鳳仙花」 | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

 2003/06/09 (Mon) 横濱俳句倶楽部ほのぼのとから

今日は、横浜横須賀道路を通って

外国からの要人が何処かへお出かけするそうで、規制されておりましたし

我が家の上空にも、ヘリコプターがかなり飛んでいました。

今、お隣の国から大統領がお見えになっている。

この国に、鳳仙花、という題名の歌がある。

1920年に作られた歌だそうだ。

私はこの歌の持つ旋律が好きで

行きつけのお店にいらしたこの国の方に良く歌って頂いた。

鳳仙花の花の移ろいを季節の訪れと

時の流れの美しさと儚さに擬えて詠った歌だが

実は、運動家が国を滅ぼされた民族の復興を鳳仙花に託して歌ったものだそうだ。

この歌は、1940年代には日本の警察から歌唱禁止令が出されたという。

国を侵略されても、その権力に屈しても、じっと耐えて

いつかまた、鳳仙花の花のように、その種を四方にはじき出し、

美しい花を咲かせるという

この歌に意志の強さを見せられたような気がする。

鳳仙花の花は、その昔、爪を染めるのに用いたことから

爪紅(つまくれなゐ)とも言われる。

もともとは、インドが原産で

中国では、花の形から、鳳凰と仙人とをあわせて、鳳仙華と呼ぶそうだ。

英名は、触れただけで種が飛び散ることから、touch me notと言われるそうだ。

俳句の世界では、鳳仙花のほかに、つまべに、つまぐれ、つまくれない

染指草として、秋の季語としている。

 

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この当時見えられた大統領はその六年後に

非業の死を遂げられたというニュースを聞いた

 

伯父が政治に関わっていたことで

幼い頃から多くの政治家を間近で見てきた

 

母は伯父に頼まれて当時の総理の選挙活動の応援に行った

総理はその演説中に体調を崩され

 

最後の姿をたまたま母がカメラで写したことで

写真を譲って欲しいという電話を当時の衆議院議員から秘書を通じて頂いた

 

見えたのは衆議院議員の奥さんで

その方の息子さんは同じように政治家を目指したのだが

自分の秘書に地盤を取られ、他の政党に移ったが、結局後ろ盾を得られず

直ぐに引退し地元に帰って行った

 

その話を伝え聞いて

私が子どもの頃、私より幼い子が議員である父親と共に伯父の家に来ていて

政治家の家に生まれた子、と伯父たちが話しているのを見て

自分の生きる道を自由に選べない子というものを

ぼんやりと眺めていたことを思い出した

 

そういえば、私を成田に誘った青年も将来は政治家になると話していたのだが

その夢は果たさずに終わるらしい

なんて書くと、touch me notと言われそうだが