ガーベラ | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

■ 2003/06/03 (Tue)横濱俳句倶楽部ほのぼのとから


我が家の娘は無類の人見知りで、幼稚園から小学校へ進学したとき

当時の担任に慣れるまで、大変な苦労をした。

特に担任が嫌いなわけではなく

家に帰ると、いろいろな話をしてくれた中に

担任の好きな花、というものが出てきた。

それがガーベラの花だった。

担任と私は連絡を取り合って、ある朝、その花を娘に持たせ

それを受け取られた担任が娘にその花の名を聞き

言葉の交流を図る、という案を出し合った。

そして、決行した。

先生から花の名前を聞かれたら、ちゃんと教えてあげるのよ

そういうと、娘は懸命に花の名前を復唱した。

そして、当日、娘は花の名前を口ずさみながら

ガーベラの花束と一緒に学校へ行った。

通学路の途中には、娘とは正反対の、とても積極的なお嬢さんがいた。

彼女は、誰に対しても物怖じすることなく、とても明るい子だ。

その子は娘の持っている花に興味があったようで

なんという名前か、娘に聞いていた。

娘が学校へ着き、その花を花瓶に入れ、そこに先生が来ると

そのお嬢さんが飛び出してきて、先生にその花の名前を教えたという。

そんな話を聞いて、私が小学生の頃のご近所のおばさんの話を思い出した。

昭和30年代の、山手の小学校の夏休みの製作物、は、金、銀、銅、の賞を受け

尚且つ、秋の展覧会に飾られて、全てのご父兄にお披露目されるという

一大イベント的なものがあった。

そのおばさんも、我が子かわいさに、夏休みの宿題を

近所の大学生に頼んで作ってもらったのだが

肝心なおばさんの息子さんは、同級生の、重たいだろう、持ってやるよ

という優しい言葉に甘えて持たせてしまったのが運の尽きのように

その宿題は、そのまま、持っていった人が先生に提出し

その彼の作品として

金賞の文字も素晴しく一番目立つところに飾られていたそうだ。

あれから40年経った今でも、おばさんは忌々しそうにその思い出話をする。

ガーベラのほうは、その後、フリージアや、スイトピー、と

品物を変えても、全て、その、お嬢さんが積極的に答えて下さった。

そして、娘の方は、やがてしっかり馴染んでいって

六月を過ぎたあたりから、花束は必要なくなっていた。

数年前、娘にその話をすると

○○ちゃん、とっても嬉しそうに答えていたよ

と、本人も嬉しそうに言っていた。

もしかすると、大人の思惑は思い切り徒労だったのかもしれない

と、そのとき思った。

ガーベラは、和名を、千本槍、花車、というそうだ。

そして、英名はAfrican daisy。

これはドイツの自然科学者、ガーベルが

アフリカの蒲公英を改良して作ったことに由来するそうだ。

ガーベラが、この彼の名から来たということは容易に想像出来る。

俳句では、ガーベラは、夏の季語になっている。

別名に、阿蘭陀石竹、麝香撫子、などがある。

日本に入ってきたのは明治の終わり頃のことだそうだ。

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花と言えば福島に住む甥はミントや食用の花を育てている

Instagramにその花たちが載せられているが、いざ作って売るとなると

相当な努力がいるようで

 

最近は庭に花を植えているせいか、あまり店屋で買うことが無くなった

花屋の店先に並ぶ花たちにも作り人の思いが垣間見えて

売られることなくまとめて店の隅のバケツの中に入っている花たちが

一層愛おしく見えてくる