の時に

昭和天皇はお見舞いに行くことも

お住まいに住まわせることも

認められず

降下した宮家の一つに滞在をさせて

病院に様子を見に行く

それさえもあるまじきことと

週刊誌で批判されていた

 

自分から望んだわけでなく

生まれた家がそうであって

そのシキタリに沿って生きている

それだけで有りながら

自由に恋愛し

自由に暮らす為には多くのことを諦める

 

このことを書きながら

山下公園の表通りでカメラの前

微妙な距離を開けて立っていた二人の男女のことを思い出し

胸が痛んだ

 

見合いして結婚して、同時に移民船に乗り

それまでは見知らぬ同士だった二人だけで

生活の為に見知らぬ国に行く船に乗る

 

自由に人を愛し、結婚し、住み慣れた国で家庭を持つ

当たり前のことが

本当はとても幸せな事なのかもしれない

 

中学生の頃

恋とは感情であり、愛とは行動である、と

ちょっと得意気に語っていた先輩がいたが

 

人生を顧みると、確かに恋とは己の気持ちの中にあり

愛というものは人だけではない多くの対象に向かっている

 

因みに中国では7月7日が恋人の日であり

スペインでは4月23日なのだとか