大原女 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

2003/06/07 (Sat) 横濱俳句倶楽ほのぼのとから

今日は、京都で、1500年に、應仁の乱で中断していた

祇園会の山鉾巡行が33年ぶりに復活した日なのだそうだ。

京都のお祭りといえば、祇園会の他に、時代祭と葵祭がある。

そして、この三つを合わせて、京都三大祭といわれる。

葵祭は五月に上賀茂神社(賀茂別雷神社)と

下鴨神社(賀茂御祖神社)との例祭であり、

祇園会は七月に、京都の人々の疫病を払うために八坂神社が行っているお祭で、

分けても、宵山の山鉾巡行は祇園囃子のコンチキチンも手伝って

それは煌びやかなのだ。

時代祭は、延暦13年(794)に平安京が制定されてから1100年目の

明治28年(1895)に

平安遷都を記念して平安神宮が建立されたことへのお祝いのパレードだ。

今から35年ほど前横浜の中学生は、石川町駅から横浜線で新横浜まで行き

グリーンと白の新幹線に乗って、京都の町へ行った。

隣の車両には一般のお客さんが乗っているから迷惑をかけないように。

そんな諸注意と、時には、何人かの生徒が先生からの鉄拳を何度か受けながら

京都に着いた。

手書きのパンフレットに添って、観光をしている私達

制服の一団の脇を、大原女が一人、花を入れた籠を頭に乗せて通り過ぎた。

それが私の中の、京都の原風景。


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高校の修学旅行は京都、奈良、滋賀、大阪、愛知、と巡る八泊の長旅で

その旅の途中の新幹線の中で校長先生に私の伯父との関係を聞かされて

伯母への土産と言って五色豆を渡されて

とても複雑な思いで帰宅したことを思い出す

 

私の伯母は色が白くて、背が高くて、子どもでも美しいと思える人だった

 

母に言わせると、伯母は東京で生まれたから生まれつき可愛かったのだとか

 

以前ブログにも載せた事のある関東大震災の後に

たぶん当時の麒麟麦酒の工場の瓦礫の中で写したのだろう

伯母の幼い頃の写真を見ると、確かにお人形のように可愛い顔をしていた

 

美しいと言えば私の次姉は中学生の頃、近所の人から

当時キューポラの街という映画に出ていた吉永小百合さんに似ていると言われていた

 

それ故の美人が必須条件のお寿司屋さんに嫁いだのだが

その店に母が友人を連れて行くと必ずのように次姉ちゃんはお父さんに似たのね

お父さんに似て良かったわねと言われると、毎回怒って帰宅していたが

 

小学校に入った時はあいのこと揶揄われ、

大人になってタクシーを止めて、いざ乗ろうとすると、英語ノーと乗車拒否され

免許証書き換えに行った警察署の窓口でOverstay?と問われ

成田空港ではいろいろな言語で話しかけておきながら

何語なら通じるんだと空港警備員に軽く切れられ

 

行った外国ではエレベーターの中で知らないおじさんから

なんで日本人はあんなに無口なのだろうと悩みを打ち明けられて

 

挙句アリゾナの人から日本についてのレクチャーを受けた私は

いったい誰に似たというのだろうかと思うが

実際は私は父にそっくりだと言われているので

たぶん次姉は父の、元島津家から輿入れした祖母に似たのだろうと思う

 

父に似て美人と言われたと毎回怒りの言葉を発していた母に

それは妻の欲目ですよと、今なら言える