百合 | ミナミのブログ

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 2003/05/27 横濱俳句倶楽部のほのぼのとから 


神奈川県の花は山百合。

山百合は、別名、吉野百合、叡山百合、鳳来寺百合というそうだ。

吉野は奈良であり、叡山は京都であり、鳳来寺は愛知の山のこと。

これらに共通しているのは、杉の木立の美しい山であり、

山岳密教の盛んな山であるということだ。

神奈川県にも、大山や丹沢、そして箱根などには杉木立も多く、

特に春先には、花粉症の人を悩ませているが、

山百合は、そのような場所に限らず、

少し自然の豊かなところに行けばどこででも見られた花である。

横浜に関しては、高度成長期に、丘陵や、雑木林が覆されて、

住宅地にされていく中で、その自然と共に、人の傍から遠のいて行ってしまったが、

それでも、自然公園などの中や、畑の脇の藪に、今でも見つけることか出来る。

嘗て書いたかもしれないが、私がこの花を初めて見たのは、

中学の課外授業で、緑区の中山に行った、中学二年生のときだ。

体操服着用ということで、真っ白な体操着にトレパンをはいて、

石川町駅北口に集合し、小豆色の横浜線に乗り、

中山駅に着くと、

そこには、当時の私には想像も出来ないような、豊かな自然があった。

私の育った場所の自然といえば、せいぜい港の見える丘であり、

フランス山の中くらいであり、

遠足で湘南バイパスまでの道を通ったときに

バスの中から見た田園風景くらいなものであったから、

駅を降りて直ぐに、土の道が続いていること、

そしてその先に木立があることに感激した。

今から思うと、多分当時の教師の知人の田んぼであったのだろう、

そこの脇に流れる用水路に入り、いろいろな昆虫や魚を捕り、観察した。

そして、帰る道で、少し小高い場所にこの山百合が群生していたのだ。
その花に見とれていると、先生に歩くように促された。
暫くして、先生が慌てて、休憩を命じた。一人足りないという。

すると、一人、物凄い勢いで走って来た。
その子は、リックサックに山百合を摘んで帰ってきたのだ。
そして、私にその中の一輪をくれた。

誠に申し訳ないが、彼の名前も、お顔も、

そして、私に百合をくれた理由も、思い出せないが、

私の手元と、彼のリックで揺れていた百合の、

噎せ返るような匂いだけはしっかりと覚えている。

百合の名の由来は、

その花の揺れるさまの美しさをあらわしているそうだが、

私も、さもありなんと思う。

ギリシャ神話では女神ヘラの乳から生まれたとされ、

イタリアの宗教画家サンドロ・ボッティチェリは「受胎告知」の中で、

マリヤの受胎告知を告げる、大天使ガブリエルに百合の花を持たせていることから、

キリスト教では聖母マリアの花とされているそうだ。

そしてケルト語で白い花、という意味をもつそうだ。

江戸から明治へかけての維新の頃の都々逸に

「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」というものが有るが

「三千世界の烏を殺し主と朝寝がしてみたい」

などと一緒にしては、百合の花に申し訳ない気がしないでもない。

俳句の季語では、夏にしており、日本古来のものだけでも、二十以上ある。

その中で、鬼百合は

仏像の上にある天蓋のように下に向いて開いているので天蓋百合ともいわれるそうだ。

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この遠足当時の山百合が忘れられず、この地に移ってから

近くの植栽の店で球根を買って来て庭に植えたところが、認知症を発症した夫は

突然優秀な庭師と変貌し、庭に生えた草は一つ残らず、丁寧に刈り取ってしまうため

芽が出ると奇麗に摘まれてしまって、花を見ることなく過ぎていた

 

夫が施設に入って丁度一年過ぎた昨日

あえて手入れをせずにいろいろな野草を植えている緑に埋もれた中に

真っ白な蕾を見つけた

今年はあの懐かしい山百合にもうすぐ出会えそうだ

 

当時庭師と化した夫の話を知人にしたところ、知人のご家族も認知症を発症した後

庭の花の芽を全て摘んでしまい、生乾きの洗濯物を畳んでしまうのだとか

 

その知人が思うに、記憶が薄れていることの恐怖感と、家族の役に立ちたいという思いが

そうさせているのでは、と聞いてからは、夫の行動は家族への感謝と受け取り

そっと見守ることにした

 

思えば夫の世代は、働きなさいと育てられ、休みたいとか遊びたいとか

そんなことを思うならしね、といわれた時代

 

私自身も、働くとは人が動くと書き、はたが楽になるという意味と教えられた

 

夫の世代にとってその働くことが出来るというのが一番幸せな時間かも知れない