2004/07/08 (Thu) 会社のHOMEPAGE管理人室の文章から
インド アフガニスタン パキスタン イラン そしてトルコ、と
徒歩で、時には、バス、そして、驢馬の引く馬車に乗り
夫はヨーロッパを目指したそうです。
途中、アフガニスタンでは、人が往復している路上で
射的をさせる商売をしている人がいて、夫にも一度撃ってみろ、と誘われたそうです。
単発式の猟銃で、もちろん、弾は、実弾で、狙うのは、風船だったそうです。
夫は、一度だけ撃ったそうですが、風船には当たらなかったとか。
風船のみならず、周りを歩いている通行人にも当たらなくて良かったと思います。
その薬莢をひろいにいくのは10歳に満たない少年だったそうです。
また、この辺りになると、中味が真っ赤な、ブラットオレンジという、
イタリアのオレンジが売られていたそうです。
イランでは、貯水池で泳ぐより性質の悪い
当時、あの辺りでは、大麻は、取締りの対象になっていなかったそうで、
ヨーロッパに持ち込めば高く売れると言われ、夫はそれを持って
汽車に乗ったところ、ターバンを巻いた警察官に付きまとわれ
仕方なく、汽車から飛び降りたそうです。
食事に関しては、特に、豆のトマト味スープが美味しかったそうです。
また、駱駝のステーキというものも食したそうですが
夫に言わせると、鯨の肉に似ていたとのことです。
飲み物に関しては、水と同じように、コカコーラが
どこの町にも売られていたそうですけれど
中近東の辺りでは
お店に並んでいるコーラの瓶の中身の高さがまちまちだったそうです。
何か、そこに暮らす人の気性が見えてきそうです。
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カイバル峠の様子に関しては約800万のほうに詳しく書いてあるけれど
本人ではない第三者の目というフィルターを通すと、背景が全く変わってしまう
ただ、この頃はわりとあっさりと語っているが
地図を観ながら改めて聞いてみると、二十歳を過ぎたばかりの青年が言葉の通じない
見知らぬ街をよく独りで歩いて旅をして来たものだと感心してしまう
夫の認知症が軽度だった頃、
車椅子を押して富士山から丹沢山系の見える場所に散歩に行ったことがあるが
行きは見えなかった山並みが、帰りの道に広がった時、急に怯えたことがあった
その後、誤嚥性肺炎で緊急入院した時の、
英語がわかる人のところに連れてきてくれてありがとうございます、
これで安心しました、という夫の脳裏は
今でもパキスタン、そしてカイバル峠を越えてアフガニスタンからイラン
トルコへの旅を続けているのかも知れない
夫はアフガニスタンでヨーロッパから旅をして来た大学生と
一緒に写真を撮っているのですがご存命なら夫と同様な年齢
過日アフガニスタンで犠牲になられた方も似たようなご年齢と記憶しているが
海外で外国の方の為に活動するというのは生易しい決意では出来ないものなのだと
改めて思った
夫の記憶が正しいうちに聞き取った言葉で、アジアから欧羅巴に入る寸前の
アパルトヘイトの存在を、今夫の文章を読み返して改めて深く考えさせられた
地球という台地には国境などという線引きなどどこにも存在しないのだが