ライラック | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

2003/06/01 (Sun)横濱俳句俱楽部のほのぼのとから

 

和名をむらさきはしどい(紫丁香花)というこの花は

中国では丁香紫、英名をライラック、フランスの名を、リラという

 

フランスで「リラの花咲く頃」といえば

一年中で一番気候の良い時期のことをいう。

 

漢名の紫丁香花とは、花が薄紫であり

香りがスパイスのクローヴ(丁香)に似ているからだそうだ。

 

名前の流れとして、ペルシャ語のニラッグが

アラビア語でライラックとなり、スペインへ、

そしてフランスに伝わってリラになっていったと見られる。

 

ペルシャ語のニルは青、ニラッグは青っぽいということで

サンスクリット語のニラ(暗青色)にも繋がるという。

 

学名のSyringaはラテン語のシュリンクス(管、笛)

そして、ギリシャ語のパイプという意味、という説があるように

笛を作る材料になるそうだ。

 

この花の美しさから、12世紀には、

すでにイランで絵の中に描かれえているそうだが

その後も、モネやルノアールたち印象派の画家によって描かれている。

 

そしてまた、多くの文豪や詩人の作品の中にも彩を添えている。

 

日本でもまた、明治の中ごろに観賞用として持ち込まれてから

多くの文人達が作品の中に用いている。

 

俳句の世界にも、リラ冷え、という言葉がある。

 

これは、札幌の俳人、榛谷美枝子が戦時中

疎開先から札幌の街に出たときに

ライラックの咲く道を歩きながら生み出した言葉だという。

 

彼女は昭和35年の作品に、

 

リラ冷えや睡眠剤はまだ効きて

 

というものを作っている。

 

ライラックは、視点に訴える部分では

美しく開放的であるのだが、一旦、人の心に取り入れると

鬱々とした想いを生み出していく、不思議な花でもある。

 

渡辺淳一郎は、その気持ちを吐露するかのように

リラ冷えの街、という小説によって、不成就の愛を綴っている。

 

私にとってのライラックは、ある女性の匂いだ。

 

高校二年の春だったと思う

元町の出口の横浜銀行の並び辺りに、元町で初めての、ビルが建った。

 

お店の名前は、三愛。

 

そこに売られていたのは、レモンライムの香の香水。

 

女子高生はこぞってその匂いをカバンの中に満ち溢れさせた。

 

もちろん私も例外ではなかった。

 

独りだけ、そんな状況に参加しない同級生がいた。

 

彼女は、しかし、夏休みを待つことなく、誰にも見送られることもなく

突然、学校を辞めてしまった。

 

父親が事業に失敗し、自死した為

巷の、夜の街へ働きに出たことを情報通の同級生に知らされたのは

それから間もなくの事だった。

 

何年か後に、電車の中で彼女と再会した。

 

とても甘い匂いのする彼女に、何の香水をつけているのかと聞くと

石鹸のヘリオトロープの匂いでしょう、と言った。

 

私はそれを勝手にライラックと合点していた。

 

肌白の顔に、黒い瞳の美しい彼女を見ていると

夏服の彼女が爽やかな声で朗読していた国語の時間を思い出した。

 

電車に揺られながら、そんなことを思い、彼女を見ていると

口元に小さく微笑を浮かべて、小首を傾げた。

 

私はそのとき、薄幸の美少女とは、この人のためにある言葉だと思った。

 

今でも、ライラックの花を観ると

あのときの友人の憂いを秘めた瞳を思い出すのは

彼女の心がこの花に反映するからなのだろうか。

 

俳句では、ライラックは、リラの花、紫丁香花として春の季語となっている。

 

別名に、蘇芳木、というものもある。

 

因みに、イギリスには、若い男が乙女の純潔を踏みにじり

乙女は傷心のあまり自殺してしまったのだが

彼女の魂を癒すためにそこに植えられたライラックの花が

一夜にして真っ白な花になった、という伝説から

ライラックを身に着ける女性は、結婚指輪を着けることはない

という諺があって、片恋の花とされているそうだから、

好きな女性には送らないほうが良いかもしれない。

 

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本牧通りの先に財務省の土地があり、そこで映画の撮影がされていた

ブルーシートで囲まれた建物をフェンスの間から見ると

古い商店街のようで

その中の建物に書かれていた看板を後で映画館で見た

東京タワーが出来るころのある商店街の話

 

そのフェンスの脇に見事なライラックの花が咲いていて

とても甘い香りを漂わせていたのに、一夜にして消えていた

 

花盗人だったのか、単に道路を整備するために抜かれたのかは分からないが

抜いた人に花心が無いのだけは確かだと思う

 

それからかなりの年数が過ぎているが

未だにあれほどに咲き誇ったライラックを見ることは無い

 

たぶんあるのかも知れないが、記憶という色彩が加味されているから

そう思えるのだろう

 

元町に三愛が出来た時に初めてタルカムパウダーを知り

その檸檬の香りが嬉しくて、大人になってからも愛用していた

 

そういえば、高校を卒業し、東京銀座の出版社に行ったときに

銀座の街に三愛を見つけて、すごく感動したのを思い出した

 

馬鹿らしいほど大きいジャンボコーム

アルファルファーが飲まされる

蓖麻子油の入れ物のような瓶のレモンライムの香水

元町のフクゾーで買った襟巻

そして黒いコインシューズ

少しだけ薄くした学生カバン

 

当時の女子高生の必須アイテムだったっけ

 

リラの花咲くころバルセロナにと歌ったグループは

当時、視聴率の低迷した歌番組のディレクターに懇願されて

五年間もレギュラーを勤めたのだが

その始まりが今の結末になるとは、当時は誰も想像もつかなかったことだろう

 

時の流れとは、たぶん、そんなものなのかの知れない

 

向こうお山を猿がゆく

さきのお猿が物知らず

あとのお猿も物知らず

なかのお猿が賢くて

山の畑に実を蒔いた

 

花が開いて実が生れば

二つの猿は帰り来て

一つのこらずとりつくり

種をば蒔いた伴の名は

忘れてついぞ思ひ出ぬ

=薄田泣菫=