THE BORROWERS | ミナミのブログ

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スタジオジブリの新作は、床下の小人たちを基にしたアニメだそうですね。

 

私がこの本を手にしたのは中学生のときです。

 

それよりずっと前に本棚に有ったようで、果物の柄の包装紙がカバーになっていました。

 

思えば、指貫とか、糸巻きとかが

なくなると、母が悪戯っぽい顔で、

床下の住人が持ってったかもね。と笑っていた事がありましたので、

この本はたぶん、母が姉に買って上げたのではないかと思います。

 

その本に興味を持ったのは、それを手に取った訳ではなく

学校で、英語の教師から

 

THE BORROWERSという題名の本を見せられたからです。

 

 

ずっと思ってるんですけど

英語の本は何故にあんなに文字を詰め込んでしまうんでしょう。

 

乱視で堪え性のない私は、興味があっていろんな本を買うのですけど

 

あの文字の羅列を見るたんびに一時挫折します。

読み切るには数年掛かったりします。

 

30年位前に新聞で読んだ亜米利加人の識字率の低さを驚いた一方で、

 

あれは文字を詰め過ぎるのが原因ではって、本気で思ったほどです。

 

だから日本のアニメが好かれるかも、というのも、本気で思ってます。

 

ということで、THE BORROWERSの方は、殆どパラパラって読んで、

 

初回はそれで終わってしまったんですけど、先生から、日本語の本があると教えられて、

 

母に話すと、出してくれたのが、果物の包装紙でカバーされた、床下の小人たちでした。

 

私は小学一年のとき、怪我が原因で人事不省という状態になり、三ヶ月が過ぎた頃、

 

医師からこれ以上の延命は出来ないと宣言されて。

 

不思議なのですけど、その宣言はちゃんと聴こえているんです。

また、私を見守っている先生や母の顔も認識出来るんです。

 

先生が生命維持装置を外して、点滴を外すと、

 

私は小さな舟で川を渡り、岸辺に着くと、

髷を結い、尻っぱしょいをしたお侍さんの格好をした人が

私の手を引いて歩き出したのですが

 

母の声で私が振り返ると

その人から、お母さんが心配しているから帰りなさい、と言われて、

返って来たわけです。

 

その所為なのか、デジャブ的な体験は数え切れないほどであったり、

また、霊的な経験もあったり、いろいろと忙しいです。

 

入院中、蘇生してから一年ほどベッドの中だけで暮らしたのですけど、

 

自分が行ったことのない場面を空から眺めているという経験をし、

 

当時の看護婦さんにその話をすると

確かにそんな風になっているから、幽体離脱したのかもね、

 

と、アッサリ言われた事があります。

 

この幽体離脱は、小学校を卒業する頃出来なくなりました。

 

というわけで、私には、小人の世界が小説の中のこととは思えなかったのです。

 

なので、夜中に、畳に耳をつけて床下の音を聴いてカサカサという音を聴くと、

 

あれは彼らの移動の音だなんて思って

今度は、自分の空想の中で彼の世界を広げてみたり。

 

このお話は当時流行った十五少年漂流記や

海底二万哩などの冒険小説の女の子版のようなもので、

その冒険には、続きがあります。

 

人と出会ってしまった床下の小人たちは、床下を出て、野に出た小人たちになり、

 

薬缶に乗って川をくだる小人たちなり、人間に捕らえられた屋根裏部屋から、

 

気球で空を飛ぶ小人たちになり、

 

そして、小人たちの新しい家に落ち着くわけです。

 

 

小人たちが新しい家を見つけたのを知ったのは、空を飛んでから何年も経った、

 

石川町駅南口の並びにある本屋さんでした。

 

私が二児の母になってからで

ああこれで、少女の冒険は終わったんだなあって思ったものです。

 

五冊の本は、今は娘の本棚の隅に、ひっそりと並んでいます。

 

ジブリのアニメ、私はたぶん見ないと思います。

 

別に見る年じゃないってわけでなくって

私の世界の小人たちが消えてしまいそうだからです。

 

先にアニメを見て、原作を読むというのは、楽しいかもしれません。

 

Borrowerという言葉には、借りる人、というのと

剽窃者という意味があるそうです。

 

私は、どちらかというと、彼らは剽窃者に近いと思います。

 

それはこんなにも人の心を盗む小人たち だからです。

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英語の本で思い出したが、嘗て 風と共に去りぬ の続編の

SCARLETTという本が出て、割と根気よく読んで

結局読まなければ良かったと思った

 

一方で、英語の文章はまるで俳句のように、書き手が連ねた言葉に

読み手が色を染めていくのだということを知った

 

不思議なことに、学校で文法を習った私と違い、旅先で言葉を覚えた夫は

英字の新聞を丁寧に読んで、その時の世界情勢について教えてくれて

身体に染みついた知識はどんな学問より奥深いことを実感した