戦争と平和 | ミナミのブログ

ミナミのブログ

のんびり、、まったり

アフガニスタンでの夫の思い出にバーミヤン渓谷の遺跡があります。

 

カブールから200キロ近くあるそうで

 

夫が訪れた二年後

現上皇皇后陛下が皇太子殿下、妃殿下で有った時に訪れたことで

その傷みを懸念した日本の研究家たちが修復に努めたのですが

2001年タリバンにより破壊されて、その様子をテレビで見た夫は

長い間先人が守ったものを簡単に壊してしまうんだな、と、一言だけ。

 

第二次世界大戦が終わり、敗戦国であった日本も世界的に復帰出来

多くの若者が世界に旅立ってから

今でもどこかの国で紛争があり

その紛争で貧しい思いをする子どもたちが生まれる。

 

丁度この頃、モンゴルのマンホールチルドレンがテレビで報じられて

いつになったら世界中の子どもが幸せに暮らせるのだろうと

空しい気持ちになったものです。

 

================================

このブログを書いた時点でどちらも友好的で有った国同士が戦争をしていて

今も、今、泥沼のような世界が展開されている

 

そしてまたこのカイバル峠周辺でも戦争が懸念されている

 

私が生まれる10年にも満たない時代に日本では戦争をしていて

戦後70年以上の月日が流れても、日本の各地の古い駅には

銃痕が今でも刻まれたままになっているという

 

横浜でも鶴見線の駅の一つに残っている

 

今の人達には想像のつかない、空から爆弾や銃撃を受けるという日々

 

母の記憶では、3月20日の大空襲の数日後、いつも通りに麦田のトンネルを抜けて

今の中華街の外れの女学校に登校したのだそうだが

その途中の掘割から大人たちが竿で遺体を拾い上げて荷車に積んでいる様子を見たそうだ

 

それを見た母は何の感情も沸かなかったと話していた

 

人間は自分で制御出来る限界を超えると、感情を殺してしまう

そうしなければ生きていくことが出来ないから

 

これは後年、通信で心理学を学んだ時に学んだ言葉

 

母に限らず多くの人が感情を殺し

そうやって戦争の傷跡から日本の国の復興の為に全力を尽くしてきたのだろう

 

最近、昭和の時代は良かったという言葉をよく目にするが

それはたぶん、幸せの価値観が人それぞれに違ってくるからの

孤独感なんだろうと思う

 

仕事に喜びを感じる 誰かの役に立つことに喜びを感じる

 

その根底には、ようやく手に入れた平和という共通の喜びと

平和を守るという共通の使命があったものが

今の幸福はお金に換算されてしまう

 

昭和、平成初期の起業家が共通に掲げていた理念は

自社の利益で人が幸せになることだったけれど

今は個人がどれだけ利益を上げるかに変わって来ている

 

この何十年か先の若者はどんなことに喜びを感じるのか

過去になった令和をどんなふうに思うのか

 

月日は百代の過客にして、行き交ふ年もまた旅人なり

とは、松尾芭蕉の言葉

 

地球の歴史に比べれば人の生き様など旅の船で微睡むほどの時間に過ぎない、か