見返り | ミナミのブログ

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のんびり、、まったり

一昨年、足を怪我して動けなくなった夫に、嘗ての旅の話を聞きだしている時

自分の母について、普通、生前に世話になったら、夢にでも表れて

お礼を言ってくれそうだけど、というと、そんなのは物語の中だけだよと笑っていた

 

お地蔵さんに食べ物をお供えしても、実際にはかさこ地蔵など来ないのと同じだと

 

元々料理や片付けが下手だった母は父と再び暮らすまで

出かけるときに台所にキャベツを丸ごと置いていくという人だった

 

おやつには不二家の赤い箱や塩豆を買ってくれていて、絵本もたくさんあったので

貧しいわけでは無かったと思うのだが、父たちと一緒になっても

母が作るのは自家製のたらこのふりかけのおにぎりと

きんぴらくらいしか思い出せない

 

煮物も、揚げ物も、下の姉が常に作り、家の窓が常に磨き上げられていたのも

庭にゴミ一つなかったのも、その姉の掃除が行き届いていたからだと思う

 

母は、縫物と編み物、そして習字は上手で、それだけは今も敵わないと思っているが

 

母は兄が結婚するにあたり、舅と姑が同居してはお嫁さんが可哀想だという

姑の鏡みたいな心がけで、息子でない夫が建てた家に、父と越してきたいと言ってきた

 

即座に承諾した夫に、父を連れてくると言って帰った週末に、父は急逝し

我が家に来ることは無かった

 

その代わりに母が暮らす我が家に母の二人の娘が

それぞれの休みに連れ合いと子どもを連れて、時には子どもとだけでやって来て

昼と夜を食べて、時には子どもを我が家において買い物に出かけていた

 

姉たちには母のいるところが実家だからという、

うっかり聞いているともっともだという名目で

自分たちは昼寝しながら、子どもを母に預けて

汚れたオムツは我が家の洗濯物の上に置いて帰っていた

 

ならば母がいなければ良いのだと閃いた私は母に団体旅行を薦めて

母は一人で、時には私の息子を連れて、いろいろな県に出かけて行った

 

北は北海道から南は沖縄まで出かけ、飽きたのか次は海外に行くと言い出し

息子を連れて行くために自分だけでは心もとないから、私の姉を連れて行くと言い

姉たちは娘も連れて行きたいと言い

 

母が持っていく小遣いも母が言う、事務所の手伝いをした給与

という名目で渡していたお金で賄っていたが

実際は特に何もしていない、ただ同居しているだけの母に支払う給与などなく

夫の報酬から支払われていたのだが

 

私は自分の母にだけそんなふうに支払うのが申し訳なくて、夫の母にも

同様に送っていた

 

夫の母は亡くなる数年前に仏壇の引き出しから

私が送っていた現金書留の袋の束をだして

気の毒なくらいの言葉で感謝を伝えてくれて

 

なのに私の母や姉たちときたら、と話す私に

見返りを求めず施すというのは

高い場所から低い場所に水を流すのと同じようなもの

相手は案外見下されているように思っていたかもしれないという

 

それを聞いて、私は夫は本当に認知症なのだろうかと思った

 

同時に、そうか、自分が優位な立場にいると思ったからお金を出していたのか、と

物凄く納得した

 

確かに世の中には無い袖は振れないという格言がある

 

勝手に施しておいて、相手が恩を感じないというのは

確かに姉たちを下に見ていたと改めて自覚した

 

今更ながら申し訳ないと思う六月一日の午後

 

今月は母が亡くなった月